第6章 潜入開始
リベルター21区を分散して調査していた狩人たちへ廃屋病院への招集が掛かり、集結した狩人たちはアサトが討伐した二体のグリムを怪訝に見下ろしていた。
「此奴らを討伐してから十数分ほど経過しておるのだろう? なのに何故結晶化しておらんのだろうなぁ? 追跡任務に就いていた狩人と酷似しておるようだし、不思議だのう」
通常、グリムは死後十分以内には全身が結晶化するという硬化現象に陥るのだが、眼前のグリムはその現象が微塵も見えないただの肉塊の状態を維持していた。
ガンズはこの不可解な現象を前に腕組みし、捕縛して調査したかったなどと呟きながら無精髭を指先で撫でている。
ふと、小隊メンバーが三人足りないことに気付いたルイが、彼らの存在を探すように周囲を見回した時、ガンズの無線機が通信を受けた。不在の狩人からの通信だ。
彼は端的に報告した。共同調査に就いた自身を含めた彼ら三人が、廃屋高層ビルにて今回の任務対象であるリズを発見したと。報告を受けたガンズは彼らに現場待機を命じ、ガンズたちはすぐさま彼らの元へと向かった。
リズを発見した三人の狩人と合流したガンズたち。彼ら三人の情報ではリズは眼前の高層ビルに入って行ったとのことだ。
高層ビル上階三分の一は倒壊し地面に崩れ落ちており、隣接するマンションは高層ビルにしなだれ掛かり、階段の役割を果たしていた。
都合良く露出したビル上階と正面玄関の二点から侵入する策略をガンズにより立てられ、小隊は二チームに分散し調査する意向に決定した。
キースをリーダーにしたチームにはアサト、ルイ、デュークと数人の狩人が加わり、残りの狩人はガンズのチームに編成され、キースチームは上階、ガンズチームは正面玄関から潜入することに。
上階の様子を探るため、ルイとデュークがビルにぐったりとしなだれ掛かるマンションを階段代わりに利用し上階に到達すると、そこは人影一つ見当たらない殺伐とした場所だった。
かつて大勢の会社員が仕事に励んでいたであろうオフィスには薄く雪が積もり、すすけて読めなくなった紙くずが散乱していた。
月光に晒された廊下の先まで注視し無人であることを確認した二人は、無線機で物陰に潜む仲間にその旨を伝えた。
ルイとデュークが上階に向けて行動したのと同時にガンズチームの狩人も数人、正面玄関の様子を探りに行動していた。こちらも問題がないことを確認したガンズは両チームに侵入の合図を出した。
埃を被った床には無数の足跡が刻まれていた。それは積雪に刻まれた足跡同様サイズが異なり、ここに出入りする者が一人や二人でないことを表明している。
それが人間なのかグリムなのかまだ判断はつかないが、狩人が追うグリムが潜伏していることは報告上疑いようもない事実だ。
キースチームは武器を手に、緊迫した面持ちで一部屋一部屋を確認しながら階下を目指していた。グリム感知時に鳴る感知音は潜入中という状況を考慮し、オフにするという判断を怠らない。
念のためルイとデュークが廊下を先導し行き先の様子を探り、その背後で残りの狩人が通り掛かった部屋をしらみ潰しに探っていく、その繰り返しだ。銀のバングルが放つ白光だけが暗闇を照らし出してくれる。
グリムはおろかネズミ一匹と遭遇することもなく六階ほど階下し、次なる部屋は大講堂だという時、ふとデュークは観音開きの扉の前で仲間に立ち止まるよう指示をした。
物音を立てぬよう自身の唇に人差し指を当てる仕草を見せそっと扉を引くと、隙間から室内を覗き見た。そして絶句した。
全身から血の気が引いていく感覚に襲われ、思わず後ずさった彼をルイが支えてくれた。
冷静沈着な彼が静かに取り乱している事態を尋常ではないと察したルイは、何事かと室内を覗き見た。
その瞬間、彼が取り乱した理由を知ってしまったルイもまた絶句し、全身の毛穴から冷や汗が噴出する気配を感じていた。夢であってくれと現実逃避をしてしまうほど、眼前の光景は残酷なものだった。
一筋の光も射さない暗闇にいくつも浮かぶ蛍のような光。だがそれは蛍の柔和な光明とは似ても似つかないほど威圧的で、目にした者に恐怖を植え付けるグリムの金色の眼だったのだ。
その頃ガンズチームも問題に見舞われることなく着実に階上へと進んでいた。
食堂の調査に行き当たり、朽ちた扉の向こうをガンズが覗き見た時、椅子に腰掛け、割れた窓ガラス越しにちらつく雪を眺める人影があった。
一瞬狩人たちの緊張感が増幅されたが、感知器が無反応を示したことからその人影がグリムではないと判断した。だがガンズはそれが例え人間であろうと素性の知れぬ相手に油断はしない。
彼は狩人たちをその場に待機させ、単身人影に接近を図った。
「こんな廃屋で何をしておるのかのう?」
その声音は柔らかだが表情は厳しいままだ。ガンズの手には大剣が握られている、その人影が敵だった場合いつでも戦えるようにと。
テーブル越しに掛けられた声に肩を揺らした人影が振り返った時、思わずガンズは息を呑んだ。仮面を付けていたからだ。
月光だけが頼りなく照らすこの薄闇によく映える、なんとも不気味な翁の仮面。吊り上がった口角に、仮面の奥から覗く漆黒の瞳は無機質にガンズを見つめている。そこにはなんの感情も見て取れず、その無機質さはアサトの瞳とどこか相似していた。
「グリムに追われここに逃げ込んだのですが、またいつ奴らに見つかるか知れません。最悪の事態を考えると恐ろしくてここから動けないのです」
落ち着いた声音が静寂をかき消す。声音には中高年独特の低さが混じっており、五十代の自身と同年代くらいの男だろうとガンズは推測する。
小綺麗な黒スーツに翁の仮面という奇妙な出で立ちに、恐ろしいと口にしたわりに妙に落ち着いた口調、他にも突っ込み所は満載だが彼から敵意は感じられなかった。
「それは災難だったのう。あんたのことは我々ファンググリム討伐部隊が保護しよう」
「ああ、それは助かります。感謝します」
「ワシはガンズ。あんたの名前は?」
「センジュと申します」
手早く自己紹介を終えた後、ガンズは自身らが追うグリムに関して問うたが、センジュは対象のグリムの存在を把握していなかった。だが彼によれば、この21区には数多くのグリムがはびこりグリムの巣窟と化しているらしく、対象者が紛れていてもおかしくはなかった。
キースチームと一度合流しようと思案するガンズの元に、タイミングよく彼から通信が入った。声を潜め、動じたような声音から何か良からぬ事態に見舞われたのだとガンズは察した。
ここで小隊長である自分がパニックになっては部下の不安を煽る、そう思ったガンズは極力平常心を装い状況報告を求めた。そして瞬時に青冷めた。
キースの声が遠くに聴こえた、もう内容も入ってこない。百を超すグリムがこのビルに潜んでいるという残酷な現実を受け入れたくないと、心が拒絶していた。ガンズの予想の範疇を遥かに超えた事態が生じていた。
21区一帯に無数の足跡が残されていた時点で、この場所にグリムが何十体も潜伏している可能性は否めなかった。だがそれが百を超えるものとは彼も予想だにしていなかった。せいぜい20、30体ぐらいだろうと甘い推測をした自身をガンズは責め、自分は部下の命を預かる大役には不向きだとひどく自嘲した。
明らかに顔色が変わった彼を前に狩人たちはうろたえた。そんな彼らを尻目にガンズは逃避する心を一喝し奮い立たせると、残酷な現実を彼らに伝えた。
案の定彼らは畏怖の念に囚われ絶望した。ここでガンズまで悲観してはいられなかった。小隊を率いる小隊長までもが後ろ向きになってしまったら、きっと状況は悪い方向に進んでいくだろうと容易に想像できたからだ。
グリム百に対し狩人は十数人余り、どう考えても勝ち目はないことは明白だ。ここで戦闘に陥ったら無駄な犠牲が出ることになる。
今は対象者の捜索よりも自分たちが生き延びることを優先しようと一時退却することをガンズは選択し、その旨を総員に伝えた。
「ああそれとアサト、くれぐれも一人で突っ走らないようにのう」
緊迫した空気を和ませようとガンズがからかうように言うと、キースが苦笑した吐息に続き、コンコンと何かを叩くような軽音が届いた。
互いに顔が見えない現状のような時にアサトが使う意思伝達法の一つだ。アサトがキースの無線機をノックしたのだ。ノック二回はイエスや了解を示す。それを理解したガンズは満足げに笑い、通信を切断した。
「アサト、とは?」
不意にセンジュが問うた。ここに不在のアサトのことが気になるのだろうか、ガンズは特に不審に思うこともなく応答する。
「ワシらと別行動しとる狩人だ。ちょいと変わっとるところもあるがべっぴんさんでのう、高い戦闘能力を持ち合わせとってワシは一目置いておる。紅玉のようなそれはそれは綺麗な瞳をしておるんだよ」
普段から突飛な行動を取るアサトを思い出し、ガンズは孫を見るような目で微笑ましく笑った。
長居は危険だからと談笑は中断し、撤退の準備に移行するガンズチーム。慌ただしく動く彼らを見つめ、センジュは呼び寄せる狩人の元へ歩み寄った。悠然とした動作で、背筋をしゃんと伸ばし、ブレのない綺麗な歩き方だった。
さあ行きましょうと背中を押す狩人だったが、センジュはピタリと停止し、廊下を先行くガンズの背中を見つめ呟いた。
「彼女に会いたくなりました。安穏とした純白の世界の中ではなく、彼女にお似合いな純白を汚す真っ赤で残酷な世界の中で。その舞台は私が作りましょう」
誰ともなしに呟かれた言葉が夜気に溶けるのと同時に、静寂に悲鳴がこだました。
何事かとガンズチームが振り返った先では、センジュを誘導していた狩人が金色の刃に胸を刺し貫かれていた。センジュの手によって。
刃がぞんざいに引き抜かれると狩人は壁伝いに崩れ落ち、血溜まりを作りながら絶命した。状況を飲み込めない彼らはただ呆然とその光景を見つめ、そして気付く。
絶命した狩人を無情に見つめるセンジュの瞳が金色に光輝していることに。
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