3.5-4 良くないことが起きてる

 前髪が後退し、頬がやつれ、酒を飲んでもどこかいつものアランじゃない。ユリウスは自慢の洞察力でそう見抜いて、その予測はまさしく的中していた。しかし、当のアランはかぶりを振って気丈に振る舞ってみせた。


「君たちに愚痴をこぼしても仕方がないな」

「強化スーツは完成したのか?」

「デザインは以前とほぼ変わらないが、機能は随時アップデートしている。ユリウス、君の戦闘データは非常に役立っているよ」


 アランにそう言われ、ユリウスは肩をすくめた。褒められて悪い気はしないが、ヨルゴスとの戦績は芳しいものではない。三戦のうち二回は来臨形態解除まで追いつめられているのだから、ユリウスの微妙な反応はそのためだった。

 そんなことは露知らず、アランは酒の所為か饒舌に語った。


「少なくとも、私が初めて装着したものとは比較にならないほど良くなっている。あれはもはや、厚手のオーバーオールさ。あれを着てよく生き残ったものだ」

「それは、アメリカの兵器開発に一日の長があったからでしょう。適合値の低い者しか現れなかった分、これまで培ってきた戦争に関わる技術が活きた。日本の場合は逆ですわ。適合値の高い者がいたからこそ、その存在に甘えヨルゴスに効果的な兵器開発が積極的に行われなかった」


 赤ら顔の尾塚も舌がよく回った。尾塚の言い分からして、彼もまた国民の危機感の薄さを嘆いているのだろう。ヨルゴスが日米以外の地でも出現する兆候、それを無視できない現状があった。ペタルダだ。中国海南省で四季折々の花が咲き乱れるユートピア現象、直後に蝗の大量発生が起きたことから、ペタルダがその地に降り立ったことは間違いない。にもかかわらず、欧州の反応はまさに対岸の火事と呼べるほどの関心の低さだった。それよりも移民や無差別テロなど、人間が巻き起こすトラブルの方で手一杯だ、とでも言うように。

 実際に自分の身に火の粉が降りかからなければわからないのが人間という生き物だ。比較的平和な時代が続いた副産物なのかもしれない、できれば杞憂であってほしい。そのような尾塚の不安は、得てして避けようのない筋道を作るものだ。

 やや緩んでいた表情を引き締め、アランはユリウスを見つめて告げる。


「ともかく、ゼータフォースは形にはなってきたが、実戦経験を持つ兵士は私以外にいない。そのうえ、私も実践から離れて久しい。だからユリウス、直近にヨルゴスと対峙した君から、こうして直接話を聞きたかったんだ。データにはない情報を、君の口から教えてほしい。協力してくれるか?」


 誠実そのものの感情で訴えるアランに、ユリウスは微笑混じりに答えた。


「ノーとは言えない雰囲気だな」

「もちろん、君のために良いものも用意してある」

「良いもの? 秘密兵器とかだと嬉しいんだけどな」

「そのまさかさ」

「何だと?」

「さあ、どうする?」


 冗談で言ったのが本当だったとは思わず、ユリウスは動揺する。アランは不必要な嘘をつくような人間ではない。彼の言っていることは本当だろう。にわかに色々な想像が頭に浮かぶユリウスに、尾塚は口角を上げて優男を弄った。


「まんまと嵌められたな」

「うるせぇ、元から断る気なんてなかったっての」

「交渉成立だな」

「ちょい待った。アラン、その前に一つだけ質問させてくれ」

「いいとも。何だい?」


 前傾姿勢を取ったユリウスは、声を低くしてある人名を口にした。


「ホアン・マクレモアを知ってるだろう?」

「ああ」その名を聞いたアランの表情が曇る。「まさか彼がヨルゴスだとは思いもしなかった」

「周りの人間の中で、奴の正体を知っている者はいなかったのか?」

「ホアンに近しい人の多くが、マインドコントロールを受けていた。彼らは何も覚えていなかった、ホアンの――アノイトスのことを」

「自分が死んでも証拠が残らないよう、記憶を消失させた?」

「おそらくは」


 ハイウェイを走るリムジンの窓に、平凡な下町の町並みが流れ映っている。それに意識がいってしまうほど、車内の沈黙は長く蔓延った。ユリウスと目を離さない英雄の言葉に嘘はなく、気まずくなったユリウスは視線を窓の外に移した。

 次に口を開いたのは尾塚だ。その赤ら顔に変化はなかったが、ほろ酔いで上機嫌だった先ほどまでとは違う雰囲気を漂わせている。


「アラン、あんたの言い分だと、近しい人の少数は正気を保っていたことになりますが?」

「ああ、そうだ」尾塚の質問に対しても、アランは真正面から答える。

「その人らは、ホアンを人間だと信じて疑わなかった。調査機関が出した結論はこうだ。〈ホアン・マクレモアに成りすました十七年もの長い潜伏期間を経て、アノイトスは人間社会に溶け込み、地球環境に適応していった〉」


