夏が来る前に【短編】

藤和工場

第1話 夏が来る前に

「夏が来る前に、打ち上げ花火が見られたら、あたしはまだここにいられるかな?」


 夕凪の海は綺麗過ぎて、そして静か過ぎて、そんな言葉さえはっきりと聞こえてしまった。


 どんな意味でいったの? そう聞きたかったけど、出来なかった。


彼女の横顔は夕日にとても綺麗で、光る輪郭が涙のあとにも見えてしまったからだ。


「明日は晴れるよね? 夕焼けの次の日が雨だったことなんてないもん」


 僕には先の言葉が別れにさえ聞こえたのに、彼女はまた悪戯っぽく笑って、こんな風に話す。


 いつも彼女は突然で、僕には理解しにくい事をさらりと言って困らせる。

 もしかしたら、この娘はとっても意地悪で、そんな僕をみて笑っているだけなのかもしれない。


 でも、それでもいい。きっと僕にとって重要なのは、彼女が意地悪なことでも、すぐに話を難しい事ではぐらかしてしまうことでもない。


 僕が彼女の傍にいること。


 ただ、それだけなんだ。


 だから、彼女が夕凪を見て何を考えているかなんて、僕が考える必要なかったんだ。


でも、この時は違ったんだろう。僕は肝心なときには鈍い頭をフル回転させて、考えるべきだったんだ。


 彼女の横顔に見とれている場合じゃなかったんだ。


「だといいな。晴れたら花火もやるだろう?」


「うん、一緒に見ようね」


 晴れたら明日はこの波止場からも花火が見える。


 六月も終っていないのに、ひぐらしの声がやけにうるさい。気が早いし、気がおかしいといってもいいくらいだ。


さっきまで静かで、彼女の声まではっきりと聞こえていたのに、今はひぐらしの声に全てかき消されて、彼女の姿も光に解けてしまっていて、ここにいるのかいないのか、わからなくなっていた。

 めまいがする――視界が光りの玉ボケでうまってしまう。


「ねぇ、聞いてる?」


 


 その声だけが、僕を彼女の傍にとどめている。


 その声だけが、彼女の存在を僕に教える。


「うん、聞いてるよ」


 だから僕は返す。ここにいるよと言う代わりにしては素っ気無いし頼りない。


 だから、いろんなモノがクリアになっていく、相変わらずひぐらしがうるさいんだけど、それも気にならなくなっていく。


 あの言葉の意味を考えろって言ってるみたいだった。


「夏が来る前に花火を見たって、あとで見たって、傍にいてくれればいいだろう?」


「……うん、そうだね」


 僕の言葉が彼女に届いたかどうかはわからない。


 僕の言葉が彼女を押し留めたかどうかはわからない。


でも、とりあえず、明日の花火は一緒に見よう。


それからの事は、それから考えればいい。

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