第11話「時は来たりて 後編 手に入れた温み」


「……気持ち悪い」


 頭の痛さも相成って、その不感さにより目が覚めた私の視界にはぼやけながらもとんでもない映像が映っていた。


 キョロ。


 あれは相葉さんよね、こっちを見ているわ。


 キョロ。


 あの子は……恭ちゃんだ。ポカンしているわ。


 キョロ、キョロ。


 そこから察するに此処は恐らく渡辺家のマンションではなかろうか?と私の頭脳がひとつの回答を導き出していたが、如何せんこの時は私の理性がそれに追いついていかなかった。


「……此処は何処」


「オジサマのマンション……かなぁ」


 うん、多分そうだと思っていたところ。


 でも相葉さん、そんなに腫れ物に触るような目で見ないで、そして恐る恐る答えないで。


「……私は誰」


「えっと……吉沢先生ですよね?」


 恭ちゃんがそう言っているので、私は吉沢姫紀で間違いないだろう。


「貴女たちは?」


「吉沢先生のクラスの生徒?教え子?私が相葉都華子で……こっちがキョウ―――」


 相葉さんから当たり前のことをそのまま伝えられる。


 更には私の目に手をかざして『おーい、せんせーい』などと手のひらをフリフリされる始末。


 大丈夫、気は確かよ。


「えっとですね、吉沢先生は昨日おじさんのお店で呑んでから酔い潰れてしまったみたいでして、みんな先生のご自宅を知らなかったので起きるまではこのマンションで休んでいただこうかということになりまして……」


 私が混乱していると心配して恭ちゃんが一生懸命説明してくれるのはとてもとても嬉しいのですが、そんなに気を使われると逆に情けなくなってしまうじゃないですか。


 まあ、確かに混乱していますけれども。


 徐々に意識がハッキリしていくにつれ、私の心には焦りが顕著に表れ始めた。


 「……ふぅ」



 


 落ち着け、落ち着け落ち着け、落ち着つくのよ吉沢姫紀!!


 此処は恭ちゃんの家で私服姿の恭ちゃんが目の前に居る。少し手を伸ばせば手の届く距離に居るっ。


 そんな夢にも奇跡にも思わなかった現実がすぐそこにあるというのに、今の私に置かれている立場は酔いつぶれた結果、保護者の家に運ばれた只のイタイ女でしかない。


「アハハ、なんか、姫ちゃんのイメージが完全に崩れちゃった」


 実際に相葉さんからはそのような感想を突きつけられた。


 助けて直樹、私はどうしたらいい?どうしたら恭ちゃんへこの失態を挽回できる!?


 私の脳裏に浮かんだのは頼りになる女性を研究すべく彼から借り受けたバイブル漫画本


『デキる女の心得その12―――何事にも決して動じず、窮地なればこそ尚一層開き直るべし』


 ビッチ先生、どうか私を窮地から救い給え!


「あー……相葉さん。……認めましょう、確かに他に類を見ない不祥事です。でもね、そんなもん見つかって面倒なヤツに知られなきゃ別にいいのよ」



 そして、すったもんだの結果、彼女の遅刻履歴の改ざんで買収できた。更にはパッと口から出してしまった『プラス今日2人を映画に連れて行く』は逆転一発本塁打級のファインプレーだった。


 なし崩しとは言え、恭ちゃんと映画に行けるという口実が出来たのだ!!


 ありがとうございます、ビッチ先生っ!


 私は映画館なんて行ったことがないけれど、貴女の台詞が奇跡を生みました。


 

 この時の高揚感が私の欲望を全開放させた。


『恭子ちゃんお手製の海鮮鍋!!んまかったぁ!!』との直樹の言葉が脳内をリフレインする。


 あわよくば、私も恭ちゃんの手料理に有り付けはしないだろうか?


 今を逃せば今後一生このような機会は訪れないかもしれない。


 二日酔いで受け付けられない胃のことなんてそっちのけだった。


『やっぱ二日酔いにはお茶漬けよネ♪』


 ビッチ先生、今一度私にチャンスを!!


「それと、神海さん!……朝はお茶漬けかなんか、軽いものにして」

 


 私はこの日の為に過酷な人生を堪えて生き永らえたのだと、確信することとなる。


 ひゃい、と可愛い返事をした恭ちゃんがいそいそと朝食の準備をしてくれて、それができる合間に起きてきた渡辺さんが休日出勤の呼び出しとのことでマンションから出ていった。


 あ、それ私のお茶漬けなんですけれど。


 でも再びキッチンへ戻っていく恭ちゃんを見るに、お茶漬けはまだあるみたい。


「吉沢先生お待たせしました、熱いですので気を付けてください」


「あー、先生のが先ぃ?私もお腹空いた~」


「すぐ出来ますから、もうちょっと待っててくださいとっちゃん」


 目の前に置かれた茶碗にはふんわりと薫るカツオの出汁に刻んだ海苔、そしてほぐされた焼き鮭。


 正直どうしていいかわからなかった。


 結局3人の分が揃うまで手がつけることが出来なかったそれ。


「センセ、食べないの?キョウのお茶漬けめっちゃ美味しいのに」


 うん。


「……ぃただきます」


 一口だけ箸を運んでから、茶碗ごと出汁を啜るとそこから流れて来た優しい味が心に染みわたる。


 上を向いてもツーと流れる涙は止まらなかった。


「先生っ、ワサビがきつかったですか?それとも苦手なものでも入ってましたか?」


 違いますっ、違うの……違うの恭ちゃん。


 私は必死でフルフルと首を振る事しかできなかった。


 感極まる余り、涙以外に色々なものが溢れ出そうな勢いの私。


 そんな自分に恭ちゃんが心配して寄ってきてくれたので、思い切ってそっとお願いすることにした。


「足に力が入らないのでおトイレまで連れて行ってくれないかしら?……おしっこが漏れそうなの」


 そういえば、目覚めの混乱の余り膀胱が破裂しそうだったことを失念しておりました。

 

 こうして私は恭ちゃんと相葉さんに両脇から抱えられて事なきを得た。



 ちなみに、その後に3人で行った映画館で係員から『お席はどのように致しましょう?』と聞かれたので、私は『貸し切りでお願いします』と言ってカードを差し出したのだけれど、苦笑いされたあげく相葉さんから『真顔でジョークを言っても店員さんが困っちゃうよ?』と駄目出しされた。


 映画館は貸し切りに対応していなかったらしい。



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