第2話「動き始めた物語」


 肉親を失った私の姪は、引き取られた植松の家で時間をかけてゆっくりと心の傷を癒している。


 そう信じていた。


 恭ちゃんの両親である姉夫婦を殺したのも同然の私に出る幕など微塵もない。


 そう決めていた。


 

 いや、それはただの言い訳だろう。


 

 私は恭ちゃんに知られるのが怖かった。


 事故の切っ掛けをつくった私が、どんな顔をしてあの子の前に立てばよいか解らなかった。



 だから、私は事故があったあの日から、その先のことを進んで知ろうともせず、関わろうともしなかった。


 だから、その日ちょうど執務室に居た私へ秘書の樋本が夜遅くにも関わらず慌てて報告してきた時は、気が狂いそうになった。自分で自分を殺してやりたかった。




「会長の姪御さんが植松の家を出る予定だという情報を得て、急遽真相を探っていましたところ……引き取られたあとの植松の家で過ごす半年間に彼女は虐待に近い、かなり過酷な日々を過ごしていたようです」


 私の目は、これでもかと言わんばかりに開かれていた。


「なっ!……、な、なんで?……どうして、そんなっ」


「申し訳ございません、私も旧体制派との抗争準備を優先していましたもので」


 それは、私とて同じこと。今だって夜更けにも関わらず執務室に閉じこもっていたのだ。


「内容を読み上げますか?」


 私は震えながらも小さく首を振り、報告書だけ受け取り樋本を帰宅させた。



 恭ちゃんが、虐待。


 頭のてっぺんからみるみるうちに血が引いていくのを実感する。


 それでも、報告書に記されてある箇条書きの内容には決して目を背けてはいけない。


 携帯電話の解約。


 庭に建てられたプレハブ小屋での生活。


 暴力。


 保護者としての責任放棄。


 生活に必要なものを買うために、彼女自身が手持ちにあった僅かな私物を売って凌いでいたという情報も記されている。


 形は違えど、私も家庭環境の絶望を知る人間だ。


 だから、容易に想像できるリアリティーが私を襲う。


 しかも、それに慣れ切った私ならともかく、以前は幸せな家庭環境にありながら、悲惨な経験をした直後に襲った彼女の過酷な日常。


 いつ心が壊れてしまってもおかしくはない。


 いつ、お母さんのようになってしまってもおかしくはない。



 時系列的に並べられたその内容は、下へいくにつれてより残虐さが増していく。


 入浴や食事というキーワードが頻繁にでてくるようになった中盤あたりで、私は机の上にあった電話の受話器を叩きつけ、粉々に破壊していた。



 それでも、おかしくなりそうな気をなんとか保ち、使い物にならなくなった固定電話を放り投げて、スマホにて私にとって唯一信頼がおける親戚筋のある男性に電話した。



「姫ネェ、そんな酷いことが……マジか……」


 植松での恭ちゃんに関する情報を粗方伝えた時の直樹の反応は概ね想像通り。


 しかし、後々のリアクションは予想すら出来なかったことだった。


「ちなみに、恭子ちゃんを植松の家から引き取ったって奴の狙いは何なんだ?血縁関係もない無関係の男なんだろ?あの子に同情してのことだったら良いが……考えたくもないけど、よこしまな目的で引き取ったなら、更に悲惨なことになっちまう」


 それは現時点において私も懸念していることだったが、植松の虐待から一時的にでも解放されることが恭ちゃんにとっては僅かでも希望の芽生えになるかもしれない。


 それも、まだ心が壊れていなかったらの話だけれど。


「まだ多少の間は植松の家にいるみたいだから、家を出るタイミングで救出することも出来るかもしれない」


 ただ、問題は恭ちゃんのその後を誰に託すか、だ。

 

 私には無理だ。


 私はあの子に憎まれなければいけない存在なのだ。


「姫ネェ、それは良いとしても、引き取ったっていう奴はどんな男なんだ?ある程度の調べはついているんだろう?」


「ええ。と、言っても、年齢、氏名、後は住所くらいだけれど……。その人はお姉ちゃんの旦那さんに昔から世話になった人みたいで、お姉ちゃんとも、恭ちゃんともかなりの面識があるみたい」


 報告書に添付されている、かなりピンボケした写真を睨みつけながら話を続ける。


「年齢は31歳……、いや、生年月日からすると、最近32歳を迎えているわ。名前は渡辺純一、後は―――」


「えっ!?」


 直樹の大きなリアクションに戸惑う私。


「どっ、どうしたの?」

 

「……その人の住所は?」


「え、ええと……ここは……ああ、多胡中央駅の近くにあるマンションに住んでいるみたい」


「―――ナベさんだ。間違いない、その人は俺の直属の上司だ」


 私にとっても、直樹にとっても晴天の霹靂とはまさにこのことだった。


 直樹が口頭で必死に伝えて来るその人の風貌は、私が眺めている写真とピタリと合う。


「ナベさんと神海一家にどんな繋がりがあったかは知らないけど、あの人なら絶対に大丈夫だから、俺が保証する」


 直樹のことを信頼していないわけではないが、そこまで必死になってその男のことを評価されると、逆に何かしら疑いたくなってくる。


 ただ、直樹と恭子ちゃんを引き取った男との間にあるたった一本の接点が、大きなフラグを立てるかのように、私の脳内へ色々な可能性を駆け巡らせた。


「わかったわ。取り敢えず直樹の言う通り少しの間、その男に恭ちゃんを預けるわ。でも直樹、その代わり恭ちゃんがこっち越してきて通う学校の編入先を私の勤める多胡中央学園になるように必ず誘導して。お願い、お願い直樹」


「そりゃ、妙案だ!!……でもそうなると、かなり早い段階でナベさんから俺に恭ちゃんを引き取ったことを相談させなければ、もしくは俺がその事を知っている理由をでっちあげるか……まあ、どっちにしてもそれはなんとかしてみせるから!姫ネェ」



 恭ちゃんをタコガクに通わせる最大の難関は直樹にかかっている。後は簡単だ。


 理事長から校長を通して学年主任に私のクラスへ入れるよう通達すれば良いだけの話。




 

 そして、その後は、私が私で無くなれば良いだけのことだ。


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