月までの距離、スキまでの距離【短編】

藤和工場

第1話 月までの距離、スキまでの距離

こういうのを悲しみなんていうのかもしれない。


 別に別れとかじゃない。


 そうわかっているのに、悲しいのだから、悲しみに違いはないのだろう。


 これはきっとよくある話なんだ。何てことはない、彼女が家庭の事情で少々(?)離れた土地へ引っ越す事になったのだ。ここでいう少々は僕の感情じゃない。彼女が少々なんて言ったから、少々って言っているだけだ。


 僕にはとても少々で済ますことのできる距離じゃない。


 きっと今夜を皮切りにしばらくはあえないだろう。だから、どちらからとも言う事無く、「またね」が切り出しづらくて、月の時間になっていた。


「どうにもならねぇんだろうなぁ……」


 もう何度も呟いて、すでに独り言の類にまでランクを落とされた言葉が、また喉からするりとこぼれた。


「ん、こればっかりはねぇ……」


 僕は家族とのつながりを大切にする彼女の事も好きだった。だからここに残ってくれなんて、とても言えない。本心じゃないとしても、それは僕が言う事のできない言葉なのだ。


 僕ら以外誰もいない児童公園のベンチはとても冷たくて、すぐ隣にいる彼女さえ、永久凍土の彼方のお姫様のように遠く感じてしまう。ほんの数センチ、指先を伸ばせば、彼女の変わらぬちぃさな指先があるというのに。


「ああ~~もぉ、すぐに暗くなっちゃうのは、キミの悪いとこだぞ。駄々っ子みたいにほっぺたぷっくりしたってダメなんだから」


 彼女は耐えかねたように僕へと向き直ると、ほっぺたをその指先でつっついてくる。本当、僕の感傷なんて一瞬で打ち破るんだから……あんなに遠く感じてたものを、瞬きの間で零距離砲撃だもんな。全く、まいる。


「そんな事言ったって仕方ないね。少年ハートが多分に残ってる僕にしたら、そう簡単にはいかないのだ。ほら、近所の憧れのおねぇさんが嫁ぐこと知って、あわわわになってるガキ大将みたいなもんだ」


「うあぁ、たとえが古っ。昭和の匂いがするよ」


 くう、せっかく上手い事いえたと思ったのに、鼻先で笑いやがって。彼女はそんなにも距離がどうとかって考えていないのだろうか。僕には理解し難い。


「何とでも言えよ……もぉ……」


 僕は半ばやけになって彼女から視線を外す。


「ああもう、ああもう、ああもう!! こんなときだけ少年ハートMAXなんだから、仕方ない子だなぁ」


 彼女は夜空に向けて宣言すると、僕にすっと近付く。


「ほれ、こっちゃこい」


 そして、僕の頭を無理やりつかんで、自分の太腿にむかえた。


「さぁ、コロンしたら、上を見てみる。ずっと、ずっと上だよ?」


 言われたとおりする。僕のすぐ傍には彼女の愛らしい顔、そして遥か虚空には下弦の月が見えた。


 その月は憎らしくも、深い藍の空で、ニタリと口を開いて僕を笑っているように見えた。


「どうだ?」


「どうってなにが?」


 ふに、っと彼女はため息みたいなものを漏らして、僕のメガネの奥の瞳を直視する。


「あたしと月、どっちが近いのよ?」


「ハァ? そりゃ君だろ?」


「うんうん、そういうことさ」


 また、この娘はわけのわからないことをいい始めたぞ。さすがにここで、どういうことだよ? なんて切り返しはありえないほど滑稽なので、僕は必死で考える。まぁ、そんなことで、わかるはずもないのが僕の脳みそというやつなのだ。


「仕方ない、おばかにゃんなキミのためにあたしが特別に教えてあげよう。あたしとキミが離れる距離なんて、月との距離に比べたら大した事ないのよ。望んで却下されるような距離じゃない。望めば望んだだけの結果が得られる距離なのだよ。別にロケットに乗らなくてもいいでしょ? 別にアストロノーツになる必要もない。駅かどっかの切符売り場で、くださぁ~いなって言えばすむのよ」


 残念ながら、彼女の言うことがいろんな意味で世界の全てではないけれど、彼女がそう言うのなら、僕に限って言えば、そうなのだ。


「それとも、たかだか往復数百キロの距離が、キミには月までの時間と同意義なのかな? あたしって、かぐや姫? 悪い気はしないけどね。モテモテだし」


 簡単に言ってくれるよ……僕はそんな君だから心配だって思うのに。


「まぁ、あたしには君しか居ないので、ひとりで五つの難題すべてクリアしてもらうことになるけどね。覚悟はいいかにゃ?」


 彼女が言うと、難題とやらも、「なんだい?」くらいにされそうだ。でもその方がいいのかもしれない。


「君は大丈夫なんだな……」


「んふふ。自信はあるぞ? もう、キミなしじゃいられない心にされてしまったからな。ああ、ごめんなさい、お父さんお母さん!」


 なんだか洒落にならない……目の前の彼女と遠くで僕を笑っている月……比べるべきものでもない。彼女が大丈夫というなら信じるしかない。


「んまぁ。ただし、あたしがキミをつなぎとめていられるって保障はないのかも……浮気とかしたら、蹴りまくってあげるからね」


「はは、覚悟しとくよ……」


 キミはどうなんだよ? なんて聞いたら即蹴られそうだ。


 憎らしく「そんな事簡単に信じていいのか? くけけけ」と笑う月も、彼女の輪郭を柔らかく照らしているので、許してやろう。僕はしばしそれらから離れて目を閉じる。


「ああ、そうだな。僕も君なしじゃいられない、不器用な心になっちまったみたいだ。だから、大丈夫だよ……美味しいトコどりな帝さんじゃねぇけど、五つの難題、僕が全部クリアしてやるよ。だから安心しな」


 自分でもよくわからない恥かしいセリフだが、目を閉じてれば難なくいえる。まぁこれで月に帰らないかぐや姫は納得するだろう。


「えっ……」


 まさか、月夜に雨なんて降るはずもないのだが、僕の頬で雫がはじけた。


「……ばかぁ……こんなときはもうちょっと気の聞いたセリフで責めないとハイスコアは望めないぞ……ただ、あたしはそんなダメップリンスなキミが好きだから仕方ないや……」


 一粒、二粒、涙の数は増えて、僕に降り注ぐ。


「ほんとに……ばか、なんだからぁ……あたしだって、悲しくないわけないでしょ……ばかぁ、そんくらいわかりなさいよ……もぉ、ばかぁ……」



 僕の頬ではじけた涙は唇にも染みこんで。


 それを舌ですくった。


 その涙は僕の流すものとは違っていて、


 少し、甘かった。



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