トレカ部だけど、青春しちゃダメですか?
アメカワ・リーチ@ラノベ作家
第1話
汗の匂いがした。
動かしてるのは両手と、そして頭だけ。それでも、俺も貴文も汗をかいていた。
空調はしっかり効いている。かいた汗に冷風が当たって冷たい。
幕張。その憧れの舞台。ホール中心、スポットライトに照らされたテーブルに展開されたカードたち。
左右に控える三人のジャッジと、数千人の観客、そしてカメラを通して観戦している数万人の視聴者たちの視線を肌で感じる。
でもそんな赤の他人のことはどうでもいいのだ。
俺の敵はただ一人。この目の前の少年。常勝無敗のこの気高い白河貴文。彼を倒すために、これまでの全てがあったのだ。
勝負はここまで全くの互角。一進一退で進み、後一撃を先に仕掛けた方が勝ちというところまで来た。
だがお互いにカードを使い果たしてしまっている。戦術は全て潰しあった。まさに死闘だった。
ここまで来たら、もう後は自分の右手を信じるしかない。
手汗が止まらない。この一年間の全てが、次の一枚にかかっている。
デッキトップに触れる。
中指と人差しが手繰り寄せた一枚。
その運命のカードが――
◇
桜の舞い散る校門を抜けて、広大な敷地へと足を踏み入れると、広場の中心でナマズの彫刻が出向かえてくれる。その先に七階建ての校舎がそびえ立つ。オシャレな大学か大手企業の本社のような近代的な建物。これから三年間を過す場所が、この校舎だと思うとそれだけで少し胸が踊る。
この幕張南高校は、一学年二千人を擁するマンモス校だ。公立高校でありながら、部活動が盛んで、施設も充実している。
高校としては珍しく、構内は基本的に土足。なので昇降口は存在しない。学生の象徴ともいえる上履きを履くことは二度とないのだ。
校舎に足を踏み入れると、ピカピカの制服に身を包んだ新入生たちの群れが、エレベーターホールを占拠していた。
一年生の教室は、上のフロアに集中している。パンフレットによれば、俺のクラス一年十七組の教室は校舎七階の一番上にあるようだ。中学三年間帰宅部だった俺に、七階まで階段で登るだけの体力はない。素直に俺もエレベーターを待つ群れに加わることにした。
当然だが周りにいるのは知らないやつばかり。居心地の悪さを誤魔化すように、無意味に携帯をいじりって待つこと数分。ようやくエレベーターに乗り込むことができた。四階までは順調に進むが、五階からは各駅停車。校舎がオシャレなのは結構だが、これは移動に苦労しそうだ。数分かかってようやく七階までたどり着く。
俺はスクールバッグを背負い直し、自分の教室へと歩いて行く。一抹の不安を抱きながら、教室に入る。既に半分くらいの生徒が集まっていた。仲良さそうに談笑しているやつらは元々友達だったのだろうか。もちろん、席で一人携帯の画面や配られていたパンフレットを眺めているやつもいる。
黒板に貼られた、それぞれの席が書かれた表に、知り合いの名前はなかった。俺の席は、窓際の一番前。席に向かうと、前後左右の生徒は既に席についていた。
中でも、一つ前の席の女子生徒が異様に目立っていた。
明るめの茶髪。化粧。この前まで中学生だったとは思えない。幕張南高校は比較的校則がゆるいことで有名だが、入学式の日に茶髪・化粧は、さすがに目立つ。
だが、そんなことより、気になることがあった。彼女の机に置かれているものが、ギャルとは結び付かないものだったのだ。
それは――乾パンの袋。彼女は袋から右手で次々口に運んでいる。ザクザクという音が響く。
どうしたんだこいつ……なんで乾パン食ってんだ。聞きたかったが、もちろん話しかけたりはしない。
代わりに後ろの席の男子に声をかける。どこ中だとか、高校の時何部だったとか、当たり触りのない会話を続けているうち、いつのにかクラスメイト四十人全員が教室に揃った。そして、八時半五分前に担任の教師も教室に入ってくる。
「みなさん、おはようございます」
若くて感じが良い、女の教師。特別美人、ってわけじゃないけど、愛嬌はある。
「みんなあつまってるねー。じゃぁちょっと早いけどホームルームをはじめ」
さあ、いよいよ俺達の高校生活が始まる――その時だった。
突然、彼女はやってきた。
◇
バンッと、大きな音。扉が叩きつけらるように開かれた音だった。
凍りつく教室。
現れたのは、一人の女子生徒。
可憐な少女だった。スラッとしていて、ひと目でスタイルがいいとわかる。長い濡鴉色の髪が揺れていた。
その大きな瞳が、まっすぐ前を見つめている――いや。
彼女と、目が合ってる、気がする。気のせいか。彼女とは赤の他人だ。だからそんなわけない。
だが、次の瞬間、それが勘違いではないと分かった。
「ゆーうーきくんッ!」
透き通った声が教室に響き渡った。凍りついていた教室の時間が動き出し、ザワつきだす。
――おいおい、“ゆうき君”って誰だよ。誰かが口にしたその言葉は教室の生徒たち全員の言葉を自然と代弁している。
ごめんなさい、俺です。
俺が“ゆうきくん”です。
「優輝くん、絶対トレカ部に来てよ!」
――トレカ部。
トレーディングカードゲーム。略してTCG。手に入れたカードでデッキを組んで対戦するゲームだ。アメリカで生まれたゲームだが、今では日本産のものが世界中でプレイされている。
男の子であれば、小さい頃に誰でもプレーしたことがあるだろう。
だが、TCGは必ずしも子供の遊びではない。中には、賞金やスポンサー料で生計を立てるプロプレーヤーがいるゲームもある。今やTCGは一種のマインドスポーツとして受け入れられているのだ。
そして自分で言うのも何だが、俺、一ノ瀬優輝は、あるTCGの界隈でちょっとした有名人だ。あの少女はきっとあのゲームのプレーヤーで、俺の“伝説”を知っているのだろう。
「優輝くんが入る部活はトレカ部! ゼッタイ、他に浮気しちゃダメだよ! ゼッタイだよっ!」
麻薬の啓発かな。
この場の誰もがポカンとしていているが、少女は意に介していない。ビシっと敬礼して、「じゃ、またあとで!」そう宣言してから、バンッとドアを締め切った。
数秒の沈黙。この教室の誰も、一体何が起きたのかわからなかったのだ。もちろん俺も含めて。
突然現れた女の子に、いきなり大声で勧誘を受けた。うん、なるほど。整理してみるとそれだけのことだった。だが、その女の子があまりに美少女だったこと、あまりに一生懸命だったこと、そしてあまりに周りを気にしていないことが、強烈な印象をこのクラスの全員に植え付けたのだ。
沈黙を破ったのは教師だった。
「えーっと、あの子はね、うん。すごく変わってる子なの」
引きつった顔で言う。どうやら、あの人は学校内でそれなりに有名人らしい。
「はい、じゃぁ気を取り直して……」
教師が強引に流れを引き戻して、「みなさんご入学おめでとうございます」と改めて学校生活の開始を宣言した。
教師が黒板に自分の名前を書いて簡単な自己紹介をした後、
「じゃぁ、みんなも一人ずつ自己紹介してこうか」
名前だけじゃ寂しいから、入りたい部活か趣味も教えてね、と教師は付け加える。
俺は元々人前に出るのが苦手だ。授業中に発言するだけでもちょっと緊張してしまうくらい。しかも今回は、俺が名前を明かした後、教室がどういう空気になるか手に取るようにわかるからますます自己紹介したくない。
だんだん自分の番が近づいてくる。ああ、テロリストがこの教室を襲って自己紹介がなくならないかな。なんて妄想をするも、もちろんそんなことが起きるわけ無く。自分の前の人が自己紹介を終える。俺は意を決して立ち上がった。
「一ノ瀬優輝です」
予想通り、再びザワつきだす教室。
――あれ、“ゆうき”ってさっきの。
――なに、あの子なの?
――あの先輩とどういう関係?
自分の顔が赤くなっているのを感じた。
「なんの部活に入りたいかまだ決めてません。みなさん、どうぞよろしくお願いします」
俺はそういってすぐに座った。これほどの視線を集めたのは、二年前のあれ以来かもしれない。
幸い、次の人がすぐに自己紹介を始めてくれた。
「姉ヶ崎晴夏ですー」
例の乾パンを食べていたギャルだ。
「中学では帰宅部だったので、高校ではなにか部活やりたいと思ってます。よろしくお願いしまーす」
いちいち語尾を伸ばすのがいらいらする。俺は心の中で彼女に“ギャル子”というあだ名をつけた。もっとも、コイツとは一生関わらないだろうけど。というか関わりたくない。
一通り自己紹介が終わってた後、入学式のために体育館に向った。体育館は中学生のときよりも遥かに広かったが、それでも全校生徒六千人を収容することはできず、参加するのは新入生と三年生だけだった。
「みなさんご入学おめでとうございます」
校長のそんな言葉から、恒例の長話が始まり、その後在校生代表・新入生代表の言葉など、一般的なイベントが粛々とこなされていく。
「校歌斉唱、一同、起立」
合唱部とオーケストラ部のコラボレーションで、校歌が奏でられる。妙にキーが高いその歌は、歌詞を覚えても歌える気がしなかった。
「以上を持ちまして――」
入学式は終わるが、この後も続けて行事が行われる。
「それでは、入学式に続きまして、部活動紹介を行います」
それぞれの部員が壇上に上がって、新入生へのアピールを始める。
うちはマンモス校だけあって、そもそも部活動の数が多い。サッカー部に野球部などメジャーな運動部はもちろん、オーケストラ部なんていうなんかスゴそうな部活、それからCIAなんていうよくわからない名前の部まである(ちなみにCIAはコミック、イラスト、アニメーションの略で、要するに漫画研究会のことらしい)。
いずれの部も、説明に熱が入っている。なんとしても新入部員を獲得したいという気持ちが伝わってくる。
幕張南は公立高校だが、生徒の半分が推薦で入学してくる。彼らの多くは、何かしらの部活動に入ることを条件に入学が許されているのだ。つまり、逆に言えば生徒の半分は既に入る部活が決まっているということになる。
だから多くの部活が、残りの入部義務がない人たちを、一人でも多く部に引きこもうとしているのだろう。それが証拠にどの部活も、初心者でも大丈夫だということをアピールしている。
そして、説明も後半に入り、生徒たちの集中力が薄れてきた頃。
可憐な一人の少女が、裾から出てきた。
「あれ、さっきの人じゃね」
クラスメイトの誰かが言った。
確かに、教室に俺を勧誘しにきたあの先輩だ。壇上の中央まで歩いてくる、その光景はまるでファッションショーか何かのようだった。
「トレカ部の、桜木あおいです」
名女優のように、堂々とした立ち姿。
「私達トレカ部は、アーツオブサーヴァントというゲームに、真剣に取り組んでいます」
――アーツオブサーヴァント。その名前を聞いたのはいったい何時ぶりだろうか。
数あるTCGの中で、名実ともに世界一のゲーム。
アーツオブサーヴァント。
略してアーツ、あるいはAOS。
数千種類のカードの中から、四十枚のデッキと一枚のサーヴァントカード選んで戦う、戦略性の高いカードゲームだ。今では、マインドスポーツの一種として受け入れられていて、大会の賞金だけで生活するプロプレーヤーもいるほど。
最近では開発したアーツ社が、競技として中・高校生に普及させるために様々な取り組みをしていて、全国の学校で、公認の部活動として認められている。
「未経験者大歓迎です。勉強できなくても、運動できなくても、努力次第で誰でも日本一を目指せます」
たかがカードゲームで日本一ってなんだよ。そんなツッコミが入ったことだろうう――壇上にいるのが彼女でなければ。
「本気で一緒に日本一を目指したい人、是非部室に来てください」
いたって真剣な表情で彼女は言った。今までの説明者たちが、競うように笑顔で明るく話していたのと対照的だった。
たかがカードゲーム、そんなことを彼女は微塵も思っていない。心の底から、アーツの世界で頂点を目指している。それが伝わってくるのだ。
◇
「それじゃぁ、明日から頑張っていきましょう」
担任がそう言った瞬間、また彼女はやって来た。
「優輝くん!」
クラスメイト四十人の視線が先輩に釘付け。そんななか、俺はどうしていいかわからず、ただ固まった。もうクラスメイトたちは“優輝くん”が俺だということは知っている。当然知らんぷりは出来ない。だが、立ち上がって自分から彼女のもとに行く決心もつかず。そうしてモタモタしていると、先輩はなんの迷いもなくズカズカ教室に入ってきた。
「行こッ」
そう言って、俺の腕をガッシリ掴んだ。それだけだと俺が逃げるとでも思ったのか、そのまま自分の腕を絡めるようにする。胸が俺の肘に当たる。柔らかい。
この人、わざとやってるんだろうか。これはハニートラップなのだろうか。
クラスメイト全員の視線が俺に集中しているのを肌で感じる。
「いやー入試の時に君を学校で見かけて、ほんとに驚いたよ! まさか、“あの”一ノ瀬優輝くんが幕南に来るなんて」
先輩は、まるで人気アイドルにでも会ったように興奮した様子だ。
「優輝くんが入学してくるのをずっと楽しみにしてたんだよ!」
俺は何も言えないまま、ただ先輩に引っ張られて歩く。
「ほんとにずっとずっと待ってたんだからね」
女の子にここまで言われれば悪い気はしない。だが、しかしここまでアイドル扱いされると、逆に何か騙されているんじゃないかっていう気さえしてくる。
「ここが文化系の部室がある場所ね。あ、でも芸術と音楽系の部活は芸術棟があるからここにはないんだけど」
確かに左右を見ると、部屋の扉には文芸部やら科学部やらという看板がかかっている。
そしてCIA(例の漫画研究会)の隣、七階の一番奥の部屋にたどり着く。
「ようこそ、トレカ部の部室へ!」
先輩が扉を開く。畳が引かれた和室。だが壁には壮麗な天使やドラゴンなどの西洋風のイラストが描かれたポスターが貼られている。三段のスチールラックには、黒い段ボール製のカードケースが積み上げられている。その数はゆうに五十は超えている。
「座って座って」
桜木先輩に促されて席につくと、先輩は冷蔵庫からお茶を出してカップに注ぎ俺の前にだした。
「そうだ、よく考えたらちゃんと自己紹介してかなったね。私は桜木あおい。この部の部長です。二年生ね」
