凍結の城
―――村の近くの廃城に住み着いた魔物を、退治してほしい。もう何人も人を雇ったが、誰一人帰ってこない―――
旅の途中、通りすがりの村の村長にそう泣きつかれ、紫色の髪の少女マキアは山道を歩いていた。
背中には大剣を背負い、首にはマフラーを巻いている。
山道の両脇の木々は、季節は春だというのに見事に紅葉していた。時ならぬ秋の装いに、マキアが一人ごちる。
「……これ、もしかして城の魔物の仕業?」
その言葉に、首に巻いたマフラーが口をきき、返事を返した。
「氷の魔法を使う奴みてェだな。冷気の影響がここまで来てやがる。上はもっと冷えるぞ」
マキアに取り憑いた魔物、カイである。
その言葉通り、山を登るほどに寒さは急激に増した。中腹ではすでに木々は葉を落とし、風には雪すら混じり始める。
「うぅ~、寒い……もっと厚着してくればよかった……」
軽装のマキアは、マフラーを巻き直して鼻まで覆う。
「テメっ、鼻水つけるんじゃねェ!!」
「いいからいいから……あ、見えてきた」
山道の向こうに、古びた山城がひっそりと立っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そこは、時が止まった空間だった。
ヒョウや狼などの獣たちや蛇や小動物が、剥製のように身を硬くして床に並ぶ。
礼拝堂の高い天井には、鳥たちが空中に縫い止められたかのように、翼の羽ばたきや抜け落ちた羽毛もそのままに停止していた。
さらに奥には、剣や槍を持った戦士や、魔術師と思しき者の姿も見える。
マキアと同じく魔物の討伐に向かった者たちだろうが、どれも彫像のように固まっていた。
「こ、凍ってるの、これ……!?」
「時間まで凍結させやがるか。かなり高位の氷術だぜ」
城の中には全くひと気が無かった。魔物を探して城中を探し回り、たどり着いたのがこの礼拝堂である。
物音一つない、静謐の空間。
澄み切った空気が、肌に痛いほどだ。気温はさらに下がり、カイに頼み込んで発熱してもらわなければ動けなくなるほどである。
「―――何者だ」
耳が痛いほどの無音の空間の奥から、低い声が聞こえる。
礼拝堂の最奥。
罅割れたステンドグラスの下の椅子に、その魔物は座っていた。
分厚い
「……この城に住み着いた魔物ね?」
マキアは背中の大剣に手をかける。
「あんたを退治するために何人も傭兵が雇われたらしいけど、数が少ないじゃない。他の人はどうしたの?」
彫像のように凍った傭兵たちはわずか3人ほど。それも揃って若い女性ばかりだった。
「男は殺した。目障りだ」
短い回答。
「そうやって若い女ばっかりを集めたのが、あんたの自慢の
白獅子がゆっくりと椅子から立ち上がり、こちらに歩を進める。
「我に剣を向けるというなら、貴様もその一つになる覚悟をしてもらおう」
竜骨でできた大剣を抜刀し、マキアも少しもひるまずに近付いていく。
「こっちの台詞よ。大人しくこの城から出て行くなら、見逃してあげるけど」
身の丈はマキアよりも頭3つ分は高いだろうか。隆々とした筋肉がコートの上からでも分かる偉丈夫であった。
二人は至近距離で対峙する。
見下ろす白獅子と、見上げるマキア。しばしの睨み合いの後、先に動いたのは白獅子だった。
鋭い呼気と共に、風を斬って右手の爪が繰り出される。
「なんのっ!!」
両手で構えた大剣で、真っ向から受け止める。すさまじい拳勢に、小柄なマキアはよく耐えた。
しかし爪を受け止めた大剣に、うっすらと霜が降りていく。
「(氷術!?)」
慌てて距離を取るマキア。刀身から柄へと伝わった冷気で、両手がかじかむ。
白獅子を警戒しつつ手のひらを息で温めていると、頭の中でカイが話しかけてきた。高位の魔道師などが使う
” 野郎、右手に魔力を集中させてやがる。触られたら最後だぜ ”
剣士であるマキアに念話の心得は無いが、頭の中で話しかければカイが読み取ってくれる。
” ってことは、左手とかは
パワーでは遠く及ばず、高い魔力を持つ竜骨剣とはいえ、不用意に
言われた通りに右手を警戒しつつ、マキアが何度も斬撃を繰り出す。
長く伸びたマフラーからは、カイが隻眼隻腕の黒猫のような体を顕現させる。白獅子の背後に回り込むと、その口から紅蓮の炎を浴びせかけた。
「通じぬわ!!」
突如現れたカイの攻撃に、白獅子はからくも応じた。右手をかかげると、カイの放った炎が、あろうことか中空で静止する。
「チッ、火まで凍らせるかよ」
しかし牽制の意味は大きかった。右手が塞がったことでマキアの剣を捌ききれず、左手の爪の間を抜けた竜骨剣が、白獅子の脇腹を薙ぐ。
「―――魔物憑きか、忌々しい」
傷口を右手で凍らせて止血すると、白獅子はステンドグラスの前に移動した。裏拳でステンドグラスを叩き割ると、山を通り抜ける強い風が礼拝堂に吹き込む。
「?」
怪訝な顔のマキア。カイが白獅子の意図に気付いた時には、もう遅かった。
「さ、寒……っ!!」
風上に立つ白獅子が、右手から強い冷気を出したのだ。それは風に乗って、マキアの全身を襲う。
強烈な冷風に
慌ててマフラーを広げてマキアの体を覆おうとするカイ。
その動きよりも一瞬早く、見かけによらない速度で肉薄した白獅子の右手が、マキアの腹を捉えていた―――。
「ヒトにしては悪くない動きだったが、氷の地で鍛えた我らの術には届かぬ」
彫像のように凍り付いてしまったマキアに、白獅子は語りかけた。
「テメェ――」
氷結を免れたカイだったが、その喉元を白獅子の右手が掴んだ。
「貴様も凍れ」
マキアに加えた数倍の冷気を叩き込む。
いかな妖魔の類かは知らぬが、これだけの冷気であれば―――
そう確信していた白獅子の瞳が、見開かれる。
「――
「き、貴様!?」
隻眼の黒猫が、ニヤリと笑う。
その口が開かれると、大きく息が吸い込まれる。
「また火炎か!? 無駄なことを――」
白獅子は右手をカイの喉元から離すと、先ほどと同じように盾のように広げた。
しかし。
「グォオオオオォォォォッ!!??」
カイの口から放たれたのは、青く輝く烈炎。
白獅子の右手を、
「(こ、これは―――
この世のものならざる炎が、白獅子の全身を焼く。
普通の火のように黒く焦げ付きなどはせず、真っ白な灰が虚空へと消えていく。存在そのものを分解する、無情な浄化の炎であった。
「――北の大地の果ての果てに、見渡す限りの氷の大地がある。
絶叫を上げながら床を転がる白獅子に、カイは静かに語りかける。
「お前は知らねェだろうが、その分厚い氷の下、永久凍土のそのまた下に、でけェ地下空洞がある。そこには、この城なら100個は入る地底湖がまるまる凍ってやがる」
怒り、後悔、自嘲――その声には、そんな複雑な感情の響きがあった。
「―――
動かなくなった白獅子に、カイは鼻息をかける。獄炎が吹き消されて、全身が灰だらけになってすっかり様子が変わった片腕の白獅子が横たわっていた。
「だから、お前の子供騙しの氷術なんざメじゃねェのさ」
まだ息があった白獅子が、よろめきながら立ち上がる。
「……我の……負けだ…………だが……その前に………………」
「あん? おいおい、どこ行くんだよ」
白獅子はカイを先導するように、失われた右手を庇いながら城の奥へと去っていく。凍ったままのマキアの首を離れて、カイはその後を追った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ドレス姿の美しい女性が、時を止めて眠っていた。
礼拝堂の傭兵たちやマキアのようであるが、さらに高度の氷術で凍結しているのが、その部屋全体の停止したような空気から見て取れた。
「――この女は?」
「……氷竜様の侍女の一人だ。純潔の掟を破り、我と逃げたが……呪いを受けた……」
部屋には白獅子が手ずから集めたものか、凍りついた花が溢れていた。
礼拝堂で動物たちや、傭兵達の若い女性ばかりを氷漬けにしていたのは、あるいは―――。
「我では、この氷は溶かせぬ。せめてもの慰めになれば……と」
――逃避行の旅の、束の間の幸福。
――体を氷結させながら、せめて笑顔を見ていてほしいから、と笑ってみせた恋人の気丈さ。
――流浪の旅の末にたどり着いた、この廃城での静かな生活。
長かった旅路も、どうやらここで終わりらしい。
自分の身はどうなってもいいが、どうかこの女性にだけは慈悲を―――目に涙を溜めながら床に額を擦りつけた白獅子に、カイは言った。
「右手が無けりゃ、氷術ももう使えねェだろう。命まで取る気はねェよ。その女を担いで、とっとと消えな」
しばし呆気にとられた様子だった白獅子は、再び床に額を擦りつけた。
「……かたじけない……この恩義、終生忘れぬ」
カイはもう用は済んだとばかりにマキアの元へと戻る。その途中、なぜかわざわざ大声で独り言を言いながら。
「あーあ、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ハーックション!!!」
「だから鼻水つけんなっつっただろうが、このボケェェ!!!」
氷漬けから解放されたはいいが、すっかり体が冷えてしまったマキアは、山道を足早に下った。
意識を失っている間に、白獅子はカイが焼き尽くしたとのこと。
同じく目覚めた傭兵たちもすっかり元気を失っていたので城の中で休ませつつ、村まで救援を呼びに戻る道中である。
「ったく、あっさりやられちまいやがって。つくづく世話が焼ける宿主だぜ」
マフラーから伸びた左手の指が、ビシビシとおでこを弾いてくる。
「痛い、痛い! 分かったわよ、なんか
今回ばかりはカイの悪態にも反論できない。カイが好んで食べる特殊な魔法生物や植物は高くつくが、今回の報酬が入ればまぁなんとかなるだろう。
「うー、でも体の芯まで冷えたなー。温泉入ってもいい?」
「いいねェ」
相槌を打ってマフラーから顔を出したカイは、後方の廃城をふり返った。
そろそろあの二人も、別の山道からこの山を抜ける頃だろうか。
「―――ったく、氷漬けなんてロクなもんじゃねェよ」
「え、なんか言った?」
「……なんでもねェよ」
魔法が解けて、山道を吹き抜ける風は、すっかり暖かい春のものになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます