3-16 闘志に燃ゆる朝
『え?』
古城と小向の反応は全く同じだった。偶然にも手前の信号が赤に変わり、古城はブレーキペダルを踏んで隣を振り返る。車内は仄暗く、望の表情は読み取れなかった。
『ゼトライヱが? ヨルゴスじゃなくて?』
『争いのない世の中なら、正義の味方は必要ないでしょ? でも、そんな事ありえないってわかってる。ただの理想論よ』
『理想論か。何を言うかと思ったよ』
安堵の声を出す古城。盗聴していた小向も、前に乗り出した姿勢を元に戻した。
先ほどとは異なる沈黙が流れ、やがて望は独り言のように口を開く。
『もしも全てが日常のままだったら、日本もちょっとは平和で、ヨルゴスの所為で悲しむ人もいなくて、ゼトライヱも……。そしたら私とコシローは、もしかしたら違うカタチで出逢っていたのかな』
「むぐ、ゲホッゲホッ……! の、望さん!?」
言葉だけ聴けば、告白の返事とも読み取れるものだっただけに、小向は思わず噎せてしまった。心意はその人のみが知るところ。ともすれば受け取り方もその人次第だ。固唾を呑んで耳を傾ける小向だったが、
『上手くはいかないものさ、何事も』
古城の返答は意外にも淡白なものだった。何事もなかったように車は再び動き出す。
夢という話題からこのような神妙な雰囲気になるとは予想しておらず、小向は任務であることを忘れて部屋に一人でドラマを観ているような感覚に没入していた。実際、人の数だけドラマがある。その数えきれぬ内のたった一つを、小向は人知れず聴いているのだ。
そんな淡い好奇心に負けて盗聴を続ける小向の耳に、古城の声が届く。ついさっきの淡白な返事とは打って変わって、実に朗らかな声音だった。
『でも、俺はゼトライヱに感謝しているよ。ヨルゴスこそ倒せなかったけど、函館の被害を最小限に抑えてくれたじゃないか。見た目も正義の味方っぽくて、年甲斐もなく感動したよ』
『見た目って、姿を見たの?』
『SNSで動画が出回ってきてね』
『そうなんだ……』
常盤色の戦士の動画については小向も確認済みだった。動画はそれぞれ異なる地点で撮影されたようで、数は十程度。戦士の正体は志藤塁であるという秘密が暴かれるような内容でないことから、ゼナダカイアムの検閲を通り、それらの動画はネット上で拡散されまくっている。報道番組はしばらくネタに困らないだろう。
『ビーム攻撃みたいなので空に広がる群生相を切り裂いたとき、何だろうな、上手くは言えないけど希望を感じた。今度は必ずやっつけてくれるっていう希望を』
希望という言葉通りの感情を表す古城と、望の反応は驚くほど対照的だった。
『……コシローにだけは話すね。今の時点であのヨルゴスを倒す算段はついてないの。私たちも最善を尽くすけど、函館の景観を護れるかどうかはわからない』
『らしくないな。野球をやってた頃の宇津木は、どんな時でも勝つことを諦めなかった』
『それとこれとじゃ話は別よ』
ナーバスな空気が車内を漂う。古城は何も話さずに路肩に車を停めた。
超常現象を巻き起こすペタルダという怪物は、一人の女性を恐怖に陥れた。町並み、生態系、大切な人。日常を奪わんとする者に、彼女の心は反理想郷へと誘われたのだ。
そんな彼女を慰め、再び希望を与えられる役目を担うのは誰か。小向は自分ではないと悟り、そして、憂う女性の隣にいる男性に頼るしかなかった。おそらく望も、彼から励ましの言葉を受け取りたいと切実に思ったに違いない。
古城は期待を裏切らない男だった。
『悲観と楽観、どちらも考えることは構わない、それが勝利の道筋になるのなら。宇津木、まずは君のやるべき事をするんだ。ヨルゴスと人類の戦いは始まってしまった。その現実から目を逸らしたくなるのもわかる。
でも、だからこそ正義の味方を信じて、頑張ろうと思わないか? 俺は信じるよ。ゼトライヱが護る世界を理想に近づけるのは、他でもない俺たちの役目なんだから』
『コシロー……』
望が安堵の声を漏らす傍ら、謂れもない恐れを抱く小向がいた。もしもこれで、古城が我々の味方でないとすれば、望から揺るぎない信頼を得たことになる。そのような仮説が彼女の脳裏に過ったからだ。
