やんちゃなキョウが至るその境地


 日記の残りページの少なさにつれて、なんだか寂しい気持ちにもなってくる。


 今開いて読んでいる部分は微笑ましくもあり、切なくもあって、特に胸に込みあげて来るものがあった。



※ ※ ※ ※ ※ ※



 某月 某日 最近あの子が手に負えなくなってきちゃってる💦


 

 キョウの人となりを一言で表現するならば、オジサマ至上主義だろう。


 あの子の生活は基本的にオジサマを中心にして回っている。


 それは出会った頃からなんとなく気づいていた。 

 

 何をするにしても、その行動の可否ですら判断基準はオジサマがどう思うか、オジサマにどんな影響があるかにあり、いつ何時であっても周囲がそれを阻害することは決してできない。


 オジサマがこっちに居た時はまだ良かったと思う。九州へ行ってからはもう手に負えないほどにそれらが顕著に表れていた。


 私とキョウは親友だ。


 しかし、それはきっとキョウにとって私がオジサマへの脅威にならないという部分が前提にあるが故ではないだろうか。


 もしもオジサマを仇なす存在になったとすれば、キョウはこの私ですら躊躇なく切り捨てるかもしれない。


 

 ……面白い設定だね♪来年の文化祭の演劇の脚本はこれにしよう!!


 

 と、まあ半分は冗談でネタなんだけど、もう半分は本当にそうなんじゃないかって思っちゃう部分がいくつもあるのね。


 例えば今日の英語の授業の時の話。


「ええと……じゃあ神海さん。ここんとこの文章を和訳して読んで」


 出席番号順により指名されたキョウは透き通る声で「はい」と席を立ち、背筋を伸ばし和訳する。


「ジョンの厚意を好意と勘違いしたボブは彼に向けられるその想いを……」


 なんだよこの例文。一体誰が考えたのさ。でも来年の文化祭の演劇はこっちの方が良いかも知れんね。


「本日ボブはジョンの家に招かれ……」


 丁度その時だった。


 隣の席のキョウの鞄から聞こえてくる着信音。


 ネット中心に流行っている『恋に落ちる音』。


 オジサマだけに設定されたそれがメッセージの着信を伝える。


「え?神海さん?ちょっ―――」


 キョウは和訳の途中でありながら、何の躊躇もなく鞄からスマホを取り出しオジサマからのメッセージを確認して、もの凄い手の動きで返信していた。


 その間僅か2秒。


 そして何事も無かったかのように和訳を再開した。


「……そして、この日ボブはまたひとつ大人になりました」


 本当ならここでみっちゃんが「それじゃ座ってね」と着席を促すのだが、クラス全員の視線を受けているキョウを見て見ぬ振りは流石に出来ないと、無言のまま恐る恐るキョウに所へ向かって来た。


「ええと、ね。あの、神海さん?今は授業中だし……いやね、貴女が本当に真面目で素直でとても良い子ってことは解っているんだけど、流石に授業中の上に和訳の途中でスマホを弄るのは如何なものかなぁって……悪いけど没収を―――」


 没収の二文字が聴こえた瞬間にキョウはみっちゃんの顏をガン見して、お?ってなっていた。


「ひぃぃぃぃぃぃ!!ごめんなさい!なんでもないです!ごめんなさい!ごめんなさぃぃぃ!」


 わたわたと教壇へ戻るみっちゃんの足取りはこちらへ向かって来るときの四倍速だった。



 これは別にみっちゃんの授業だけに限ったことではない。


 本校で一番恐れられている山岡先生の授業ですら、オジサマからの着信があれば構わずスマホを手にするキョウ(オジサマ以外の着信だったら微動だにしない)。体育の授業なんかではバレーボールの試合の途中に猛ダッシュでコートから抜け出していた(でもその俊敏な動きはバレーでは決して使わない)。


 

 そして極めつけは姫ちゃんの数学の授業の時だ。


 確かに授業中に教科書を立てて、それに隠して内職する人もいないわけではない。


 しかしそれはバレたら叱られるということが前提で、きちんと隠してあるが故にどこか可愛らしさもあるだろう。


 でも、授業中にB5サイズの教科書を重ねてA4サイズのバイト求人誌を熟読しているキョウは確信犯に違いない。


 隠せてねーから。


 周りの生徒たちはそのキョウの奇妙な光景にチラッチラと視線を向けていたが、姫ちゃんはそれほど気にはしていない。


 基本的にあの人はキョウが何してをしていても疑うことはなく、何か大切な意味のあることだと信じてそれを温かく見守るスタイルを貫いている。


 ちょっと話が逸れるのだけれど、キョウはY吉沢Sセキリュティ―Sサービスと呼ばれる会長付の近衛軍団に姫ちゃんと並ぶS級重要人物対象として密かに護衛されている。

 

 しかし、その近衛さん達もキョウのパーソナルなプライベートスペースには容易に立ち入りできないため、マンションにも気軽に入れ常に身近にいることのできる私がキョウの守護者統括として姫ちゃんから任命されていた。

 

