第14話「俺が最も恐れていたこと」
それは元旦休みが明けた、初出社の日のことだった。
あけましておめでとうの決まり文句から昨年に乗り越えたデスマーチの労いや今年の激励など、俺が朝礼でチームの皆に話をしていたときにその内線は鳴ったんだ。
俺が話を続けている間に受話器をとって受け答えしていた夏海から、朝礼が終わった後に『部長から渡辺サンに顔を出してくれって言ってったッス』と、言付けを受けた。
部長?課長じゃないのか?
念を押して確認してみたが、夏海は間違いなく部長からだったと言う。
疑っていても仕方がないので、とりあえず部長室へと向かった。
その時点までは、俺は本当に何も知らなかったんだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「渡辺くん、これは決定事項なのだ」
部長室の隣にある小さな会議室で部長は俺に向かって無慈悲なほどに淡々と述べている。
「ちょっと待って下さい!今月中に九州へ転勤って……そんなっ!課長からは何も聞いていませんが」
人事上の通達は直属の管理職である課長から受けて然るべきのはずだ。
いや、そういう問題じゃない。そもそも遠くへの転勤なんて少なくとも3ヶ月前には辞令がおりていなければいけない筈なのに。
「松崎はこのことをまだ知らん」
「課長が知らないとはどういうことですか!」
「昨日、急遽役員会が開かれ九州支社の立て直しの大枠が決定された。そこで人材管理を一任された私が昨夜から急務で人員リストを作成を始めて、今それが終えたばかりなのだ」
部長は表情ひとつ変えずに話を続ける。
「日もないことだからな、少しでも早く伝えねばと思い直接きみをここに呼んだのだ」
「いや、そう言われましても……私の家には―――私はここにマンションを購入している事情もありまして……」
思わず恭子のことを言いそうになってしまったが、寸前のところで言葉を引っ込める。
「きみは独身のはずだ、そこら辺のことはなんとでもなるだろう。とはいえ、特例のことでもあるから多少の費用は会社から融通させるよう私が責任を持って対応する」
そういう問題じゃ、ないんだ。
「余りにも急なことですので、すぐには承知しかねます」
俺はそう言ったが、これは『考えておいてくれ』という打診ではないということを思い知らされる。
「元々きみの異動は我が社の会長直々のテコ入れとも聞いている。他の人員異動はともかく、この件に限って言えば私はその業務命令を通達しているだけに過ぎない。そちらの可否を求めているわけではないので勘違いしないように」
そして部長は机の上に辞令を置いて会議室から出て行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「まいった、なぁ」
部長が退室してどれくらい時間が経ったのだろう。未だ俺は小さな会議室の椅子に背中を丸めたまま動くことができなかった。
考えなければいけないことが山ほどある。
九州へ転勤?
恭子はどうする?
一緒に連れて行くのか?
学校は?
それとも姫ちゃんに後のことを全て託すべきか、などと一瞬でも頭に過ったときは自分の無責任さに吐き気を催した。
複数の支社を持つ企業に属している以上このような可能性は考慮すべきのことだ。それらの問題を承知の上で独身の俺が恭子を引き取ったのだ。
それを転勤になったからといって、その責任を他の人へ丸投げするなんて度し難いにもほどがあるってもんだ。
定期を全て崩せば恭子の大学資金くらいはなんとかなるかもしれない。
この会社を辞めてこの地で他の職を見つけるのも選択肢のひとつだろう。
そうだ、あのマンションを売って賃貸アパートへ身を移せば当面の資金は確保できる。
しかし転職もマンションを売るのも、恭子がそれをどう思うのか……
あいつは、俺がちょっと倒れただけのことを自分のせいだと思い込んで元居た地獄へ戻ろうとしたほどの奴だ。
どんなに楽観的に見積もっても、明るい未来は想像できなかった。
「まいった、、なぁ……」
そう何度目かのため息をついた後、再び思案を再開させようと少し顔をあげた瞬間、会議室の扉が開く音と共に直樹から声を掛けられた。
「ナベさん……」
直樹のその顔を見たとたん、先月あたりから見せていたあいつの生き急ぎ振りが解ったような気がした。
「お前、このことを知っていたのか?」
「はい。最初は秘書課の知り合いが言っていた噂話程度でしたけれど」
「そうか」
「事実の確認に四苦八苦しているうちにこうなってしまいました。結局俺が出来たことと言えばナベさんがどう判断してもいいように、いつでも他のチーフへ引き継げるよう業務管理をまとめることだけでした」
俺が去年にチーフへの昇格内定を伝えたことを直樹は忘れたのだろうか?もし俺がいなくなっても当面の間は少なくともお前にチーフをやらせるよう直訴するつもりだし、それに―――
「俺が去った後のチームの心配をしているわけじゃ、ない」
夏海や安武、それに他の奴らも必死に協力してくれるだろうから、お前はちゃんとやれるはずだ。
「恭子ちゃんの、こと、ですよね」
「ああ」
ああ、そうだ。心配しているのは全て俺自身の都合だ。
「もしそれを言ってしまえば、恭子ちゃんは……彼女の性格からして、ナベさんには迷惑をかけたくないとか言って自ら身を引きそうな気がします。今は姫ネェもいることですし」
そうかもしれない。いや、多分そうだと思う。
「でも今回は小細工も出来ない。まずは正直に話してみる他にないだろう」
俺が一先ずそう結論づけると、直樹は深い会釈をしてこの場を去った。
そうだ、結果はどうあれ、まずは恭子に正直に話してみるしかないんだ。
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