『また勇気づけられちゃったね、ありがとう』
『よかった。宇津木は笑顔の方が似合うよ』
『えへへ。……あれ、おかしいな。私、なんでまた泣いてるんだろ』
『参ったな。これじゃ俺が悪い男みたいだ』
『ごめん、グスッ、ごめんね……』
望の泣く音声を聴くのはこれで二日連続だ。感傷に浸りたい小向であったが、焦りの感情の方が邪悪に強まっていくのを感じた。良い関係の女が側で泣いていたら、慰めるのが男の務めというものだろう。恋愛漫画の読み過ぎで、小向はそんな固定概念を抱いていた。二度もチャンスを逃す男はいない。
しかし、幸か不幸か小向の予想はあっさりと外れてしまった。
『さあ、気晴らしのドライブは終わりにしよう。来たるべき明日に備えて』
『うん』
健全で爽やかなやり取りの後、古城は車を発進させた。燃え上がるようなキスやそれ以上のものを想像していた小向は、彼らの行動に不自然さを感じるも、やがて自分の浅はかな思考を恥じた。
その後、古城は昨日と同じように望を宿泊先のホテルへ送った。二人の間に疚しさを感じさせるものはなく、夜は静かに更けていく。本来彼らしか知ることのない特別な時間。それを盗み聞きしていたなんて望さんには絶対に言えないし、古城って人の気持ちも全然わからない。
罪悪感と猜疑心に苛まれる小向隊員。ウンウンとひとり唸っている彼女の首筋に、突如氷のような冷気がピタリと張りついた。
「ヒャッ!?」
色気のない悲鳴を上げて小向が後ろを振り返る。すると、そこにはグラスを手に持つ意地悪な眼鏡の先輩の姿があった。
「もー! サイテー!」
「ごめんごめん。悪気はないよ」
小向は先輩の手からグラスをふんだくり、プイと顔を逸らした。夜中になると先輩の蓮見がアイスティーを差し入れてくれる。そういう習慣があったからギリギリ許せたものの、小向は蓮見を睨んで不満を露にした。
「何なんですか、まったく」
「やっと終わったんだ。古城隼人の身辺調査」
「え、ほんとですか!? 結果は?」
そう訊ねると、蓮見は瞳を閉じて表情を消した。結果を危惧する小向は、妙に高鳴る心臓を治めるように胸に手を当てた。そのとき、彼女は初めて知るに至った。その心内に古城を信じたいという願いがあることを。
眼鏡をクイッと直した蓮見は息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。
「シロです。純白、潔白、ピュアホワイト! 本人も親族も何ら怪しい人物ではありません。強いて言えば本人が怪しい経歴の持ち主でしたが、それも正式な申請を経てのものでした。単に律儀で、不器用で、一途な男ですよ、古城隼人という人は」
「よかった……。あの人が悪い人だったら、もう私誰も信じられなくなるとこでした」
心の底から安堵の声を出した小向は、自分用にアレンジされた甘ったるいアイスティーを口に入れた。裏切られないというのは本当に素晴らしいことだ。
ご機嫌にプレッツェルを頬張る小向の傍で、蓮見はまた眼鏡に手をかけて告げる。
「だけど彼、女を落とす才能はありませんね。宇津木さんが泣いているときに優しく彼女を抱きとめていれば、もうしばらくドライブは続いたかもしれなかったのに」
「わかってないなぁ、先輩は。プラトニックなのがいいんですよぉ。……ん?」
不意に違和感を感じた小向は、すぐさましたり顔の先輩を指差して大声を上げた。
「先輩、望さんたちの会話聴いてたんですかぁ!?」
「そりゃ、会話の記録は情報収集の基本ですから」
悪びれる様子もなく、むしろ当然といった風に胸を張る蓮見に向かって、小向は露骨に嫌な顔をした。その日からしばらく、ありもしない盗聴器を警戒する隊員の姿があったのは言うまでもない。
***
翌朝、三沢基地。
三登里は夢の中でときめきに溺れていた。目覚めの直前に見る夢というのは、より鮮明に、より臨場感の溢れているのものだ。一つの部屋に二人きりというシチュエーションだからという理由を発見できたのにもかかわらず、三登里はその夢に歓喜し、甘んじて受け入れていた。