 つまり、姫ちゃんがキョウに対して温かく見守ることをやめて行動するトリガーは私の出すSOSサインにあるのだ。


 更に言えば、そのSOSサイン(レベル1~5段階)を出すタイミングは、まさに今この時である。


 だって……キョウを横から覗き込んだら、『コンパニオン募集、日給15000円』っていうところに赤丸つけたんだもん。


 私は教壇に向かって緊急度MAXであるレベル5を示すSOSハンドシグナルを送った。


「今から各々自習と致します」


 教本をパタリと閉じ、おもむろにそう述べた姫ちゃんはカツカツと此方に向かってくる。


 そしてバイト求人誌を読んでいるキョウをみて色々考える仕草をした後に声をかけた。


「恭ちゃん?どうしたのですか?急にお金が必要にでもなったの?」


「あっ、姫紀お姉ちゃ……吉沢先生。えと、ええとですね。あの……」


 返答に困っているキョウを見て、姫ちゃんは前の席にいる山崎くんに椅子を渡すよう要請する。


「山崎くん、悪いけれど椅子を貸してくれないかしら」


「え?あの……じゃあ僕は……」


「貴方は代わりに教壇の椅子にでも座っていなさい」


 言われるがままにするしかできなかった山崎くんを教壇へと追いやり、彼の椅子を得た姫ちゃんは背もたれ部分へ跨る様に座る所謂、青春座りをしてキョウと向かい合った。


 因みに本校にはバイト禁止の校則は無い。無いというか、比較的裕福な家庭の子が通う寄付金ありきの私立校なので校則に関わらずバイトしている子なんて私の知っている限り存在しない。平々凡々に見える私ですらお父さんは市役所の公務員で、お母さんは弁護士というそこそこの家庭で育っているのだ。


 上流階級の子供と言えば実はヒトミは吉沢の旧体制派筆頭の家の子供だったってことをカミングアウトしたんだけど、まさに彼女あたりは上流階級の代表とも言える。でも、気になるのはこの前にそのことをお母さんに聞いた時に『吉沢幸四郎に実子は居なかったはずよ。それも多くの姉弟だなんて何かの間違いじゃない?』と答えたことだ。本当にヒトミは謎が多い。


 何にしても裕福な家の子供の中で例外中の例外といえば、それこそ姫ちゃんがゴリ押しで転入させたキョウくらいのものだろう。



「あっ、解ったわ!ひょっとしてお金を貯めて渡辺さんに会いに行こうとしているのでしょう?」


 椅子に座って同じ視線になった姫ちゃんが少し首を傾げて覗き込むようにそう尋ねると、キョウは俯きながら恥ずかし気にコクリと頷いた。


 まあそうだろうね。オジサマもヴァレンタインのお礼で『超美味かった。嗚呼、恭子の作りたての手料理が恋しいなぁ』なんてメッセージを送ったら、キョウのオジサマに会いに行きたい病が発症することくらい容易に想像できるだろうに。


 あいつ多分バカだ。


「それくらいのお金でしたら私が工面するわ。それに過保護の渡辺さんからだって結構なお金を預かっているのでしょう?」


「でも……私はやっぱりおじさんに会いにいくなら、自分が頑張って働いて堂々と会いに行きたいんです!!」


 キョウがそう勢いよく答えると、至近距離に居た所為か姫ちゃんが若干ビクッてなっていた。


「な、なるほど。そう、そうね。そうかもしれないわ。確かにそう言われるとそうかもしれないと思ってしまうわ」


 思いの外動揺していた姫ちゃんはしどろもどろになりつつもキョウが見ていた求人誌を取り上げて赤い丸で囲まれた部分を確認する。


「コンパニオン……これはどんなお仕事なのかしら?」


「ええと……私もよくわからないのですが、日払いでお給料も高いですからこれなら早くお金が貯まると思いまして……」


 ふむ、と少し考えた姫ちゃんは席を立って他の生徒の場所に移動する。


 多分ヒトミのところに聞きにいったんだろう。私は一時期あの子と一悶着あったので少し距離を置いている。姫ちゃんも同じようなことがあったらしいけど、二人の関係は変わらずヒトミは姫ちゃんの保護者的存在だった。


 まあ、誰に聞いても結果は同じだろう。


 案の定ヒトミの両腕は大きくバッテンを描いていた。



「あのね……恭ちゃん。コンパニオンっていうのは些か、いかがわしいものも多いみたいよ。止めておきなさい」 


「でも、他のアルバイトでしたら時給数百円のものばかりですし……」


「私がバイトを紹介します!!そう……そうね、もうすぐ吉沢グループ全体の役員会議があるわ。今回は食事会も兼ねますので貴女が彼らに振舞う料理を提供しなさい」


 キリッしている姫ちゃんだけれどそれでも甘々な感じは隠せていない。しかし、吉沢の重役たちが集まる食事会で何の資格も実績もないJKに何を料理させようと言うのだろうか、この教師は。


「でもですね、それだと姫紀お姉―――吉沢先生に甘えてしまうことになりますので、やっぱり私は―――」


「甘えるですって?あなた九州へ行くのに幾ら掛かるか解っているのですか?いくら?……いくらかしら?」


 また姫ちゃんはヒトミのところへ行って戻ってくる。


「現地の滞在費も含めたら十万円くらいかかる(らしい)のよ!十万円よ!……十万円がどれくらいのお金か子供の貴女にわかるかしら!……私にはわからないけれど、多分高校生にとっては凄い大金に違いないわ!」


 有名シェフに出張を頼めば数百万は下らないと思うんだけどね。


「貴女にはその金額に見合うほどの覚悟と責任を負ってもらいます!!吉沢の重役は80人程出席するわ。そこに出す料理の献立の考案からコックたちの中心に立って調理を行うのよ!それでも私が甘いと言うのかしら?そんな戯言は自分の役目を確実に終えることが出来てから言いなさいッ!!」


「……姫紀お姉ちゃん!ありがとうございます。私やります、頑張りますっ!!」


「ううん、良いのよ……恭ちゃん。私も楽しみにしていますから」



 もう、何もかもが茶番にしか見えない。


 後、姫ちゃんもキョウも色々と隠せてないからね。こんなこと教室で堂々とおっぴろげて続けてたらもうバレバレだからね。

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