3-14 空を飛べたら

 襲来したヨルゴスをペタルダと呼称することに決定してから数時間後、古城が現場でバッタ駆除に追われていた頃に志藤塁は目を覚ました。

 望に自分が気絶した後の経緯を話してもらった適合者は、多大なる責任を感じていた。特に、観光都市として名高い函館市を護れなかったことをとても悔やんだ。地元である大七日はこの手で護れたのに。もしかすると自分の中で弱い意識があったのかもしれない。何者にも屈さない強い意識があれば、あの妖蝶に光球を当てられたかもしれない。災害に見舞われた市民のことを思い、塁は心を痛めた。

 大和司令から通信が入っていると幼馴染に伝えられ、塁は病室のベッドに横たわっていたが体を起こし、背筋を伸ばした。


「志藤です。司令、聞こえますか?」

『ああ。体の方は大丈夫か?』

「少しだるいですけど、心配ありません」


 モニター越しの大和司令の感情が読めず、そうかと思えば殺気立っているようにも見え、塁は自責の念から深々と頭を下げた。


「あの、それで……すみませんでした! 司令の忠告を聞かず、あいつも倒すことができなくて……!」

『お前の謝罪を聞くために通信を繋いだわけじゃない。申し訳ないという気持ちは全て、任務を全うすることにぶつけろ。わかったな?』

「は、はい!」

『ところで宇津木、悪いが席を外してもらえないか』


 望は塁の身を案じるような視線を送ったが、大和の指示に従った。病室は塁一人だけとなり、姿勢を正していた塁はそれだけでは飽き足らず、ベッドの上で正座をした。それがせめてもの誠意の表し方だと考えたのだ。

 通信相手の大和は畏まる彼のことを別段気にもせず、いつもの調子で言い放つ。


『では、志藤塁。これからお前にペタルダの撃退方法を教える』

「はい!」

『疑問はないのか?』

「へ?」

『あるなら先に教えろ、とは思わなかったのか?』

「あ、確かに!」

『……話を続ける』


 なぜ司令が本題に入る前にそのような事を言ったのか塁は疑問に思ったが、余計な茶々を入れず次の言葉を待つのがベターだと考えた。


『ペタルダは、函館山のどこかに潜伏しているものと思われる。再び飛行する前に発見できればいいが、今はお前に最悪のケースを想定してもらう』

「つまり、ペタルダが復活して、飛行を再開した場合ってことですか?」

『フッ、惜しいな』大和は珍しく口角を上げた。

「あれっ」

『では、奴がどこに向かって飛ぶのかを当ててみろ』

「え、ええと……」


 口籠もる適合者をしばらく見守る大和だったが、彼の脳裏に答えらしきものは一向に浮かんでこない。やがてしびれを切らしたように大和は再び話しだした。


『ヨルゴスは海水に弱い。ならばペタルダも、内陸部に向かって飛行するものと推測できる。実際に、奴が東の陸部から風に乗ってここまで来たときも、海面上には行かず常に内陸の上を飛行していた』

「なるほど。ペタルダは海のない方向に向かって飛んでくるんスね。それで、接近した時に俺がコードL.D.Sを打てばいいと」

『その方法もある、が……』今度は大和が苦い顔をして言い淀む。

「司令?」

『奴は学習してしまった。お前の存在を感知したら、お前から遠ざかるように行動する可能性が高い。そうなると厄介極まりない。海上に出られたら、日本の領空でミサイル等の火器を使用しなければならない。それが最悪のケースだ』

「じ、じゃあどうすれば?」


 日本の国土で火器の使用は避けたいという意図は充分に理解できたものの、肝心の方法が皆目見当もつかずに塁は戸惑う。それを指し示してくれるのを期待するような眼差しを、塁はモニター越しの司令に向けた。

 それを受けた大和の双眸もまた、いつも以上に鋭さを増して適合者を見据えている。

 そんな豪然とした司令の様子からよもや突拍子もない事を言われるなど、志藤塁は想像もしなかっただろう。


『単刀直入に伝えよう。志藤塁!』

「はい!」

『翼を授かれ』

「は、はいぃ!?」


 驚愕と困惑の入り混じった返事が、適合者の声を裏返らせる。瞠目しながら身を乗り出す塁とは対照的に、大和は凛とした表情を決して崩さなかった。

 信じられない事に司令は大真面目だ。生唾を飲みこみ、塁はそう判断した。


『これからお前に一つの映像を見せる。それが答えだ』


 翼を授かれとは一体。まさか戦士の体から翼が生えて、空を飛んでヨルゴスと相対するとでも言うのだろうか。少し考えてみれば、大和司令が比喩的にまどろっこしく説明するような性分ではない事を、志藤塁は承知していたはずだ。だが、その画質の悪い映像をこの眼で見るまで、彼は自分の仮説が真であるとは夢にも思わなかった。