このモデルのような少女が、トレカ部の部長だというのが、にわかには信じられない。
「えっと、俺は一ノ瀬優輝です」
俺が言うと先輩は「知ってるよ」と笑いながら言った。
「早速だけど、部の紹介をするね。うちはね、アーツ専門なの。他のタイトルはやらない」
カードゲームと一口に言ってもたくさん種類がある。テレビゲームが好きな人が、いろいろな種類のゲームをやるように、カードゲーマーもいろいろな種類のカードゲームをプレイするというのはよくあることなのだが、この部はアーツ一筋らしい。
「練習は週六回」
週六って、運動部かよ。俺は思わず心のでそう呟いた。カードゲームは嫌いではないが、週六回強制参加の練習とは、正直楽しそうではない。
「うちの部はね、本気で幕張を目指してるの」
アーツの全日本学生選手権は幕張メッセで行われる。だから、幕張は日本中の学生プレーヤーにとっての聖地となっている。アーツの甲子園とでも言うべき存在なのだ。
「だから、君の力を貸して欲しい」
そう、俺はかつてアーツプレーヤーだった。
といっても、ゲームはとうの昔に引退してしまったのだが。
「えっと、」
こんなにかわいい先輩と一緒に部活ができる。うん、それはいいことだ。
だけどいくらなんでも週六回は多い。せめて週休二日は欲しいと、中学帰宅部の俺は思ってしまうわけだ。
と、心の中で葛藤していると。
先輩が目の前に“入部希望書”と書かれた書類を差し出した。
そして、驚愕の行動に出た。
後ろから抱きしめるように、胸を俺の背中に押し付け、俺の両手に自分のそれを重ねたのだ。
細いけれど柔らかいその両手。でも、それ以上に柔らかいものを背中越しに感じる。
「今すぐ、これ書いちゃおう!」
正直、こんなに可愛い女の子にこんなことをされたら、借金の保証人になる書類でも判子を押してしまいそうだ。
「いや、あの……俺」
だが、毎日運動部さながらに、カードゲームの練習に、俺の学生生活三年間を捧げることには抵抗感がある。
なのに、先輩の身体の柔らかさと、耳にかかる吐息とが、俺の理性を狂わせる。気が付くと、俺はペンを手に取り、その書面に――
その時だった。
「お邪魔しまーす!」
現れたのは、見覚えのある茶髪のギャル。クラスメイトの姉ヶ崎さん、心の中でギャル子と呼んでいる女子生徒だ。
「……あ、ええっと……すみません、エッチなことしようとしてました?」
密着した俺たちを見て、困った表情を浮かべるギャル子。
「ちがうちがう!」
慌てて否定する先輩。横に首をふるだけの俺。
「いや、これはいろいろあって」
しかし危ない。まず先輩に誘惑されて簡単に理性を失う自分が危ない。たとえ五億円の借金の連帯保証人になるという書類でも、ハンコを押してしまいそうだ。そして、この先輩も危ない。健気な童貞男子に、カラダで迫り入部書類を書かせようとするとは……。
「優輝くん、さっきぶりー」
いきなり呼び捨てか、とかそういうのはおいとくととして。
桜木先輩のおかげで、まだ入学初日だというのに、女子にまで名前を覚えられているようだ。
「あたしのこと覚えてる?」
俺は返事をする代わり名前で呼んで率直な疑問をぶつけた。
「姉ヶ崎さん、まさか入部希望?」
俺がそう聞くと、その答えを聞く前に先輩が興奮気味に言う。
「うちの部に興味持って来てくれたの!?」
「あ、はい」
ギャル、先輩の勢いにやや圧倒されてる。
「あたし、まったくの初心者で。っていうかゲームとかもやったことなくて」
「そんなことはノープロブレムだよ! やる気さえあれば!」
それにしても、ギャルがなぜトレカ部に。まったく似合わない。
と、ギャル子は求めてもいないのに、入部志望の理由を述べ始めた。
「あたし、今まで何かを頑張るってこと、したこと無くて。運動も、美術も、勉強もできなくて。得意なこと一つもないんです。だから、一度真剣に一番を目指してみたくて。こんなあたしでも、世界を目指して頑張れますか?」
「もちろんだよ!!」
ギャル子の手を持って、ぶんぶん降る。
「初心者熱烈歓迎だよ!」
観光地にある中国人向けの看板みたいだ文句だった。
「一緒に頑張ろう!」
そして、そのままギャル子に抱きつく先輩。
ギャル子もおもいっきり抱きしめ返す。
「はい、よろしくお願いします!!」
「アーツの魅力っていうのは、誰でも上達できるってことなんだよ。例えば、スポーツだったら、どうしても身体能力に左右されるよね。誰でもイチローになれるわけじゃない。でも、カードゲームは違う。才能がなくても、努力さえすれば、誰でも頂点を目指せる。少なくとも私はそう信じてる」
確かにアーツにおいては、環境に対する理解、つまりどんなデッキが流行するかということを予想すること、そして、それを踏まえたデッキ構築。そういう事前の考察と準備が、勝敗を左右する大きな要因になってくる。
身体的な才能などはまったく必要ないという点では、確かに誰でも努力すれば勝てる競技と言えるかもしれない。
「誰でも、努力さえすれば、白河貴文に勝てるはずなんだよ」
――白河貴文。
その名前は、長い間ずっと忘れていたものだった。だが、心の奥隅には絶対残っていた名前。
「誰ですか、その人」
「学生で一番強い人だよ。桜華院高校の二年生なんだけど」
「桜華院って、すぐ隣じゃないですか」
桜華院は、県内でも屈指のおぼっちゃま名門私立だ。かつては貴族の子弟が多く通っていたという。
白河貴文は、何せアーツの販売元である、アーツ社の創始者の一族で、現代の貴族ともいうべき存在だ。
「そうなんだよね。だから、あたしたちは全国大会に行こうと思ったら、全日本チャンピオンの白河君を倒さないといけない」
「なんか大変そうですね」
ギャル子はのんきに言った。
大変なんてもんじゃない。
何せ相手は世界一の天才。しかもゲームを作っている一族の人間なのだ。どれだけ勝つのが難しいかは推して知るべしというものだ。
「でも今年は大丈夫だよ!」
と、桜木先輩は視線をこちらにむけた。俺は思わず目をそらした。
「ところでお金ってどれくらいかかるんですか?」
ギャル子が鋭い質問をした。
「デッキを一から作るってなると、数万円くらいするかな」
「え、そんなに!?」
大会で頂点を狙うようなデッキを作るには、最新のパワーカードが必要。そういうカードは大抵レアカードで、一枚数千円という相場で取引される。アーツではデッキに同じカードを三枚まで投入することができるから、大抵そういう高いカードは三枚買う必要がある。
しかもこれは初期投資の話だ。新しいカードが登場すれば、それまで強かったデッキが弱くなり、別のデッキが台頭する。もし大会で勝つことを目的にするなら、そのつど最強のデッキを組まなければいけないから、そのたびにお金が必要になる。
「けっこうかかるんですね」
カードゲームが、決してリーズナブルな趣味でないことだけは確かだ。
「安心して。カードは貸してあげるから!」先輩は棚に積まれたカードケースたちをビシッと指差した。「見ての通り、私死ぬほどカード持ってるから」
「ありがとうございます!」
と、先輩はパンと手を合わせる。
「じゃぁーさっそくなんだけど!」
そして机の上に置いてあった黒いストレージケースからデッキを取り出した。
「せっかく優輝君がいるし、勝負してみようか」
そういって先輩はギャル子にデッキを差し出す。
「えーいきなりですか!」
「大丈夫。私が隣で教えるから」
一般的に、TCGでは好きなカードで集めてデッキと呼ばれるカードの束を作り、そこからカードを引いて戦う。
「優輝くん、【アリス】なら使えるよね」
【アリス】は俺がかつて使っていたデッキだ。<カードの国のアリス>によるワン・ショットキルを目指すデッキ。
「はい、どうぞ」
デッキを受け取る。四十枚のカードの束。久々にデッキを手にした瞬間、まるで長いこと会っていなかった親戚に出会ったような気持ちになった。
「学生一の【アリスワンキル】使いである優輝くんからしたら、雑な構築かもしれないけど
“構築”とはデッキ中身のことだ。
「最近の環境はあまり理解していないけど、よく練られていると思いますよ」
「ありがとう」
知らないカードが何枚か入っていたが、どれもこのデッキで生きてきそうなカードだ。
「それから、晴夏ちゃんにはこっち」
ギャル子に手渡されたのは【ゴブリン】。ゲーム初期からある中堅デッキ――だったが、つい先日発売された新弾で登場したカードで強化されて、一躍環境トップに躍り出た、今を時めくデッキだ。
そのイラストを見たギャル子が「かわいいー」という感想を漏らす。
まずゴブリンのイラストは可愛くない。
そして、ゴブリンの強さはもっと可愛くない。
「アーツではデッキの枚数は四十枚から六十枚。この枚数の間なら、好きなカードを組み合わせて作れるけど、同じカードはデッキに三枚までしかいれられない。あと、強力なカードは使うことが禁止されていたり、デッキに入れられる枚数が一枚か、二枚と決められているものもあるの」
ここまではTCGとしてはかなり一般的なルールだが、アーツには他のTCGにはない二つの特徴がある。
一つ目が、サーヴァントカードの存在。
「サーヴァントはプレーヤーの分身なの。基本的に相手のサーヴァントを先に倒したほうが勝ちになるわけ」
サーヴァントは現在五十程度ある。自身が高い戦闘力を持っていたり、あるいは“モンスター”カードを強化する能力を持っていたり、それぞれが様々な特徴を持っていて、デッキ構築の核となる。
「次に、ゲーム開始時の手札なんだけど、アーツでは最初の手札五枚のうち二枚は自分が好きなカードを選ぶことができるの。この二枚をスタハンっていうのね」
これがアーツの二つ目の特徴だ。スタハン二枚を自由に選ぶことができるので、他のTCGでいう手札事故(最初の手札が、弱いカードだけ、あるいはどうしようもない組み合わせになってしまうこと)がない。
「で、スタハン二枚に加えて、シャッフルしたデッキからカードを三枚引いてゲームスタート」
先輩がギャル子にスタハンを指示し、その後デッキをシャッフルして三枚カードを引き足す。
「このゲームでの攻撃の方法は三つあるの」
サーヴァント自身の攻撃。
サモンカード使って呼び出したモンスターの攻撃。
アーツカードを使った魔法攻撃。
「この三つを使って、相手のサーヴァントのライフをゼロにしたほうが勝ち、ってのが基本ルール。でも、中には特殊な勝利条件を満たすことで、相手のライフをゼロにしなくても勝てるデッキもあったりするんだけどね」
今は気にしないで、と付け加えて、先輩はギャル子にさらに指示を出す。
「それじゃぁ、手札のこれを使ってみようか」
先輩がギャル子の手札の一枚を指出す。そのカードは当然――
「えっと、<ゴブリンの角笛吹き>を発動」
新弾で登場して一躍【ゴブリン】をトップデッキに押し上げた強力なカードだ。
<ゴブリンの角笛吹き>サモンカード
このカードは、デッキから手札に加えることはできなず、手札以外から詠唱することもできない。
一ターンに一度、デッキから<ゴブリン>と名の付くカードを1枚手札に加える。
このカードによって、【ゴブリン】デッキは毎ターン、ノーコストでアドバンテージを稼ぐことができる。
将棋で例えるなら、何もしてないのに、自分の番になったら持ち駒が一つ増える、みたいな効果だ。
「デッキから加えるのはこのカード」
先輩がデッキから取り出したカード。
<ゴブリンの召喚士>サモンカード
このカードの召喚時に発動する。デッキから<ゴブリン>と名の付いたサモンカードを1枚選択して詠唱する。
【ゴブリン】デッキの圧倒的な強さを支えるもう一枚のカード。
<角笛吹き>で<召喚士>をサーチして、<召喚士>でさらに追加召喚する。<角笛吹き>一枚から二枚ものゴブリンを召喚できるのだ。これは単純に毎ターン相手より二枚多くカードをプレイできるということ。このアドバンテージ獲得能力で敵を圧倒するのだ。
「晴夏ちゃん、これとこれを伏せて、ターン終了にしようか」
さぁ、俺のターン。実に二年ぶりのドローだ。
「ドロー。俺はカードを二枚詠唱。セブンスターカウンターを一つ貯めてターン終了」
【アリス】デッキは、セブンスターカウンターを七つ貯めることで発動できる一撃必殺の攻撃<ヴォーパル・セブンスターズ>の発動を目指す。それまで時間がかかるため、いかにして相手の攻撃をうまく防ぐかが勝敗を分けるカギになる。
「じゃぁ晴夏ちゃん、次は」
ギャル子は基本的に先輩から指示を受けながらプレイしていく。
「<ゴブリンの先遣部隊召喚>」
「俺はカードを二枚伏せてターン終了」
「先輩、詠唱と発動は何が違うんですか?」
「詠唱ってのは、裏向きのまま場にカードを出すこと。発動はカードの効果が発揮されること」
アーツでは、カードによって、場に出し(詠唱)から、効果が発揮(発動)できるようになるまでの時間が異なる。詠唱してか発動できるまでの時間を“詠唱時間”と呼ぶが、基本的には詠唱時間が長いほど強力な効果を発揮できる。