ベッドに横たわっている自分に跨り、優しく抱いて名前を呼んでくれる私の王子様。
「有佳! おい、起きろ有佳!」
「う、うーん……」
現実は非情だった。ぐわんぐわんと肩を揺さぶられるのが美化されていることに三登里は気づかなかった。室内はまだ暗い。目を開けた先にブロンド髪の王子様がいるという状況は、寝起きの乙女が勘違いをするに充分すぎる要素だった。
「……へ!? ま、待って! 心の準備が!」
「寝言はいいから早く! ほら、ここ見ろ!」
幼馴染のことは気にも留めず、ユリウスは興奮気味に彼女のタブレット端末を持って画面を指差す。三登里の淡い夢は泡沫のように消え去り、代わりに無味の現実感が彼女を襲う。寝癖のついた髪の毛を梳かす猶予もないようで、三登里は諦めてユリウスの言うことに従った。
例の映像には、例によって凛とした大和司令が画面中央に映っており、それ以外に注目すべきところはないように見えた。しかし、撮影場所である薄暗いゼナダカイアム司令室上段、その背景に一つだけ、明るく光るものがあった。
啐啄同時
司令の背後にあるモニターには四字熟語らしきものが表示されていた。先日、動画を閲覧してもそのような違和感は覚えなかったのに、と三登里は怪訝な表情を浮かべる。
「モニターに何か文字が映ってるみたいけど……?」
「主任がピースしてただろ? あれはピースじゃないんだ。〈動画の二秒のとこに注目しろ〉ってことだったんだ!」
「えぇ? そんなわけないでしょ」
三登里は呆れてそう言ったが、どうやらユリウスは本気のようだ。確かに動画は二秒ジャストのところで停止しているが、それが決定的な証拠たらしめるかどうかは判断がつかない。
「いいから、このナントカどうじっていうのを調べてくれ、大至急!」
「んもー、わかったわよ」
王子様の頼みを拒むこともできず、三登里はぶつくさ言いながら端末を操作した。ユリウスは見た目こそ完全無欠の王子様で隙がないけれど、実は機械と漢字に弱いという欠点がある。彼一人だったら自分で調べるということを放棄していただろう。
一分とかからずに三登里は例の四字熟語を調べてみせたのだった。
「ええと、読み方は〈そったくどうじ〉。意味は〈絶妙の機を逃さない〉……!?」
そこまで読み上げた三登里はハッとして、ユリウスの方を振り返った。ユリウスはやおら口角を上げ、確信を得た表情で口を開く。
「やっぱり……。ふざけた動画を寄越してくれたと思ってたがとんでもねぇ、これは俺に向けた暗号だったんだ」
「つまり、その時が来たらユリウスは現場に急行しろってこと?」
「ああ、よーくわかったぜ。こんな辺鄙な場所に、俺とルークを配置した意味がな。にしても司令のやつ、もうちょいわかりやすいメッセージを送ってくれよ」
愚痴をこぼしながらも嬉しさを隠しきれないユリウスの傍らで、哀然と口を閉ざす三登里の姿があった。平穏な日々は〈ヨルゴスの再来〉以降、日常的に訪れるものではなくなった。真っ向から危機に挑み、護るべき者のために戦わなければならない。戦士とともに歩むとはそういう事だ。
時間が経つ毎に頭の中がクリアになっていく。甘い夢の続きはとても見れそうにない。ただ、三登里は触れ合う手の甲の温もりをいつまでも感じていたかった。そんな淡い願いさえ、ユリウスがすっくと立ちあがることで終わりを迎えた。
「こうしちゃいられない。SR走法の準備には時間がかかるんだ。有佳、すぐに支度しろ」
切なさをギュッと胸にしまい込んで、三登里は力強く頷くことでユリウスに応じた。
導かれた一つの事実は、その時がすぐそこまで迫ってきているということ。その時のために彼が積んできた修練の苛烈さは、見守っていた私だけが知っている。ならばそれを信じてあげようと、三登里は心に誓った。
時刻は午前五時をまわったところ。函館で姿を見せなかった方のゼトライヱの適合者は、晴れやかな秋の朝日と同じ色の闘志を静かに燃やして、海峡のある方角を見つめた。
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