第2章 狩人

 白昼の街中で幾重もの悲鳴が響き渡っていた。人々はひどく焦り、恐怖し、ある一点から逃げ惑う。


そこには背中に獅子が描かれた漆黒のコートやジャケットを纏う数人の人間・狩人と、金色に光輝する双眸を持つ1体の化け物・グリムによる戦闘が繰り広げられていた。


 グリムの周囲には無惨に喰い殺された人間が転がり、光のない瞳で戦闘を傍観している。


 剣を振るった狩人が難なくグリムを殺害するとそれはみるみる硬化し、溢した血液すら金色のクリスタルと化した。


オブジェのように動かなくなったそれにどこからともなく亀裂が入ると余す所なく拡散し、パンッと高らかな音を伴って砕け散り消失した。


 狩人らが安堵の息を吐いたその時、彼らが人差し指に付けていた白い指輪が振動し、ピーピーと小鳥のさえずりのような音を出し始める。


その中心部で光る黒い宝石のような石からレーザーが放射され、真っ直ぐただ一点に注がれた。野次馬の1人、小綺麗な服装でメイクを施した女性だ。


長身の狩人とその女性の視線が交差した時、彼女は真っ赤な唇を不気味につり上げた。


「皆さん! ここから逃げてください!!」

 

 長身の狩人が怒声にも似た叫びを上げた時だった。女性の背中を突き破った黒い物質が左右に広がると、コウモリの翼のような形状に変化した。それはどこか歪な形状で所々に穴が空いている。


だが彼女の変化はそれだけに留まらない。尾てい骨からは黒い尻尾が生え、その先端は鋭利な刃物のようにぎらついている。手足の爪は尖り、口端は耳まで裂け始めたのだ。美しかった顔の面影はもうそこにはない。

 

「ベータだと!? しかも鳥型っ、クソッ……!

 警戒しろ! 奴のスピードはっ……――」

 

 長身の狩人が仲間に警戒を呼び掛け終える前に瞬時に接近したグリムは、彼の首を鋭利な爪で掻き切った。裂けた傷口から勢いよく噴出する鮮血がグリムを濡らす。


 けいれんし崩れ落ちる狩人を抱えたグリムが、頭と胴体が分裂しようとする首元に噛み付くと、肉を喰いちぎった。その残虐な光景に人々が悲鳴を上げ逃げ惑う。


残された狩人は仲間が喰い殺されるのを呆然と眺めるだけで、全身を駆け巡る恐怖から動くことができずにいた。


 目の前の狩人を喰うことに飽きたグリムはそれを無造作に投げ捨てると、標的を逃げ惑う人々に定めた。


 グリムが雑踏の中に飛び込むと同時に我に返った狩人らは震える体を強引に動かし、一目散にグリムに駆け寄った。


殺意を乗せた剣を振りかざし躊躇うことなく殺そうとしたのだが、グリムは剣の軌道を予測していたかのような余裕めいた動きで次々と斬撃を回避していった。


焦りで苦渋を浮かべる女性狩人を捕獲したグリムは、彼女をショーウィンドウへ投げ飛ばす。背中からそこへ激突した彼女は、砕け散ったガラスに埋もれ動くことはなくなった。


 グリムの圧倒的な存在感と露出した殺意におののく狩人らは冷や汗を垂らしながら足をすくませ、今度こそ動くことができなくなってしまった。


ただ呆然と無力に守るべき人々が惨殺されていく光景を見ていることしかできず、悔しさと恐怖から涙が頬を伝った。


 その時、雑踏の中から細い影が飛び出した。少女だ。紅玉の眼と精悍な顔立ちを持つ彼女は風を切るようにグリムに接近すると、白銀の刀でグリムを斬りつけた。


咄嗟に身を逸らし致命傷は回避できたグリムだが、右肩から下は断面が鮮明に見えるほど綺麗に切断されてしまった。


 金切り声の悲鳴を上げのたうち回るグリムは荒く呼吸を繰り返しながら少女を恨めしげに睨み付ける。殺意と憎悪を孕んだ金色の双眸がより一層不気味に光輝した。

 

「よくもよくもよくもよくも私の腕をーっ!!」

 

 狂ったように怒声を上げると、積雪に染み込んでいたグリムの血液が金色に変色し、パキパキと軽快な音を伴って硬化し浮遊した。


どんどん質量を増し増殖するそれは、人間の身の丈ほどにもなる何本もの槍のように変化し、グリムを守るように包囲した。


 少女に向けて手をかざすグリムの微笑は下劣で、見る者を不快にさせる印象を残す。自分を痛め付けた少女をどんな残虐な方法で殺そうか思案し、それを現実のものとするのが楽しくて仕方ないのだ。

 

「まずは私と同じように片腕を肩から斬り落として、ついでにもう片腕と両足は関節から斬り落とそう。耳と鼻は根こそぎ削いで、眼球はくり抜いて、胸と腹は引き裂いて臓器は全て取り払おうかな。血液を最後の一滴まで絞り取ってカラカラになった体はこの槍で肛門から脳天まで串刺しにして、この場所にオブジェとして飾ってあげる。お前の臓器を添えてね」

 

 グリムの口から次々と溢れ出す残虐な言葉に思わず嘔吐する狩人がいた。


 だがその言葉を浴びせられた渦中の少女からは一切の動揺が見られず、無機質な目でグリムを静観していた。


 その態度が腹立たしく感じたグリムは憤怒し奥歯を噛み締めると、少女にかざしていた手を爪が食い込むほどきつく握り締めた。


すると無数の槍は、四方八方から少女を突き刺そうと突進の動きを見せた。少女は押し迫るそれらの軌道を一瞬で洞察し、僅かな隙も見逃さず、全くの無傷で回避を可能にした。


 的を失った槍は失速することもできず、積雪を貫通し地面に突き刺さった。彼女の瞬発力にグリムはただ愕然とするばかりである。


 グリムは地を蹴り接近を目論む少女を見据えると、肩から溢れる血液を硬質化させた。掌大に変化した数多の槍を、先刻同様の少女に手をかざすという動作だけで操作し突進させて見せた。


少女はまたしてもそれを容易に回避して見せるのだが、的を失った槍は周囲の人々に突き立てられてしまった。だが少女が倒れゆく人々を一瞥することはない。

 

「なんなんだお前はっ……」

 

 少女の並外れた運動能力を前にし焦りを駆り立てられたグリムが舌打ちをすると、槍での攻撃はやむなく断念した。


 歪な両翼を羽ばたかせたグリムは、その場の積雪が飛び散るほど強く地を蹴り少女と接近を図ると、尖った尻尾を振りかざした。だがそれを振り下ろすすんでのところでグリムの動きが停止した。少女の刀がグリムの胸を貫いたのだ。


 血反吐を吐き倒れ込むグリムを、少女が刀で地面に縫い付け馬乗りになる。なおも彼女を突き刺そうと揺れ動く尻尾の先端と、残されたもう片腕を肩から斬り落とした。


 悲鳴を上げ悶絶するグリムを無機質に見下ろす少女は尻尾の先端を手にし、それをグリムの片目に突き立てた。断末魔の叫びがこの地一帯にこだますると、グリムは血と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら少女に懇願した。

 

「たす……け、て……お、ねが、い……」

 

 声を引きつらせ、震えるグリムを見下ろす少女の瞳は相変わらず無機質で、なんの感情も灯していない。グリムはそれが怖かった。


眼前のまだ幼さが残る少女は、殺意の欠片さえ持たずに自分を殺せるだろうと直感したからだ。まるで善悪が理解できない子供が羽虫の羽をちぎって殺してしまうかのように。


 ほんの数秒恐怖に震えるグリムを見下ろしていた少女は何を思ったのか、グリムを縫い付ける刀から手を放した。だが依然その胸には刃が突き立てられている状態だ。


少女の突飛な行動を、懇願を受け入れてくれたのだと解釈したグリムは不敵に微笑んだ。

 

「あ、あり、が、とう……あなた、は、やさ、しいのね……

 そして……と、ても、愚か、だ」

 

 くぐもった声に狂気が孕むと、少女の背後で1本の槍が音もなく浮遊した。その切っ先は少女の丸い後頭部に照準を定めている。

 

「死ねぇっ!!」

 

 グリムが充血した目を見開き叫んだと同時に、槍が少女に突進を開始する。それが貫く寸前、彼女はグリムの左胸を抉るように手を沈めた。


 凄まじい圧迫感と激痛に泡を吹くグリムはうめき声しか出せない。肋骨や周辺の骨が砕け散り、肉を抉られる。その下に在るのは心臓だ。


 その行動の意味を確信したグリムがやめろと声を絞り出そうとしたが、それよりも早く少女は心臓を引きずり出し――グリムは絶命してしまった。


 少女の背後から砂塵と化した槍が吹き抜ける。手の中のぬめった心臓も、グリムの遺体も、少女の白い頬を汚す返り血ですら硬質化していく。


それが砕け散り霧散すると、この場からグリムの痕跡は一切消失した。積雪に横たわる奪われた命を除いては。

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