第22話「挨拶周り」
「向こうで住むところはどうするんじゃ?」
本社業務での引継ぎも既に終え、九州への出立を翌日に迎えて特にやることもなかった俺は、世話になった人たちへの挨拶周りをしていた。
「急な転勤という話でしたので、ちゃんとした住居を探すまでの間、とりあえず半年間の上限付きで家電付きアパートを会社の補助で借りられるよう話をつけることができました」
会長にも一言と思っていたのだが、平社員の俺が会長室まで行くのはあまりにも不自然なので、あの時のように屋上で顔を合わしている。
「よかろう。これで少なくとも半年間は出張を転勤と誤魔化せるわけじゃな」
いくら会長といえども、平の一社員に表だっては応援できない。
本社へ呼び戻すという内定を他の役員、特に吉沢の反体制派に繋がる人物に悟られてはならないのだ。
「小僧のチームへの説明はどうなっとる」
俺はその言葉に少し顔をしかめた。
「すみません。俺の部下たちへは『必ず帰ってくる』と伝えてあります」
会長が懸念していることはわかっているつもりだ。
「スパイとまでは言わんが、小僧のところにも彼奴らに繋がっとるもんがおるやもしれぬ。油断し過ぎではないのか」
それはそうかもしれない。
「でも、それでも、俺は自分のチームの、俺の仲間たちを信じていますから」
会長がほくそ笑む。
「まるであの時のような目をしておるな。すべてに喰らい付くような目じゃ。……いいだろう、そこまで信頼しておるなら問題あるまい」
屋上のネット際からビルの外を眺めていた会長は翻って俺の肩をポンと叩き最後に一言述べてから社内へと戻っていった。
「小僧の配属先は九州支社の現場でも指揮系統が崩壊した特にやっかいなところじゃ―――半年以内にまとめてみせろ」
俺は御意の代わりに、会長の背中へ向けて深くおじぎをした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「ナベさん、挨拶周り終わったんですか」
引継ぎの後は全て直樹にチーフ業務をまかせてある。
課長にゴリ押ししてみたが急な昇格は無理で、辞令は4月まで待たなくてはいけなかったが、それまではチーフ代行として頑張って貰いたい。
最初は別のチーフを入れる話も検討されていたみたいなのだが、そこは俺の猛反発で蹴ってやった。
「ああ、最後に社外に行くところがあるから、この職場はしばらくお別れだな」
見納めといったところだ。
「後のことは任せてください、数ヶ月くらいキッチリ維持して見せますよ」
「ああ、任せた」
直樹とそんな風にやりとりしていると、夏海もそれに割り込んできた。
「渡辺サン、恭子ちゃんのことはウチにまかせてください。直樹サンにそれをやらせたら、傷モンなっちゃうッスからね」
夏海が新しいチーフの肩をツンと突く。
「菜月……お前なぁ……」
既に直樹の上司しての面目など存在しなかった。失礼ながら自然と笑ってしまった。
「これ、大したもんじゃ無いッスけど、みんなからの餞別ッス」
「えっ?なんか、悪いな」
ちょっと感動して涙がちょちょぎ出そうだったが、これじゃあなんか定年退職みたいじゃねえか。
花束と寄せ書きと……
あ、包み紙は多分アカンやつだ。
「おい、夏海。俺がいない間に恭子を変な道に引き摺り込んだら容赦しないからな。……あと安武にもダメだから」
夏海に布教活動の禁止を言い渡す。
「アイッ!了解であります!!」
お前の敬礼は信用しないことに決めてんだよ。
結局拍手の中で見送られた職場の最後はトホホな感じだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
俺が自宅へ帰る前に寄ったのは関久物産の本社。
受付の
「渡辺純一と申しますが、社長はお見えになられますでしょうか」
「アポイントメントはお持ちでしょうか?」
だよなぁ、流石にこんな若造がアポ無しじゃ無理だよな。
常識外れもいいとこだった。
「ですよね。すみません、出直してきます」
というか、明日にはもう九州にいるから諦めます。
俺がトボトボと玄関扉へ向かって戻っているとさっきの姉ちゃんが走って追いかけてきた。
「すみませんっ!!渡辺様、数日前から申し送られていたことを失念しておりました。今秘書のものがこちらに向かっておりますのでしばらくお待ちください」
