第1話

 ずっと開ける機会がなく、開きづらくなってしまった木箱のフタのように固くなってしまったまぶたを開くと、そこは森の中だった。

 暖かな陽光と、それをまばらにする木々の葉。そんな葉が風に揺られて擦れる音や、小鳥たちのさえずりが耳朶に心地良く、ときおり強く吹く風に運ばれてくるのは近くの家々で作られる昼食の香りだろう。

「暖かい……」

 陽光と風が頬を撫でる暖かさに戸惑いながら、自らの手で顔を触る。顔は確かに存在していて、地面には自らの足で立っている。

 体に痛みはなく、それどころか疲労感もなく心も体も軽かった。まさに、生まれ変わった気分だ、というのはこんな感じをいうのだろう。

 そして、背中に走る熱に気付いた。陽光の暖かさとは全く違う、ジリジリとゆっくり焼けるような熱さだ。

 それは、俺の背中に刻み込まれた、暴虐の魔女によって施された『不死の呪い』だ。それを理解すると、今いるここが俺の生まれ故郷の村にあった森の中だと気づいた。

 つまり、不死とは名ばかりで、死ねば過去へ戻り幼少の頃より再出発する、変則的な不死だったということも同時に理解する。

 俺は――俺たちはあの時、不死とはどれだけ傷つこうとも死ぬことなく、心折れるまで敵に立ち向かうことができる存在になることだと思っていた。

 だが、実際は違った。たぶん、あの暴虐の魔女は俺たちがいくら不死になろうとも、魔王にその切っ先を突きつけることすら叶わないと見抜いていたのだ。

 ならば、魔王と相対し、戦い、その一片でも理解した状態でやり直しをさせることで、次回・・勝利を掴むことが出来る可能性を上げることにしたのだろう。

 それを伝えなかったのはなぜか、という疑問も浮かぶ。しかし、今近くに暴虐の魔女は居ないので聞くことはできなかった。

「どうしたの?」

 ひょこっ、と視界の端から現れたのは、同じ年に同じ村で生まれ、共に育ってきた幼馴染のヨウリだった。ヨウリは同い年だというのに心身ともに成長が早く、村の中でも皆のお姉さんのような存在だった。

 当時は、どんどんと先に、大人になっていってしまうヨウリに追いつきたくて仕方がなかったが、今見ると少し成長が早いだけで年相応の姿をしていた。

「いや、別に。暖かいなぁって」

 記憶の奥底に眠っていた暖かな思い出の中にいるヨウリが、当たり前だが当時と同じ姿でいることに胸が締め付けられ、涙が溢れそうになった。

 ヨウリから目をそらして空を見上げると、ヨウリも一緒に空を見上げた。なんら変哲もない青空と、それを隠そうとするように枝葉を広げる木々。

 何もかもが懐かしかった。

「そうだね。とっても暖かい。これからもっと暖かくなって、花がいっぱいさいて、川遊びもできるようになるね」

「うん」

 川遊びも懐かしかった。山の近くにあるこの村は、夏であっても水温は低く冷たい。

 しかし、山から流れる綺麗な水は魚を育み、子供から大人まで皆が皆その恩恵を享受していた。俺たちも、子供のころから遊ぶと共にその日の夕食を捕まえていた。

「どうしたの、ユウト? 元気ないよ?」

 言葉数が少なかったからか、ヨウリは心配そうな、それでいて困ったような顔をして再び俺の顔を覗き込んできた。

 昔から可愛いと思っていたけど、改めて見るとその可愛さが際立った。

 最後にヨウリと話したのは、王軍侵攻の次の年だった。突如として大陸に現れ人里を襲い出した、魔王が操る魔獣と呼ばれる存在に人間の軍が押され始め、その侵攻を食い止めるためにこんな田舎の村にまで徴兵の通達が来たのだ。