 やはりと言っては失礼かもしれないが、アランの言葉に後ろめたさのようなものは感じられず、ユリウスは背もたれに寄りかかって一抹の安堵感を覚える。しかし、彼の口から出た言葉はその感情と真逆のものだった。


「そうかい。それを聞いてますます不安になったぜ」


 アランと尾塚は同時にユリウスを見つめた。そして、彼の次の言葉を待った。


「もしかしたら、ヨルゴスは俺たちのすぐ近くにもいるかもしれないってことか」


                 ***


 それから少し経って、口が寂しくなったという尾塚の一言がきっかけとなり、彼らは最寄りのSAで休憩することにした。場違いなリムジンを横目に、尾塚はアランを連れて紫煙を燻らす。人気のない所に置かれた、廃材のように錆びだらけのスタンド型の灰皿がポツンとあった。とても喫煙所とは呼べない場所で、尾塚たちは静かな大人の嗜みに勤しむ。アランは健康を気取って水蒸気タバコに変えていたが、尾塚は専ら紙巻きのものを愛飲していた。


「しばらく見ないうちに、彼も立派に成長したものだ。わんぱく坊やだった頃が懐かしい」

「本人に言ったら怒られちまいますぜ。子ども扱いするなってね」


 二人とも言葉少なだった。会話などという行為は大人の嗜みの邪魔にしかならない。

 しかし、情報収集なら話が違ってくる。アランと二人だけの状況を作り出した張本人の尾塚は、タイミングを計ってその時を待った。燦々と降り注ぐ陽光が小さな雲に遮られ、ちょうど相手が一息ついた。

 何気ない声音を取り繕うまでもなく、尾塚の態度は怖いほど自然だった。


「アラン、俺からも一つ訊ねておきたいことがありましてね」

「何だい?」

「……ヤタガラス」


 長閑な空気が一転、張りつめたものになる。再び強くなる日差しを意ともせず、尾塚は空を眺めながら低い声で続ける。アランの視線の先も同じ空だった。


「あいつは〈ヨルゴスの来寇〉の際に、日本でα―Ⅰ型に撃破されたはずだ。だがその後、奴さんの遺体は米軍に回収されたと聞いている。米政府はβ―Ⅴ型に酷似したヨルゴスと煮え切らない回答をしているが、ありゃまさしく同一のものだ。いや、それどころか――進化していた」


 尾塚は悟られぬよう注意して、アランの横顔を凝視した。感情の揺らぎは動作となって自然と表れるものだが、アランの動作に不自然なものは見受けられなかった。そのことが、尾塚にとって逆に不自然に感じられた。目に見える動きは訓練によって変えられるが、雰囲気や気配といった目に見えないものはそうはいかない。尾塚がヤタガラスと発した直後の空気の緊張は、未だに続いている。

 この間、数瞬の沈黙であったが、それに耐えられなくなったのは尾塚の方だった。


「二本足が三本足に、重力を操る力は飛行機を制御不能にするほど強力なものに。さらに言葉も話したなんてウワサもある。それらについてはどうお考えで?」


 これはアランに対する信頼を量る目的もあった。英雄の信頼を量るなどおこがましいかもしれないが、尾塚は損な役回りを楽しむ性格だ。時間的猶予、立場上の問題、そして盗聴器すらない空間で、彼に踏み入った質問ができる機会など今しかないのだ。

 並々ならぬ覚悟で腹の内を探ろうと試みた尾塚だったが、紫煙を吐いたアランの回答はごく淡白なものだった。


「尾塚、私からは何も言うことはない」


 それまでの誠実な対応が嘘のように、アランは会話を中断してリムジンの方へと戻っていった。しばらく呆気にとられていた尾塚は、三センチほどに伸びた煙草の灰に気づいて灰皿に手を伸ばす。すると、錆びた灰皿の片隅に、いつの間にか手で引き千切られた紙片が置いてあるではないか。恐る恐る尾塚はそれを手に取る。紙片には毛虫のような筆記体でこう書かれていた。


 Something’s wrong with our military


――良くないことが起きてる


 物分かりのよい尾塚は鼻で笑い、その紙片をさらに細かく引き千切り、煙草の火を当ててこの世から消滅させた。それがアランの望んだことであり、最適解だった。

 やはりこの件は一筋縄ではいかないようだ。アランが上層部から口止めを食らっている以上、捜査は難航を極めるだろう。炭化した紙片をすり潰すことでしか、尾塚は鬱蒼とした気分を晴らすことができなかった。照りつける太陽はこんなにも眩しいというのに。

 ユリウスに話すか? いや、いずれ近いうちに知ることになるだろう。今は任務に専念させてやった方がいい。へ、ロマネ・コンティの味が懐かしいぜ……。

 心の中でそう呟いた尾塚は、頭を掻きながら喫煙所を後にした。

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