「こっちのカードは詠唱時間が短いでしょ。だから攻撃力もたいしたことない。でも、こっちのカードは詠唱時間が長い。だから攻撃力も強い」
「なるほど。じゃぁ先にこっちを出してみます」
今度はギャル子は自信の意志で手札からカードを選んで詠唱した。
デュエル中盤からはギャル子もだんだん要領がわかってきたようだ。【ゴブリン】デッキは基本的に、召喚して殴るというシンプルな【ビードダウン】デッキだから、初心者でもかなり扱いやすい。
「<ゴブリンの先遣部隊>を出します」
基本的に【ゴブリン】デッキは序盤から中盤に攻める速攻デッキだ。だが一方で長期戦にも強い。
普通の速攻デッキは、スピードがある代わりに、後半息切れしてしまうものだが、【ゴブリン】は永続的にアドバンテージを獲得できるので、その心配がない。
【ゴブリン】デッキを【ゴブリン】以外のデッキで相手にするにはきわめて難しい。
それから数ターン、俺は相手の猛攻を受け流して、ひたすら<セブンスター>カウンターを貯めていった。
だが、どんどん展開されるゴブリン相手に対応が追い付かない。あと一体、ゴブリンが加わったらそれでゲームエンド――
「<ゴブリンの騎兵>を詠唱」
にならないように、俺は既に手を打ってある。
「それに対して<破滅的終結>を発動」
<破滅的終結>
相手がモンスターを召喚したときに発動できる。フィールド上の全てのモンスターを破壊する。
「えー。なにそれ反則じゃーん」
「一方的に攻撃してればいい、ってもんでもないんだよ。反撃のカードはいくらでもあるの。だから相手の反撃まで読んだ上で、それを超えていかないと勝てないんだよ」
「……いろいろ考えなきゃいけなくて大変ですね」
TCGは確かに遊びだ。でも、それはババ抜きとか人生ゲームとか、そういった類のものではない。その知性の攻防は、ゲーム前から始まり、ゲーム中も気は抜けない。ゲーム前もゲーム中も、常に変化する状況を読んでいかなければいけないのだ。
「まぁ、まずはよく使われるカードにどんなものがあるか、覚えていくところから始めよう。警戒するカードの種類は限られてるから」
「はい、がんばります!」
◇
それから小一時間、ギャル子と俺でバトルを続けたところで、俺はふとある疑問を口にした。
「そういえば、他の部員は何人くらいいるんですか」
俺が聞くと、先輩な表情が歪んだ。
「実はね、去年は部員が四人いたけど、今は私と幽霊部員一人だけなんだ」
まずいことを聞いちゃった、先輩の顔を見てそう感じた。どう考えてもワケアリだ。
「だから、二人には絶対入って欲しい。大会も目前だし」
先輩は、本当に真剣な目で俺たちを見た。
「すぐ大会あるんですか」
ギャル子が聞く。
「アーツの甲子園、全国高校選手権が目前に迫ってるの」
全国高校選手権。
アーツ社が主催する大会ではもっとも権威がある学生向けの大会だ。
三人+交代要員一人のチーム戦。
まずは五月に行われる県予選に参加することになる。ここで上位二チームに入ると、次の関東大会に駒を進める。そこで上位六チームに選ばれれば、晴れて本選出場となる。
「じゃぁ頑張らないとですね!」
ギャル子がそういうと、先輩は嬉しそうに目を細めた。
「善は急げ、今日から幕張目指して頑張ろう」
「はい!」
もうこの頃には、なんだか今更入部しませんとは言えない空気になっていた。
◇
「……土曜日か。幸せだ」
目覚ましにたたき起こされることなく、自然と目が覚めた八時半。
入学、そしてなし崩し的にトレカ部に入部してからから、一週間が経った。ただでさえ慣れない学校生活に加えて、放課後には毎日部活。長めの春休みの後ということもあって、もう金曜の時点でくたくただった。
だから今日は家から一歩も出ないと決めていた。
「よし、有意義にだらけるぞ」
部屋から出て洗面所へ行き顔だけ洗ってリビングへ向う。
「おはよう」
そこには妹の姿があった。
「めずらしいな。結衣がこの時間に家にいるなんて」
妹の結は幼い頃からフィギュアスケートをやっている。実は、国際大会でも優勝経験がある、かなりの実力を持ったスケーターで、スケートファンの間ではそれなりに有名な存在なのだ。
結衣の生活は基本的にスケート漬け。毎日、日の出よりはやくスケートリンクに向かい、夜遅くに帰ってくる。練習がお休みなのは元旦だけ、というほど厳しい。
「練習休みなの?」
自分でもそんなわけはないと思いながら聞くと、答えはやはりNOだった。
「いや、今日は名古屋に行くから」
普段は千葉のリンクで練習しているが、時々、ジャンプの指導をしてもらうために名古屋に練習に行く(ちなみに名古屋は一流選手を多く輩出している、日本屈指のスケート県だ)。
「すぐ行くの?」
「あと五分くらいしたら行く」
「がんばりなはれ」
俺は棚からクロワッサンを取り出して食卓に着く。
「ところで、お兄ちゃん、何部に入るの」
突然妹がそんなことを聞いてきた。
一瞬、まだ決めていない、とごまかそうかと思った。
いずれどこかで言わなければいけないことだ。なら先にさらっと言ってしまったほうがいいいだろう。
「たぶんトレカ部」
俺がそう言うと、妹は怪訝な顔をした。
「なにそれ。トレカって。あのトレカ? 昔やってたやつ?」
その言葉の裏には、言うまでもなくカードゲームは子供がやる遊びだろうという、非難が込められている。
「一応競技中心の部なんだけどね」
「競技ってなによ。遊びじゃないの」
「プロもいるくらいメジャーな競技なんだよ」
「へぇ」
「練習週六回だからな」
俺がちょっと反抗心を持ってそういうと、
「練習って。大げさな」
妹は率直で、しかし世間的にはまったくもって正しい言葉で返してきた。
まぁ、確かに。カードゲームをすることを、練習と呼ぶのは、一般人からしたらハテナだろう。
ちなみにカードゲーマーも、練習という言葉はあまり使わない。アーツプレーヤーが練習といった場合、かなり限定的な意味になる。選択肢が多く、使うのが難しいデッキを、一人でシュミレーションすることを指す。
一方、デュエルの練習することを“調整する”ということが多かったり。
「先輩は結構一所懸命やってるんだよ」
「ゲームを一所懸命やるって、変なの」
まぁ妹のお言葉はごもっともだ。
「あ、わたしそろそろいくわ」
「あいよ」
「いってきまーす」
「気を付けて行ってこいよ」
妹が出かけると、家は静寂に包まれた。
部屋に戻り、再びベッドに倒れこむ。さて、久しぶりの休日をどう過ごそうか。
と、携帯のバイブ音が部屋に響いた。
メッセージが届いた。差出人はギャル子。
晴夏――今、暇?
