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    路地裏のスクルージへの応援コメント

    これは幸せな最後ですね(なんて書いた後に少しズレた意見かなと思いました。僕のよくないところが出ているのかも)
    死ぬ間際に幸不幸が決まるのなら、今を急いで生きることもないな、なんて思ったり。
    帰る場所が物理的になくても、心の中にあればいいのかな。
    前半の不幸パートが猫をきっかけにどんどんグラデーションが淡く明るくなっていって、終盤、陽の光と共に作品の雰囲気そのものもわっと明るくなる手法、お見事でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    そして素晴らしいレビューも!
    この主人公の人生は幸せとは言い難いものでしたが、最後の最後、穏やかな記憶を思い出して、幸せな気持ちで昇っていくことができたんじゃないかなと思います。
    この作品、確か情景描写の練習がてら書いたような覚えがあるんですよね。挙げていただいた光の描写とか、雪の温度感とか、いろいろ意識していたと思います。
    古い作品ですが、深く味わっていただけて嬉しいです!!

  • 路地裏のスクルージへの応援コメント

    やるせない気持ちになりました。
    不幸な境遇に必死に足掻いてきた人生、無情で救いがなかったけれど、最期に人の温かさに触れて。
    少女の言葉で涙腺崩壊しました。
    天国があるならば、もう苦しまない世界で家族と再会していて欲しいなと思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    外側から見たら彼の人生には救いがないようにも思えますが、ずっと不幸せだったわけではなかった。
    最期に思い出した温かな記憶に導かれて、安らかな眠りに就けるといいですよね。
    素敵なコメントが、じんわり胸に沁みました(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

  • 路地裏のスクルージへの応援コメント

    コメント失礼します。
    なんというか幸せな死に方とはなんなのか考えさせられました。
    たくさんの人がその人の死を悲しんでくれるが不遇な思いを抱えて死ぬ、この男のように不遇な人生で看取ってくれる人さえいないが幸せな気持ちで死ねる。どちらかといえば後者なのか?死は一回しか経験できないから、よくわからない。

    そしてこの男の死に対して誰も何か意味を見出してくれないのが辛いです。誰も彼も浮浪者の男の死をただの日常の一コマのようにしか感じていないような。貧富の差的なのをすごい感じます。
    だから最後メリー・クリスマス――……なのか?

    なんというかすごい考えさせられました。
    面白かったです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    死ぬ瞬間に何を考えるか。それが良い記憶なのか悪い記憶なのか、そうして死を迎えた人生に価値はあるのか。
    これはその人の主観でしか判別できないことですね。

    >この男の死に対して誰も何か意味を見出してくれない

    これ、かなり重要な点だと思います。
    俯瞰して見ると哀しく思えますが、例え他人が何らかの意味を見出してくれたところで、結局当人には何にもならないんです。
    誰も彼も、死を迎えたら等しく人生はそこで終わりですもんね。

    いろいろ感じ取っていただけて嬉しいです(*´꒳`*)
    深みのあるレビューも、ありがとうございました!

  • 路地裏のスクルージへの応援コメント

    すずめさん版スクルージですね!
    暖かい死に顔がぐっときます。クリスマスの奇跡ですね

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    ロクでもない人生でしたが、最後の最後に少しだけ救われました。

    素敵なレビューも、ありがとうございました!

  • 路地裏のスクルージへの応援コメント

    ディケンズのクリスマスキャロルを思い浮かべながら読みはじめたのですが、良い意味で裏切られました。
    すずめさんの短編はどれも子供の頃に読んだグリム童話を思い起こさせられます。読後、少し大人になれた気がしたそんな童話たちに。
    今後の新作も楽しみにしています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    そう言っていただけて嬉しいです!
    三人の幽霊も登場せず、生き方を改める機会もなく、最期にほんの少し光を思い出しただけ。ハッピーエンドなのか何なのか。
    短編は、何となく気になる後味が残るようなものが多いかもしれません。

    このように反応をいただけると、とても励みになります(*´-`)

  • 路地裏のスクルージへの応援コメント

    こんばんは。
    樽いっぱいの汚水に、一滴のワインを垂らしても、それは汚水のままだ。
    しかし樽いっぱいのワインに、一滴の汚水を垂らせば、それは樽いっぱいの汚水となる。

    誰のせいであれ、良いことのない人生が最後に少し救われる――というお話を読むと、この逸話を思い出します。

    つまり太陽の光と同じに、クリスマスの奇跡が「彼」を少しだけ救ったという、そのままの意味。
    あるいは
    それまでの人生がマイナス100で続いていたのに、最後にプラス1くらいになったからと、幸せになった気になるとはいやはや。
    というひねくれた意味。
    取りようとしては、どちらでも出来てしまうということです。

    すずめさんが「彼」の死にどのような意味合いを持たせたか、きっと前者なのでしょう。
    もちろんそれは王道で、本来お話とはそういうものであるべきです。
    でも最後の行は、

    メリー・クリスマス――……

    と締められています。もしかするとそういう意味合いも裏の意味としてあったのかな、なんて深読みしてしまいました。
    普通に考えれば、ゆっくりとしたフェードアウトの演出だと思うのですけれど。ひねくれた私としては、同族を求めてしまいました。

    短編の中に、よくこれだけの情報が収まりよく座っているなと、感心しきりです。
    私のような読み方をされると不本意かもしれませんが、本道と余計な裏読みと、一度で二度おいしい思いをさせていただきました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    おぉ、その逸話は深いですね……!
    樽いっぱいのワインに対して、一滴だけの汚水を許容できるか否か、という別ベクトルの議論もありそうです。

    物語の解釈は、読んだ方の受け取った印象が全てだろうと思います。
    こんな風にいろいろ考察してくださって嬉しいです(*´-`)

    人間、どんな人生であっても、最期は独りです。
    当人の思考の及ばない、その人自身の「死」に意味付けするのは第三者です。
    独りで死んでいった人が、その時いったい何を考えていたのか、真相は誰にも分かりません。
    誰かの「死」、あるいは「人生」の意味付けは、生きている人のためのものですね。
    最終的に独りで死んでいく自分の人生をどう見るのか、という。

    短編も5000字を超えると、割といろいろ盛り込める感じがしています。
    日本が舞台ではない話は、私の作品では珍しいですね。