第8話「不調?好調?九州支社での初出勤」


 一番目が覚めやすいと言われる、中央の小さなハンマーが左右のベルを交互に叩く原始的な目覚まし時計をセットしていた。


 もちろん保険でスマホの目覚ましもセットしていたが、結局それらが鳴る前に目が覚めてしまう。



 ピコン。


『おじさん、おはようございます。昨日はすみませんでした。ちょっと感情的になってしまいました』


 ピコン。


『おじさんが一生懸命お仕事を頑張っているのを知っているのに、一方的なことを言いかけてしまって凄く反省しています』


 ピコン。


『でも、心配で心配で仕方がないんです』


 ピコン。


『自分ではどうしようもないくらい、他の事に手がつけられないくらい、心配になっちゃうんですっ。やっぱり鬱陶しいでしょうか?もし、嫌気が差すようでしたら……』


 こんだけピッコンピッコン鳴ってたら目も覚めるがな。


 昨日から通算30件以上既読無視をしていたから何か返さねばと思い、色々と内容を考えていた。


 本来なら『嫌いになんてならないさ、昔から恭子は俺にとって大切な人だし、学生の時から無茶ばかりしている俺のことを心配してくれてたり、子供ながらに助けてくれたりしていた家族同然の恭子のことが好きであっても、絶対嫌いになんてならないさ』的なことを打ち込もうと思っていたのだが、余りにも頭が働かず、長文を打つのが億劫だったこともあり……



『好きだよ恭子』



 前後色々すっとばしちまったけど、なんせ長年の付き合いなんだ、恭子なら俺の言わんとしていることくらい理解してくれるだろう。


 俺が返信した直後からピッタリ通知が止まったのは気になるが、まあ、返信があった=安否を確認できた、ということで恭子も安心してくれたんだろうな。



 っと、恭子のおかげでちょっと早めに起きることができたが、そう悠々としてはいられない。


 今日は九州支社での初出勤なんだ。2時間ほどしか寝れなかった俺は昨日真希先輩が買ってくれた栄養ドリンクを2本飲みして缶コーヒーとサンドイッチを貪りながら、替えのスーツに袖を通した。そして顔を洗って、髭を剃って、歯を磨いて……



 さあ行こうか。



※ ※ ※ ※ ※ ※


 

「いやぁ渡辺くん、よく来てくれた!!」


 転勤(対外的には)初日は取り敢えず直属の上司に挨拶することが慣例なので、まずは課長室へ足を運んだのだが、思いの外優し気で温和な人だった。最初に係長への辞令を受け取り、係長待遇のまま現場入りすることへの詫びも込めた事情説明をされた後、現場入りに対しての気遣いの言葉も色々と貰う。


「僕もね、去年の年末から急きょ辞めてしまった山本課長の代わりに白羽の矢が立って就任したんだけど、もう毎日が一杯一杯で毎日コレと相棒だよ」


 そう言ってポケットから取り出して見せられた胃薬の束。


「渡辺くんも、必要になったらいつでも言ってね。いくらでもあげるから」


「お心遣いありがとうございます。精一杯頑張りたいと思います」


「頑張らなくていーの、いーの、無理しちゃダメだよっ。こんな荒れ果てた現場でいきなり主任なんて気が重いから、まずは副主任から始めたいってメールで言ってたキミの気持ちは十分わかるからね~」


 優しいのかやる気無いのかイマイチわからない人だった。


「それはそうと、佐々木専務もキミのことを目にかけてくれているみたいだから、是非先に挨拶をしてくればいいよ」


「いえ、しかし、もう朝礼が始まる時間ですし……」


「そんなことは気にしなくていいよっ、現場には私から連絡を入れておくから。ねっ、やっぱり上の人には擦れるゴマは擦れるときに擦っておかなきゃ!」


 温和なくせに押しの強い課長に『はぁ』としか言えず、結局部長を差し置いて佐々木専務のところへ挨拶に行くことになった。




「本日付で九州支社勤務となりました渡辺です。未熟者ですがどうかよろしくお願い致します」


「……ああ、話には聞いている」


 如何にも無骨という言葉が似合う佐々木専務は笑顔のひとつも見せてくれなかった。本当に俺の事を目にかけてくれているのだろうか?


 それと余計な事かとも思ったが、専務の娘である総務の佐々木さんを夜まで連れてしまったことを一応はお詫びしておく。


「昨日はご息女の恵さんには大変お世話になりました。空港まで迎えに来て頂いただけでなく、この近辺のことを右も左もわからない私に色々と遅くまで土地案内して頂き、佐々木専務にもご心配をお掛けしました」


「……娘のことは関係ない」


 親子だから解り易く、佐々木さんのことを名前で呼んでしまったのがいけなかったみたいだ。『恵さん』と言ってしまったあたりから、目付きがかなり険しい。


「申し訳ありません。それでは私は配属先の現場へ参りますのでこれで失礼いたします」


 くわばらくわばら。


 虎になりつつある佐々木専務から逃げるようにそそくさと専務室を後にしようとしたのだが、もう一歩で完全に退出できるというところで止められてしまう。


「ちょっと待て…………今後、娘を誑かすようなことがあったとしたら、その時は命が無いと思っておけ」


 取り敢えず、会釈をして俺は逃げた。佐々木専務が俺に目をかけてくれているのでは無く、目の敵にしているじゃねえの?これって。



※ ※ ※ ※ ※ ※



 駆け足のままで向かった配属先の職場を見て色々と俺は悟った。


 ああ、これは先輩が手に負えないのもわかる。


 色々な暴言が飛び交い、お互いの主張がぶつかり合って崩壊してしまう昔ながらの職場のソレじゃない。職場内はシンとし、皆が無気力で、最低限のことしかするつもりはないという空気をビンビンに感じていた。


 まさにこれは現代版の職務放棄と言えよう。


「みんなに紹介するわ、彼が本日付で本社からここの職場に配属した副主任の渡辺……くんよ」


 俺は主任である真希先輩に自分のことを係長とは呼ばずに、職場上のポジションを重要視して欲しいとお願いしていた。


 そして、チームの面々は予想通りに一向にこちらへ目も向けず、聞いているのか聞いていないのかもわからない状態だ。


 そんな中でも無関心なだけではいられないのか目を向けないままポツリと呟く者もいた。


「川島主任の代わりって聞いてたんですけど、結局主任のままなんですか……」


「渡辺さんって係長なんですよね……それで副主任なんてちょっとふざけてませんか?」


 如何にも恐れも知らない、気にしてすらいないというような、若手社員の男女。


 昨日真希先輩から聞いた話では、規則や労働基準法を盾に取り決して残業はせず、のんびりと仕事をして、進捗の事を訴えればすぐにパワハラという言葉で切り返して来る厄介な人物たちだと言う。


 中堅社員に比べても目立った違反も少ないことから、主任として何も言えないと苦言を呈していた。


「えっと、それは……」


 続ける言葉が見つからない真希先輩を見て俺は一歩前に出る。


「皆さんよろしく。現状、俺が主任になってもこの職場に良い結果を出させることは無理と思ったので、自分勝手ながら副主任をやらせてもらうことになった。皆も知っての通り現在進捗が大幅に遅れている作業の見直しへの一環なので決してふざけているつもりが無い事は承知していて欲しい」


 すると、ああそうですか、と言わんばかりに興味が失せたように無反応に戻る面々。


 俺は隣の真希先輩に目配せすると、彼女はコクンと頷いてくれた。


 事前に先輩にお願いしておいたこと。副主任の立場で身勝手ながら最初の2日間だけは俺に仕切らせて欲しいと頼んでおいた。


「えーと、いきなり業務連絡になって悪いんだけど、本日は段取りが付かないので、明日この職場の全員で夜にどこかの店で懇談会を開きたいと思う。っていうか、飲みの席だな。俺の歓迎会を込めるって意味でも全員参加でよろしく頼む」


 自分の歓迎会を自分で開くってのも何だか情けない話だが、絶対に皆から言い出すことは無さそうなので付け加えてみた。


「飲み会なら参加義務はありませんよね。仕事じゃないんでお断りします」


「私も」


「自分も」


 やっぱりな。


 この面々はわかりやすいくらいに予想通りな反応を見せる。


「仕事だよ。これは主任に許可を頂いた上での業務命令なので、事前に休務申請の無い人は全員参加するように」


「はあっ!?」


 今まで誰一人としてこちらを見なかったのに、数人、いや殆どの人がこちらに目を向けていた。


 若い奴らは想定内の事に対しては冷静な対応ができるが、想定外の事に関してはそれを貫けない。


 つまり、理由はどうあれ


「仕事ってどういうことですか?意味がわかんないです。飲み会で残業でも付けるってわけですか?そんなこと出来るはずが……」


「残業じゃないよ。残業なら拒否されると困るからな。親睦会は勤務時間内に行う。それにともない明日はこの職場の全員の勤務時間が変更される、つまりみんな午後出勤だ。そして親睦会が終えての終業となるので心しておくように。詳細は追って連絡するから」


 一気に職場がザワついた。それはそれは面白いくらいに騒めいた。



「そっ、そんな非常識なことっ―――」


「できるんだよ。仕事ってのは必要であればその程度のこと非常識でもなんでもない。それに……」




「たまにはそういうのも面白いと皆は思わないか?」

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