社長……、あれだけ酔っぱらっていたのに覚えてくれていたんだ。
そして数分ののち、秘書に案内され社長室へ通された。
「あの時は大変失礼を致しました」
俺は改めて自分の名刺を差し出す。
「ああ、やっと来たか。忘れられていたかと思っとったわ」
ふくよかな腹をポンと叩きそれを受け取る社長。
「それで、出立はいつなのだ」
「明日、です」
社長は軽く目を流して、少し神妙な顔をする。
「流石に急だな」
吉沢の旧体制派の陰謀を社長が勘繰っているのだろうが、九州の立て直しが急務なのは事実で、実のところ俺は未だに吉沢の対立がこの件に関わっているのかという実感がない。
「ちょっと待っとってくれ」
そう言うと、社長はどこかに内線をかけた。
そして、先ほどの秘書が30㎝四方くらいの木箱を抱えてこの部屋に入ってきた。
「これはあの時バーで飲んだものより格上のもんだ。餞別がわりではないがもっていってくれ」
社長が木箱の蓋を明けながら俺に手渡す。
それはずっしりと重く、クリスタルのようなガラス瓶に入った洋酒だった。
あの時のバーで飲んだものより上となると、金額的にも俺がおいそれと受け取れるようなものではない。
「そんな、社長……俺は……」
「若者が遠慮なんてするもんやない。あっちから無事に帰ってきたら連絡してこい。これより更に旨い酒を飲ませたるわ」
「あの、その……ありがとう、ござい、ます」
結局受け取ってしまった。
「それじゃあ、達者でな」
「はい、行ってまいります!」
そして、俺は去り際に社長へ耳打ちする。
「……株の件は吉沢にこれ以上関与しないよう確約してもらいました。少なくとも当面の間は」
社長は無言で大きく頷いて、俺を見送った。
※ ※ ※ ※ ※ ※
自宅のマンション前に着いたのはいつもよりかは早いものの既に日が暮れた後だった。
車から降りると近くに見知った女の子がそこに居た。
「……ヒトミちゃん、か?」
「ん。オジサン」
彼女が俺に向かって軽く手をあげる。
「なんだ、恭子に用事なのか?なら遠慮なく行っていいぞ」
「んなわけないじゃん。今日はオジサンに、ね」
まるで男を扱いなれたような口調とその風貌。
「そのうちさー、うちんとこに何か言いにくると思ってたんだけど……来なかったから、自分から来てあげたのさー」
恭子へのことか、転勤のことか、それとも両方なのか。
「いんだよ、殴っても。いんだよ、好きにしても。うちは訴えたりしないから」
「少なくとも、俺がヒトミちゃんにそんなことをする理由は持ち合わせていない」
彼女は軽くジト目になった。
「ふうん、そっかぁ。でももう知ってるんだよね?うちのパパが旧体制派の筆頭株だってこと」
今まで何となくでしか思っていなかったが、吉沢の対立に恭子が何かしら巻き込まれているんだなと自分の耳で確認した瞬間だった。
それでも、俺は余り気にはしていない。
する必要もない。
「俺が知っているはヒトミちゃんが恭子の友達で、姫ちゃんの大切な人だということだけだ」
俺は人の善悪くらい見分けられるし、我ながらそれを過信するようにしている。
「ヒトミちゃんが前に言っていたこと、『恭子が俺に依存し過ぎている』って……それは間違ってはいないと、思えるようになった」
「でも、逆に俺が恭子に依存しているのかもしれないとも思う。向こうで一人になった時、よくその事を考えようと決めているんだ。……だから、恭子のことをこれからもよろしく頼む、この通りだ」
そう言って、俺は頭を下げた。
「……当たり前じゃん、トモダチだったらそんなこと当たり前だから」
「オジサン、向こうで悪い女に引っかかっちゃダメだよ。本当にチョロそうだから心配だよ」
ヒトミちゃんがガクリと頭をうだらせて、マンションの敷地の外へ向かって帰ろうとする。
「お、おい。せっかくここまで来たんだから、恭子の飯でも食っていかないか?」
「オジサン……うちが最後の夜まで邪魔をする空気が読めない女の子に見えるわけ?」
もう一度俺の方を向かって大げさな溜息をついた後にヒトミちゃんは手を振りながら去っていった。
俺はヒトミちゃんに言われて初めて今日の夜を最後に、暫くは恭子に会えないんだと実感させられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます