第8話 誘いの朝

 そうだ、俺は伝えなければいけないことがあったんだ。

 いつもより少しだけ早起きして、俺はアルスの部屋のドアをノックした。

「アルス? 起きてるか?」

「わっ!? ちょ、ちょっと待ってて!!」

 少しすると、アルスがそろりとドアを少しだけ開ける。

「なあにお兄ちゃん」

 昨晩魘されてたから心配していたが、目元には隈はない。あれからよく眠れたようだ。俺は、自分の首を右手で触った。

「?」

「今更だけどさ」

 アルスも俺の真似をして、首を触る。

「その首輪、邪魔じゃないか?」

 アルスは合点がいったように「ああ!」と声を上げた。

 俺はさらに続けた。

「昨日はいろいろありすぎて、突っ込むのを忘れてたんだけど、やっぱりそれ、寝るとき痛くないか?」

「気遣ってくれてるんだね、ありがとう。でもね」

 首から手を放し、にへら、とアルスは笑った。新しい笑い方だ。これはどんな時の笑顔なんだろう。

「これは睦月様との思い出の首輪だから、外すわけにはいかないの」

 俺は息を呑んだ。思い出とか言ってるけど、そんなの完全に呪縛じゃないか。昔、テレビでやってた、元カレとの思い出の品を捨てれない女の人みたいだ。第一、アルスは英睦月の奴隷と名乗っていた。それこそ奴隷の印なんじゃないのか?

 いろいろ言いたかったが、俺は話題の矛先を変えることにした。

「アルスは俺に睦月に関する記憶を還したんだよな?」

「うん、そうだよ」

「だが俺は思い出せてない。もし万が一、俺が記憶を思い出したとしてだ」

「うん」

「それでもまだ思い出せない記憶があったとしたら、その記憶はずっと戻らないままなのか?」

 多少からっぽだった学生生活を思い出して言ってみる。アルスをだましているが、この不安は嘘じゃない。

 アルスはそんな俺を少しばかりの慈愛をこめた目で見てくれた。

「ううーん? それはきっと……」

「きっと?」

「ド忘れだよ!!」

 アルスが自信満々に言った言葉は、俺の目を点にした。

「言っちゃなんだけど、私の記憶返還術は完璧だったと思うし、なんで未だに記憶が還らないのか不思議だけど。ほら、あの歯磨きの宣伝に出ている芸能人って名前なんだっけ、とか、買ってこなきゃいけないモノ忘れたーとかあるじゃない? 記憶を還したといっても、本人が奪われた時点で覚えていた記憶しか返せないから、たぶんそう」

 ド忘れ。

 いや、それはなくないか? ちょっと苦しくないか?

 俺って、そんな重要なことを忘れるくらいダメな奴だったのか?

「でも大丈夫だよ、お兄ちゃん」

「……何が?」

 消沈する俺に、あくまでもアルスは明るく言う。

「本当のド忘れと変わらないから! 芸能人だってCMや雑誌であ、この人だってなるし、買い物だってリストを見直せばああそうだったっけってなる。睦月様のことは、その関連のものを見れば思い出すよ。だから、ね、元気出して!」

「うう……」

 なんてことだ、睦月信奉者のアルスに励まされるとは。

 思い出す方法を教えてくれるあたり、アルスにとっても予想外なことなのかもしれない。

 話はこれくらいにして、俺はアルスと共に台所に向かう。

 途中で、くいくい、とアルスが俺のパジャマの袖を引っ張る。俺は隣のアルスを見る。


「ねえ、お兄ちゃん、今日、一緒に買い物に行ってくれない?」



 


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