第12話「相葉浩二」

 黒いセダンを飛び降りた恭子は一目散に市役所の時間外窓口へと走った。


 そして建物内へと入った恭子が息を切らせながら2枚の書類と本人確認用の学生証を机の上に置く。


「お願いします、急いでいるんですっ!」


 恭子の慌て様に市役所の職員が驚きながら顔を見せたが、机の上に置いてある書類を見ると流石に困り果てた顔つきに変化した。


「いや……貴女、急いでいるって、これ婚姻届けよね?それにどう見ても未成年……高校生くらいに見えるんだけど」


「私はもう16歳ですっ!保護者の同意書もありますっ!お願いします、早く受理してくださいっ!」


 恭子が必死に急かすも、職員の女性は『いやいやいや……それはちょっと』と自分の独断では決して受け取れないという姿勢を露わにする。


「でもね、貴女……いくら何でも肝心の貴女のお相手も貴女の保護者も連れずに、しかも休日窓口に来られても流石に受け取れないわ……それに休日窓口って受理というより預かるだ―――」


 その時だった。


 職員デスクが並んでいる奥の裏口から現れた一人の男性が割りこむようにしてその書類を覗き込んでいた。


「相葉課長!休日ですのに何かご用事でしたか?」


「いや、ちょっと忘れ物をね。それよりもお嬢さんがお困りのようだが一体どうしたというのかい?」


「あ……とっちゃんのおじ―――」


 その男性は恭子の声を遮るように、女性職員の見えない位置から『シー』と人差し指を口に当てるジェスチャーをする。そして彼は優しく微笑んだ。


 その男性は紛れもなく、都華子の父親だった。


「聞いてくださいよー、課長!この子どうみても高校生なのに休日の窓口に一人で来て婚姻届けを受理してくれって……無茶振りにも程がありますよね?」


「確かに未成年の子が一人で婚姻届けを提出しにくるというのは余り聞かない話だが、何か書類や提出物に不備があるのかね?」


「えっ……いえ……婚姻届け自体も……保護者の同意書は……ちょっと文面は気になりますが、同意と取れる内容ですし……不備はありませんが、でもですね、これを受理するのはちょっと……」


 都華子の父親は困惑している女性職員に対して堂々と言い放つ。


「市役所の職員はいつ何時も公正であらねばならない。私が知るところでは未成年が一人で休日の窓口に婚姻届けを提出してきてはいけないというルールはない。つまりルールがないのに受け取りを拒否するのはこちらの不備ではないかな?」


「いや……確かに課長が仰ることはごもっともですが……」


「こちらのお嬢さんには本日付で入籍しなければ人生に関わる問題があるかもしれない。法改正のある来年までは保護者同意があれば16歳でも婚姻が可能であるのはれっきとして法で認められている。そして、その方に対しこちらの不始末で受理しないというのは不公正と言わざるを得ない」


「……」


 ぐうの音も出ない女性職員。


「確かに前例のないこと状態で受理をしてしまえば何かの過ちに繋がるかも知れない。しかし、もっと確かなことはここで我らが我らの判断だけで拒否をしてしまえばこのお嬢さんがまさに今のその顏のようにとても悲しい想いをするだろう」


「責任は課長である私が持つ。こちら方に書類上に不備が以上、こちらも不備の無い対応をしなさい!」


「はいっ!承知しました!」




 恭子にとって待合のソファーに座って処理を待つ数十分はまるで永遠かのように思えたが、それでも一枚の紙を持って自分の良く知る親友の父親がとてもとても穏やかな顔で近づいて来るのを見て希望が芽生えた。


「恭子ちゃん、待たせたね。今日ことは家内から聞いている……本当によく頑張った。これが婚姻届受理証明書だ。ほら見てごらん」


 不安で一杯だった恭子の口から案著の言葉が漏れる。


「とっちゃんのおじさん……」


 恭子がそう呟きながら彼の指差す書類の一部分に目を向けた。


「本当の受理は休日を明けてからじゃないと駄目なんだけどね。ちょっとだけルールを破ってしまったが、私が保証しよう。『渡辺恭子さん』」


 そこには確かに純一の性で恭子の名が記されていた。


 そしてもう一つのものを恭子に手渡しながら、彼は小さな声で優しく言葉を続けた。


「ご結婚おめでとう。これはこの市役所がお祝いとして入籍した人に渡している記念品だよ。鉢植えは荷物になるだろうから後で届けてあげよう。だから今はこの一本だけを持っていきなさい」 


「これって……」


「”バーベナ”さ。花言葉は”家族愛”。キミはこの日をもって一番に愛していて、一番に信頼できる男性と”家族”になったんだよ」


 恭子はピンク色の一本の花を大事に大事に握りして、そして繰り返し繰り返し都華子の父親に礼を述べていた。



「あともうちょっとだ。警察署では私にとって一番に愛していて、一番に信頼している人がキミを助けてくれるはずだ」



 彼は必死で涙をこらえる恭子の背中をそっと押す。



「大切な家族を迎えに行ってきなさい」

 


 顔を上げ、前を向き、愛すべき者の元へ強く強く歩む。彼女の名は――渡辺恭子。

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