 妖麗なる淡紅の光をその身に纏う漆黒の戦士。ゼトライヱα―Ⅰ型。

 伝説とされている戦士が、沈みゆく夕日を背景に、高くそびえるビルの頂上、その一端に屹立している。その様子を、別の高層ビルの窓から撮影されているという視点で、映像は始まった。ブレ具合からいって、撮影者は単なる一般人だろうか。

 優雅に立つ戦士が腕を抱くようにして背を丸めると、やがて淡紅の光は戦士の肩甲骨辺りに収束し、対称的な幾何学模様を描いて身体の一部と成った。折り畳まれていた翼を左右に広げ、彼方を見遣るその御姿を戦士と形容するのはナンセンスだろう。

 翼を有し、人の形をしながら人を超越した存在。


 天使。いや、あるいは悪魔か。


「ゼ、ゼトライヱに翼が……!?」

『来臨有翼形態。α―Ⅰ型の適合者が得意とした戦闘フォルムだ』


 翼を得た者は臆することなく、段々と前のめりになってついに地面から足を離す。勿論、そのまま自由落下はしない。α―Ⅰ型は身を翻して空中で停止し、翼をひとつ羽ばたかせると、驚くべき速さで元いた地点よりもさらに高い上空に到達した。

 そして、何かに狙いをつけたかと思うと、α―Ⅰ型は忽然と姿を消した。否、飛行速度が極まって、市販のビデオカメラでは捉えることができなかったのだ。秒間に数度、衝突音と共に黒い物体が赤橙の空に舞う。一度は追おうとした撮影者もついに断念し、上空を映すことに切り換えた。

 辛うじて認識できる残像は常に交差しており、それぞれ異なる地点で何度も同じ現象が起きる。

 二つの存在――ゼトライヱとヨルゴスが、目に止まらぬ速さでドッグファイトをおこなっている。空中での高機動戦闘。映像は三十秒間にも満たずじきに終わったが、適合者である志藤塁は暗い画面に映る自分自身を唖然として見続けた。


『本来なら、これを習得するために高い来臨係数を維持できる力が必要となる。今のお前の数値では到底無理難題の技術だ。だが状況が状況だけに、そうも言ってられん。ペタルダがどの場所を浮遊しても対応できる策となれば、志藤塁、お前が翼を授かることが最適だと結論づけた』

「俺が、翼を……!?」


 塁の声に驚きの色が消えることはなかった。常盤色の戦士になって、強く念じればヨルゴスを打ち倒す力を引き出せるのは事実だ。けれど、Zレガシーに熱いものが滾っていく感覚と同じように、背中にもそれがビビッと伝わってくるのだろうか。

 良くも悪くも地に足をつけて生きてきた。足腰を鍛えなければプロ野球選手にはなれない。ジャンプしながらバットを振ってもホームランは打てない。……打った人はいるけども。転々として定まらない思考は塁をますます当惑させた。

 この時点で、司令と適合者との間に予期せぬ意識のズレがあった。相手による過大評価と自身の過小評価という、ある種致命的とも言えるズレだったが、心配はしなくていい。大和の企てた策略は、大筋のところで何とかハマっているのだから。

 それを表すかのように、大和は塁に強い言葉で励ました。


『もっとも、α―Ⅰ型のように縦横無尽に飛び回ろうとしなくていい。お前は、ペタルダを地上に落とすことだけに専念しろ。後は我々で何とかする』

「翼を授かる……空を飛ぶ……えぇ?」

『できないとは言わせないぞ。お前のバットとボールは、一体誰が生み出した?』

「それは、まあ、俺ですけど……」


 何とも歯切れの悪い返答具合に、大和は苛立ちを募らせる。ヨルゴスに対峙する時の思い切りの良さを買っての提案だというのに、当の本人がこれでは務まるものも務まらない。その思いが顔に出たのか、大和の捕食者のような鋭い眼光に耐え切れず、塁は視線を外し頭を掻いた。

 ひとつ大きな息を吐いた後、大和は弱気な適合者に向かって告げる。


『とにかく、翼を授かる想像力がないのならつけるまでだ。ペタルダが現れるまでの特訓を課す。ブツは阿畑に用意してもらえ、わかったな?』

「あ、ちょ……!」


 有無を言わさず通信を切られ、正座を崩さなかった塁は緊張していた肩をゆっくりと下ろした。病室は至って静かで白色の物が多く、不安定だった思考は一時の落ち着きを取り戻す。

 しかし、塁が抱いた疑心は晴れることなく、それどころか深まる一方だった。


「生えんのか、マジで?」


 肩甲骨の辺りをさすりながら、翼を授かるイメージを描く志藤塁。

 それは炭酸の泡沫のように、あっという間に彼の脳裏から消えてしまった。

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