逝く春のある日【短編】
藤和工場
第1話 逝く春のある日
桜の絨毯っていうのは、こういうのをいうのかもしれない。
この地域で、もう一般的な桜の季節はとうに、過ぎている。僕たちが並んで見ているのは、八重桜だ。ソメイヨシノとかとは開花の時期が微妙にずれているから、この地方でもGWになってまで花見ができる。けれど、それも1年の気まぐれで、その日までもったり、もたなかったりまちまちのギャンブルみたいなものだ。
「はやく、来てよ!」
彼女は無邪気に呼ぶけれど、ここの樹木はまだ若いので、背丈が低い。言ったら必ずツンツンする、ちぃさな彼女にとっては、いい感じの花びらの屋根でも、僕が歩くに、かなりの注意が必要だった。
それでも、彼女が呼ぶのだから僕は歩く。
風ではなく、僕の頭が触れて花びらが散るのは切ないのだけれど、偶然に任せないで、花が逝くのをみられるのは嬉しいと思ってしまった。
そんな傲慢な事を考えていたからだろうか、彼女の声が尖っているのに気がつかなかった。
「もぉ、またぼーっとして!!! あたしのことなんてどうでもいいんでしょ!」
「ちょ、そんなことないって!」
急いで、先を行く彼女に追いつこうとするが、やっぱり僕は注意力散漫で、目の前に突き出た枝に気付かなかった。
「あだっ!!」
僕は痛みよりも、衝撃で外れそうになったメガネを落とすわけにはいかないと必死で、尻餅を豪快についた。
僕が樹に与えた衝撃で、花びらが一斉に旅立つ。加えて、既に散ったものたちも、僕の尻餅で巻き上がる。
それは精悍なものなんだけど、メガネが視線からずれている僕には、ピンクの幕ぐらいにしか見えない。
「とと……」
メガネを直してやっと開けた視界に彼女の像が結ばれる。
「もぉ、なにやってるのよ……」
僕の前にしゃがんだ彼女の黒い髪に、一枚だけ濃いピンクの花びらがとまっていた。
「なにって、見た通りバカやってるんだよ」
「何よ、それ……」
むくれた彼女の髪に手をのばして、指先で花びらをつまむ。そしてそれをため息で飛ばした。
「また、ため息? 一回つくたびに幸せが逃げちゃうって言うでしょ?」
「まぁね……」
そうは言うけれど、そんなのいちいちカウントしてたら、この世に幸せな人なんていない計算になるぞ。
「もぉ、あたしと一緒にいるときくらい、ため息禁止!!」
「あ~はいはい。善処します」
「むぅ……」
ほっぺたをぷっくりやってる彼女をみると、つい突付きたくなるんだが、それは今はガマンしよう。
あたしといるときくらい、と彼女は言うけれど、一緒にいるから、考えてしまう事も多い。
スキとかスキの箱に収まりきらず、いつも、だらんとだらしなくはみ出してる想いみたいなもの。
例えばそれは、きっと僕は彼女の全てを知っているわけではないということ。そして彼女も僕の全てを知っているわけではないということ。
きっと、いつかそれを話すときが来る。
もしかしたら、そんな事を話す必要なんてないのかもしれない。隠したままで、言わないままで、このままでいられるのなら、それは蛇足というものだろう。
でも、それは本当に、つながっているというのだろうか。
きっと知りたいとか、話したいなんて思うのは、僕の傲慢だし、何かから解放されたいだけのものなのだろう。
でも、話したい。全てを伝えてしまいたい。
それを伝えたとき、彼女はどうするのだろう。受け止めてくれるだろうか。変わらずスキをくれるだろうか。
それとも、すっと立ち去るだろうか。何事もなく僕の前から消えるだろうか。
そんなくだらない考えが、ため息誘発因子だ。
「こぉら!」
「あだっ!」
眉間のしわを思いっきり彼女にこづかれた。
「ほらこれで、暗い考えどっかいっちゃったでしょ?」
ケラケラ笑いながら、彼女はすっくと立ち上がった。背伸びで花房に触れた手を、そのまま僕に差し伸べる。
「ほら、行くよ」
「ああ……」
僕はその手に触れて、力を込める。春先には丁度いい彼女の温もりは、今のところ表出している暗いものを払ってくれた。
結局、彼女の力で僕を立ち上がらせることなんて出来ないのだけれど、僕自身が立ち上がろうとする自信を与えてくれることに、違いはなかった。
だから、立ち上がる。彼女と一緒に歩く。
例えば、散る桜の花びらが、いつか去る彼女の姿を想像させたとしても……
今は一緒に歩こう
逝く春のある日【短編】 藤和工場 @ariamoon
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