第12話「楽園」
あの日は私にとって本当に幸福に満ちた一日だった。
恭ちゃんに朝ご飯をつくってもらって、一緒に映画を見に行って、お昼ご飯も一緒に食べて、その後はショッピングモールを探索したり、夜も手作り料理をご馳走してくれた。
もうこのような日が訪れることは二度とないだろうと、幸せが大きかった分その後に感じた虚無感は心にポッカリ穴が開いたようで不安も大きかった。
元々、私には恭ちゃんと公に接することが出来る時間なんて、どんなに長くても彼女が高校に在籍する3年間が精一杯。もう一度くらいプライベートで会えることがあれば御の字だ。
そう、思い込んでいた。
でも、幸運の女神は奇跡を続けて起こしてくれる。それはまるで長い間不運に見舞われた私の人生への反動であるかのように。
「あっ、吉沢先生」
それは私の幸福の一日から何日も経っていないある夕方のこと、一般的女性化訓練の一旦である食事形態の見直しでずっとお弁当を食べ続けているのだが、ちょうどそれを買うためにコンビニで物色しているときに後ろから声を掛けられた。
「きょっ、神海さん……貴女もお買い物かしら?」
内心凄く驚いてしまったが、なるべく冷静を装って私は返答する。
「はい、お醤油を切らしてしまいまして。スーパーまで買いに行くと夕食の準備が遅くなってしまいますから……」
恭ちゃんの言っている意味がいまいちわからなかったのだけれど、聞いているうちに『スーパーの方が物価が安いから本当ならちゃんと買い置きしておかなくてはいけなかった』という、私などには思いも寄らぬ高度な知識を教えてくれた。
「吉沢先生は……お惣菜?今日の夕食ですか?」
「えっ?ええ……今日はこのチキン南蛮弁当にしようかと」
というか、これくらいしかちゃんと食べれるものがない。
「あっ!それなら、家で食べていきませんか?ちょうど今日はチキン南蛮とお刺身なんですよ」
正直、そんな流れになるとは微塵にも思ってなかった。
足先からゾクゾクと痺れのような感覚が体全体へ流れていく。
「―――いいの?」
「はい。急にとっちゃんが来れなくなったみたいですので……あっ、それでは余りものみたいで失礼ですよねっ」
恭ちゃんが恐縮しそうになっていたので、私はこれでもかといわんばかりにブルンブルンと首を振る。
「全然よっ!嬉しい、嬉しいわ。……でも渡辺さんにご迷惑ではないかしら?」
今度は私の方が言い終えてからしまったと後悔する。『そうかもしれないですね』ってなってしまったらもう『でも、行く』とは言い難いではないか。
「余ったおかずはおじさんが勿体ないって無理して全部食べてしまいますので、実は来ていただけるとありがたいんですよ」
恭ちゃんはそう言うと、まるで天使のように微笑んだ。
はぁぁぅぅぅぅぅぅぅ、恭ちゃんのつくったチキン南蛮あり得ないほど美味しかった!!!!!!
と感動したのは、実は3日前のこと。
その次の日は相葉さんに誘われて、一緒にご相伴に。
そして一日飛ばして本日もまたまたお邪魔した。
「…………」
恭ちゃんのマンションの食卓で対面に座る渡辺さんも流石に呆れ顔だった。
「……で?吉沢先生はなんで今日も?」
「ですからプリントをですね、届けるついでに、と」
「いやいやいやいやいや、学校で渡せばいいじゃん!」
むぅ、この人は一々反応が面白い。
「学校で渡したら口実が無くなって、神海さんのご飯が食べられないじゃない!!」
私も負けずに言い放つ。
「あっ!開き直りやがった!姫ちゃんがとうとう開き直ったぞ、恭子!」
彼がキッチンで料理をしている恭ちゃんに報告して仲間に入れようとたくらんでいるが、そうはいくもんか。
私と恭ちゃんは血で繋がっているのよ。
「そもそも、先生くらいの人だったら自分で自炊とかできるだろ?」
自炊ってなにそれ?生まれてから一度もさせてもらったことないわ。
「無理ね」
「いや、エバって言わんでも……恋人とかに作ってやったりしないん?」
恋人ってなにそれ?生まれてから友達すらいなかったわ。
「食事は与えるものではないわ、与えられるものなのよ!」
私の師であるビッチ先生もそう仰っておられたわ。
「超エゴイズムッ!」
この人の反応は身振りも大きかった。やっぱり面白い。
なんだかんだ渡辺さんとやり取りしているうちに運ばれて来た本日の夕食は肉じゃがコロッケと海藻スープ、それに千切り大根のサラダ。
あっという間に食べてしまった私は指を咥えてシュンとしていると、恭ちゃんが自分の分を半分わけてくれた上に、更にはキッチンに戻ってコロッケをもう一個揚げてくれた。
まるで夢心地のようでした。
明日もきっとまた来ると思います。
私が手に入れたそれは、楽園。
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