 まず来ることがないだろう、と高を括っていた徴兵に対し村は騒然となった。そして、誰を差し出すか、と村長をはじめとした村のお偉方は話し合いに話し合いを重ね、一番生き残る確率が高い――つまり村の中で一番強かった俺を差し出すことにした。

 元から若者が少ない村で、父親が元傭兵であり狩人だった俺は、戦うことから生き抜くための知恵まで父親から余すことなく教え込まれていた。強い、という自負はあった。

 徴兵に送り出すのが俺に決まってから三日後。カウセス王国の首都メイヴェンへと旅立つ前日の夜に、半月の弱々しい光を受けながら朝になるまでヨウリと今までの思い出を語ったのが最後だった。

 夜に年頃の男女が一緒の部屋に居ても、一線を越えることは無かった。いや、傷つけてしまいそうで嫌だった。

 死ぬつもりはなく、徴兵義務を全うして村へ帰ってくるつもりだったが、万が一死んでしまった場合は、ヨウリは不貞を働いたとして村に居づらくなってしまうからだ。

「俺……強くなれると思う?」

 突然放たれた脈絡のない質問に、ヨウリは首を傾げた。

「なれるよ。絶対」

 しかし、首をかしげたのもほんの数瞬のことで、ヨウリは俺が強くなれると断言してくれた。

「魔王が放つ汚らわしい獣は、この手で殺すことが出来た。でも、魔王には近づくことすらできなかった。今までずっと戦って、強くなって、もっと戦って、もっと強くなったのに、俺の剣は魔王に届かなかった」

 それでも強くなれるか、と暗に聞く。俺にだって分からないのに、幼い子供のヨウリから答えが出てくるはずなんか絶対にない。

 郷愁に囚われ悲観的になってしまったのかもしれない。余りにも馬鹿な質問だ。

 しかし、幼いヨウリは滅茶苦茶な俺の問いにも真剣に考えて、答えを出してくれた。

「ずっと一緒だよ。辛い時も、寂しい時も。二人でやれば、一人でやるよりずっとずっと強くなれると思うよ」

 抽象的な言葉だったが、その言葉は俺の胸にストンと落ちてきて、そして暖かなものとなった。

 もちろん、子供の言うことを真に受けるつもりはない。でも、その言葉はまぎれもなくヨウリの今の心の全てだろう。

「今回は絶対に守るよ」

 そう言い、ヨウリの頬を撫でる。

 この村が滅んだのは、大戦の末期だ。

 大戦の初期や中期は、人が少なく田舎であったことが幸いして、魔王軍に襲われることはなかった。それまでは、時間はかかったが手紙のやり取りができたくらいだ。

 しかし、末期ともなれば襲う所がなくなった魔王軍は草の根活動をするかのように、小さな村や集落も丁寧に滅ぼし始めた。

 直接見聞きしたことは無かったが、魔王軍の通って来た道の上にこの村もあったので、滅んでしまったのだと嫌でも理解した。

「私だって守るよ」

 頬を撫でられたお返し、と言わんばかりに、ヨウリは俺の頬を両手で挟んでムニムニと触った。

「――あっ、鐘の音!」

 互いに頬を触り合っていると、村から鐘の音が聞こえた。森に居る子供を集める時に使っている集会場の鐘だ。

 早く行くよ、と急かし走り出すヨウリの背中を見つめ、熱を持つ暴虐の魔女に施された『不死の呪い』に触れる。

 これは、俺だけではなくアリル王子やフリルにも施されている。無事に発動していれば、二人も俺と同じように生き返って――時間を巻き戻っているはずだ。

 フリオはスラム出身と言っていたので、確定した場所は知らない。ただ、首都メイヴェンの近くの町ということくらいしか知らない。

 なら、居場所が分かっているカウセス王国のアリル王子と何とかしれ連絡を取るのが先決だろう。俺の出身地を話したことがあるので、もしかしたら、すでにこの村に向けて出発しているのかもしれない。




 気が逸っているのが分かる。魔王軍が準備を整える前に、魔王を殺せ――と。

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