いったいなんだ。
まさか「今暇?」「うん暇」「そうなんだ」と、暇かどうかを単に確認したいわけではなかろう。いかにも日本人的な聞き方。「暇?」という質問は基本的に「今日、一緒にどこかに行きませんか」というお誘いなはずなのだ。。
でも解せない。女が男を誘う。これはいわゆるデート、というやつに当たるのではないか
こいつ、俺のこと好きだったの? 一瞬そんなことを思うが、理性がすぐに否定する。
そもそも、俺あまりギャルは好きじゃない。どうせデートするなら桜木先輩がいい。
それに、俺は今日家にいると決めたのだ。
一ノ瀬優輝――暇だけど
と打ってから、
一ノ瀬優輝――荷物届くから家にいないといけない
と続ける。 完璧な言い訳だと思った。
だが、それは裏目に出た。
晴夏――暇なのは暇なのね
晴夏――じゃああたしが優輝の家にいくから
俺は目を疑った。ギャル子が、俺の部屋に来るだと?
妄想が頭の中を駆け巡る。女の子が、男の部屋に来てやることなんて、一つしないじゃないか。
幸い?、家族は外出している。これが高校生デビューというやつか。そのときは突然やってくるのか。
一ノ瀬優輝――っていうか、俺んち知ってるの?
晴夏――先輩が教えてくれた
確かに先週、入部希望届に住所を書いた。
晴夏――じゃ、午後に行くから
確か、ギャル子の家は意外とと近くにある。駅でいうと一駅分。
一ノ瀬優輝――まじで来るの
このメッセージは既読にはならなかった。
◇
「優希、こんちは」
現れたギャル子は、まだ春だというのに、Tシャツ一枚で現れた。胸元が妙にゆるく、谷間がはっきり見えてしまっている。
「お、おう」
「おじゃまでーす」
「とりあえず上行こうか」
自分の部屋に招き入れる。
「おじゃましまーす」
そう言ってギャル子はベッドに腰掛けた。
「家族誰かいるの?」
「いや、いないけど」
「そうなんだ」
と、そういった次の瞬間。
「じゃぁ、なーんにも気にしなくていいんだね」
と、ギャル子が俺を見上げながら言った。またシャツの隙間からブラジャーに包まれた谷間が見える。
「えっと、それで何をしに来たの」
「なにしにきたとおもう?」
「えっと」
と、突然彼女はシャツを脱ぎ去った。チラチラ見えていた胸が、堂々と俺の前に現れる。
「楽しいこと、しよ」
彼女は小悪魔のような笑みを浮かべてそう言ったのだ――
◇
なーんて妄想をしていると、あっというまに午後、約束の時間になった。
そしてチャイムが俺のためだけに響き渡った。
玄関にいって扉を開ける。その瞬間、ふわっといい香りが鼻孔をくすぐった。
ゆるめのニットにミニスカート姿(流石にTシャツ一枚ではなかった)。彼女の私服を見るのは初めてだ。もともと可愛い方だとは思うが、今日は三割ましで可愛くみえる。
「おじゃまでーす」
スニーカーとサンダルしかない玄関に、ヒールのオシャンティな靴が置かれているのは違和感しかない。
「とりあえず上行こうか」
階段を上り、部屋に招き入れる。
「おじゃましまーす」
彼女は再びそういうと、ちゃぶ台の横に敷かれた座布団に座り込んだ。
「家族誰かいるの?」
「いや、いないけど」
「そうなんだ」
と、そういった次の瞬間。
「じゃぁ、なーんにも気にしなくていいんだね」
あれ、この流れって。
「で、なにしにきたの」
「そりゃ、楽しいことだよ」
「え」
楽しいことって、まさか。
と。
おもむろにギャル子がスクールバックから何かを取り出す。
「え、」
俺は思わずそう呟いた。彼女が取り出したのはデッキケースだったのだ。
「あたし、自分でデッキ組んでみたんだ」
ギャル子がバーンとデッキケースを俺の目の前に突きつける。
「えっと、デュエルするの?」
そうか。コイツは、平日だけでは飽きたらず、決闘相手を求めてやってきたのか。
「他に何するの?」
ギャル子はしごく不思議そうな表情を浮かべた。
確かに、彼女のアーツへのハマりっぷりは、かなりのものだった。部室で熱心にプレイするのはもちろん、授業中や休み時間もスマホでずっとアーツのことを調べているみたいだ。
「いや……そうだな」
エッチな妄想をしていた自分が異様に恥ずかしかった。
俺はごまかすように、机からデッキケースを取り出した。ちゃぶ台にラバーシートを引いて、携帯のライフ計算アプリを起動する。
フェイバリットデッキである【アリス】で相手しようかと思ったが、試合も近いのでやはり【ゴブリン】を使うことにした。
現在、各種大会では【ゴブリン】が大流行している。ギャル子にとって、まずは試合で一番戦う確率が高い【ゴブリン】の経験を積むのが、強くなる近道だろう。
「お願いします」
ギャル子のデッキをカットする手つきは、まだまだたどたどしかった。
「じゃぁ、姉ヶ崎先行でいいよ」
お互いカードをセットしてデュエルを開始する。
ギャル子はこの一週間で一通りルールを覚えたが、まだまだ細かいカードの効果を勘違いしていたり、明らかなプレイミスをすることが多いので、そのたびに指摘していく。
ギャル子は俺のアドバイスをいちいち携帯にメモしていた。学校の授業でもここまで真面目に聞く人は少ないだろう。
そしておバカな見た目とは裏腹に、このゲームの駆け引きをある程度理解していた。まだ正しい選択を少ない時間で導き出すことはできないものの、バカ正直につっこんできたりはしない。
「ターン終了」
俺の場にはゴブリンが一体だけ。一方相手の場にはゴブリン三体と伏せカード一枚。
「ドロー」
いいカードを引いた。
<ガストオブウインド>
詠唱中のアーツを一枚選択して、破壊する。
ギャル子のフィールドには前のターンに詠唱した正体不明のアーツが一枚。
「<ガストオブウインド>でそれ破壊で」
彼女の伏せたカードを指差す。するとギャル子は満面の笑みを浮かべた。
「ひっっかかった!」
得意げにカードを裏返す。
「<連鎖爆撃>発動!」
その得意げな表情がかわいかった。よくできましたと頭を撫でてあげたい。
だが、
「残念でした」
「え?」
「これはね“強制効果”なんだよ」
「強制効果?」
「例えば破壊するという効果には、二種類ある。破壊“できる”という任意効果か、あるいは破壊“する”という強制効果」
俺は連鎖爆撃のテキストを指差す。
<連鎖爆撃>
このカードが破壊され墓地に送られたとき時、フィールド上のカードを二枚破壊する。
「この<連鎖爆撃>の効果は、強制効果。テキストに“破壊する”と書いてあるでしょ。しかも、テキストには“相手の”とはかかれていない。つまりたとえ自分のカードでもいいから、何かを破壊しなければいけない、ということなんだ」
「自分のカードなのに破壊しなきゃいけないの?」
「カードに書いてあることがすべてだからね。強制効果を持つカードには、自滅の可能性もあるんだよ」
「難しい……」
「まぁ一つ一つ覚えていこう」
◇
結局、日が暮れるまでゲームを続けていると日が暮れた、さすがにかなり疲れてくる。
「もう暗いし、送ってくよ」
我ながら紳士。
だが、ギャル子は想定外の言葉を返してきた。
「ってことは、送るだけの時間はあるってこと?」
「え?」
「送るのはいいから、その代わりにもう一戦しよ」
俺ですら、数時間デュエルを続ければかなり疲れる。ましてギャル子は初心者で、しかも常に真剣にプレイし続けている。
「どうしてそんなにガチなんだ」
俺は思わずそんな質問をしてしまった。確かにアーツはゲームとして面白い。だが、これほど長時間、集中してやるのは、決して楽ではない。
すると、彼女は意外なことを口にした。
「五月には、大事な大会があるんでしょ?」
全国高校生選手権。先輩が、いやアーツをやる学生ならだれでも目指している大会。
「このままじゃ迷惑かけちゃうから」
彼女は心配しているのだ。大会はチーム戦。自分が勝てなければ、チームの、桜木先輩の足を引っ張ることになる。だから人一倍頑張らなければ、と。
ギャルな見かけと裏腹に、どこまでもまじめだ。
「なるほどね」
でも内心、俺は思った。そんなにガチにならなくてもいいのに。
◇
月曜日。授業が終わって部室に行くと、桜木先輩は挨拶よりも先にこう宣言した。
「今日はショップに行きましょう!」
「いきつけのショップとかあるんですか?」
「うん。最近はあんまりだったけど、前は結構よく行ってたとこ」
それにしても、桜木先輩とギャル子の会話は、おしゃれなアパレルショップの話でもしているのかと勘違いしそうになる。もちろん、ショップといってもカードショップの話をしているのだが。
「今日は大会に出ようと思います」
各カードショップで行われる大会は、アーツ社主催の大会や、有志が開催するチャンピオンシップよりも、気軽に参加できる小規模の大会だ。参加者たちもお互いにも顔なじみ同士であることが多い。
「いきなり大会ですか! あたしには無理ですよー」
「大丈夫大丈夫。大会って言っても、小さいやつだから」
最寄りの駅から五分ほど歩いたビルの三階にその店はある。
トレカショップ“猫の手”。県内最大のカードショップだ。アーツのプロプレーヤー音駒店長が開業した、アーツのみを取り扱っている専門店だ。多彩な大会が毎週行われていて、プロプレーヤーからカジュアルに楽しむプレーヤーまで、多くの愛好家のたまり場になっている。
「いらっしゃいませー」
髭を生やした、一見するとバーの店主かと思うような中年の男が、俺たちを出迎えた。この男が、店長にしてプロプレーヤーの音駒だ。
「店長、まだエントリーできるよね?」
先輩は店長に慣れた様子で話しかける。
「もちろん」
「よかった」
俺たちはデュエルスペースの一角に陣取って、大会に参加するための参加表に記入。三人分をまとめて店長に差し出す。
と、俺が出したエントリーの用紙を見て、店長が驚きの声を上げた。
「まさか、君が一ノ瀬優輝?」
自分で言うのもなんだが、俺はこの界隈ではちょっとした有名人だ。といっても、俺がスゴいプレーヤーだから有名、というわけではないのだが。
「ええ、まあ……」
「へぇ、そうか。まだアーツやってたの」
「最近また再開したんです」
そのやり取りを聞いていたギャル子が不思議そうな目でこちらを見てくる。
「優輝、有名人なの」
「俺が有名なんじゃないよ」
俺のその答えは謙遜なんかじゃない。事実なのだ。
「どういうこと?」
とギャル子が説明を求めてきたので、隠すことでもないし答えようかと思った、その時だった。
店の扉が大きめの音を立てて開いた。
入店してきたのは長身細身の少年だった。男としてはかなり長い、肩まで届きそうな髪は銀髪。ドクロのあしらわれたTシャツ、カードくらいの大きさの穴が空いたダメージジーンズ、先がトンガリの黒い靴。
一見カードゲーマーには見えないが、実はこういう痛いビジュアル系なファッションに身を包んだプレーヤーは皆無ではない。
少年と目線が合う。俺は慌てて目線を外らしたが、彼はなぜかこちらに歩いてきた。
「よう」
彼は低い声で先輩に話しかけてきた。
「影山君」
先輩がそういう。どうやら二人は知り合いのようだった。
「久しぶりだな、桜木」
「そだね」
先輩の顔は珍しく曇っていた。いつも明るい先輩の、そんな表情を見るのは初めてかもしれない。
「えっと、この方はどなたなんですか」
「うちの部員だよ。幽霊だけどね」
俺は影山先輩と桜木先輩を交互に見た。もちろん彼がトレカ部の部員だというとにも驚いたが、そもそもうちの高校の生徒だったとは。不良高校のヤンキーにしか見えない。幕張南の校則が緩いのは知っているが、あんなロン毛銀髪も許されるのか。
そもそも今日は普通に平日。制服はどうしたのか。わざわざ家に帰って着替えたのか。だとしたらちょっと笑う。
「桜木、いい加減諦めたほうがいいんじゃないのか。どうせ、アイツらに勝てるわけないんだから」
その言葉には、やたらと棘があった。だが、そんな彼に対して、桜木先輩は怒りも戸惑いも見せず、ただしっかりと彼の目を見据えて宣言した。
「あたし、絶対諦めない。今年こそ、幕張に行ってみせる」
その言葉を聞いて、影山先輩はふっと笑ってから、俺たちに目を向けた。
「それで、こいつらが新しい部員か」
長身で見下げられているからか、ものすごく威圧感を感じる。
「お手並み拝見だな」 という言葉の後に、ニンマリとして、俺に向かって、こう言った。
「こういうのはどうだ。俺とお前で勝負して、勝ったほうが桜木とデートできる」
「何言ってんの!?」
先輩が抗議の声を上げるも、影山はまったく意に介さない。
「せっかくなんだから、本気で勝負したいだろ。言い訳なしのガチデュエル。それに俺程度の人間に負けるようなやつを仲間にしたところで、貴文に勝てるわけがない。違うか」
先輩とデートできるかはおいておいて、純粋に面白いと思った。
「ぜんぜん勝負しますよ」
デュエリストの血が騒いだ。といったら大げさか。
「先輩、安心してください。俺、負けませんから」
俺がそう宣言すると、影山はにらみを利かせてきた。
「言っておくけど、俺は去年のグランプリ神戸でベスト十六に入ってるからな」
だが、グランプリは、プロプレーヤーたちが多く参加する公式大会だ。そこでベスト十六ということは、少なくともブロプレーヤー並みの力を持っているということになる。即ち、影山の実力は超学生級ということだ。
まぁ、だが、その程度であれば。
そもそも、自分で言っちゃうあたり、小物感が半端ない。
「じゃぁ始めようか」
お互い、サーヴァントカードとスタハン二枚を裏返しで置く。その後お互いのデッキをカットアンドシャッフルしてデュエルのスタート。お互いのサーヴァントを裏返す。
俺のデッキは【カードの国のアリス】。七つの<スターカウンター>を貯めると発動できる能力<ヴォーパル・セブンスターズ>をメインウェポンに戦うビートダウンデッキだ。ゲームを始めた当初からずっと使い続けているフェイバリットデッキ。
「【カードの国のアリス】か。長期戦タイプのデッキだな」
影山先輩の言う通り、俺のデッキは現在の環境を基準にすると、速度はかなり遅いデッキだ。
だが、影山先輩のサーヴァントは<ろくでなしの傭兵隊長>。このデッキも速度が遅い。
<ろくでなしの傭兵部隊>
自分のドロー・ステップに発動できる。デッキから「ろくでなし」カードを2枚手札に加える。
【ろくでなしの傭兵部隊】デッキ。<傭兵隊長>の効果で、毎ターン二枚のカードを手札に加え、ハンドアドバンテージを獲得し物量で押し切るデッキだ。
カードを無条件で二枚ドローできる<王の欲望>が、禁止カードになっていることを考えれば、毎ターン二枚のアドバンテージを稼げるこの効果がいかに強力かがわかる。
だが、当然デメリットもある。“ろくでなし”カードは基本的にサモンカードだが、これらのカードは全て召喚してから二ターンの間攻撃できない。これは即ち、すべての行動に二ターンのラグがあるということだ。
高速化が進むこの環境で、二ターンのラグはあまりに大きい。それゆえ、構築をかなり練りこまなければ、環境デッキには勝てない。
お互いに使用デッキは、同じタイプの中堅デッキ。であれば、勝負を左右するのは、構築の緻密さと、プレイング、そして相手のデッキへの理解度。つまり純粋に実力比べができる。
「俺は<ろくでなしの傭兵隊長>の効果でデッキから<ろくでなしの勧誘部隊>を手札に加える」
<ろくでなしの勧誘部隊> サモンアーツ
このカードが召喚された時、デッキから“ろくでなし”召喚アーツを一枚詠唱する。
【ろくでなし】デッキのの中核を担うサーチャーだ。自身のステータスは貧弱だが、デッキから好きな“ろくでなし”をリクルートできる強力な効果を持っている。このデッキの強みの一つだ。
【ろくでなし】も【アリス】同様に、後半の爆発力があるデッキだ。逆に言えば、序盤はスローな展開で進む。
「ターン終了」
「俺のターン」
しかし、この先輩、見かけによらず繊細なプレイングをしてくる。ミスらしいミスをしないし、デッキへの理解もかなり高いと思われる。
お互いに展開し、デュエルは中盤に差し掛かる。
「お前のデッキは最短でもあと三ターン待たないと勝利できない。だが、俺のデッキはあと二ターンでお前のライフをゼロにできる。お前の負けだな」
影山先輩はニンマリとした。確かに、現在影山先輩のほうが一歩早く攻撃体制を整えている。どうあがいても<ヴォーパルセブンスターズ>を発動するまえに俺の負けが確定してしまう。
「<賢者の選択>を発動」
<賢者の選択>
デッキの上から3枚のカードをめくる。その中から1枚を選び手札に加える。残りの2枚をデッキに加えてシャッフルする。
手札の質を高めてくれる強力なドローカードだ。
「さて」
影山先輩がめくった三枚を見た瞬間、一瞬ドキっとした。その中に<火の用心>があったからだ。
<火の用心>
相手が効果ダメージを与えるカードを発動した場合に発動できる。その効果を無効にし、自分はカードを一枚引く。
効果ダメージでの勝利を目指す【アリス】にとっては、致命傷となるカードだ。ここにきて、逆転のカードを引かれた。
「いいカードを引いたな」
影山先輩の指先が<火の用心>に伸びる。
俺は心の中で祈った。
――気が付け。そのカードは選ぶべきではない、と。
そして、その祈りは届いた。
「まぁ、あと一ターン遅かったら、<火の用心>を選んでるがな」
よし、影山先輩は、“ちゃんと”気が付いたのだ。
「お前が<ヴォーパル・セブンスターズ>を発動する前に決着はついてるから、このカードはいらないんだよな。俺はカードを一枚詠唱してターン終了」
そう、その通り。正解だ。
ただしその正解は俺にとっての正解。彼はわかっていない。影山先輩は、俺のデッキが【アリス】だからといって、<ヴォーパル・セブンスターズ>だけが勝利の方法だと思っている。
「俺のターン」
これで、俺の勝ちだ。
「“セブンスターカウンター”を六つ取り除いて発動」
「最後のあがきか」
確かに“セブンスターカウンター”は、七つそろって初めて真価を発揮する。消費六つで消費七つほどの大火力は得られない。当然、影山先輩のサーヴァントのライフは残る。
「もう他に勝ち筋はない。これで俺の勝ちだな」
「いえ、先輩の負けです」
俺は手札からカードを発動する。
<強者の傲慢>
このカードはデュエル開始から3ターン発動できない。
相手か自分の手札が5枚以上ある場合に発動できる。相手のサーヴァントに5点のダメージを与える。
直接五点ものダメージを与える、破格のバーンカード。だが、デュエル中盤以降、かつ手札が五枚以上あるときにしか発動できない。このゲームでは、デュエル終盤に手札が五枚以上あるようなシチュエーションはまずない。それゆえ、きわめて使いにくいカードだ。
だが、現在環境トップのデッキである【ゴブリン】や、影山が使っている【ろくでなし】のように、次々サモンカードを手札に加えて、圧倒的なアドを稼ぐデッキ相手であれば、手札が五枚という条件がクリアできる。まさに“強者”相手にのみ、有効なカードだ。
「俺の勝ちですね」
影山は言葉を失っていた。
俺は彼を一瞥してから、振り返ってVサイン。
まるでストライクでも決めた後のように先輩とハイタッチ。
「優輝くん、さすが!」
と、先輩のその言葉を聞いた影山先輩が、
「優輝、だと?」
と呟いた。
「あの白河貴文に勝った一ノ瀬優輝?」
影山先輩のその言葉に、俺がこの界隈でちょっとだけ有名な理由が集約されていた。
俺はこの業界ではちょっとした有名人だ。でもその理由は、大きな大会で優勝経験があるとか、デッキ構築がうまいとか、そういうことではない。
俺が有名なのは、学生大会無敗の男にして、ゲーム開発者の弟、白河貴文に、学生で黒星をつけた唯一の人間だからだ。
逆に言えば、白河貴文という男は、学生大会でたった一回しか負けたことがない。俺が彼に勝ったのは、たったの一回。何十回と公式大会で対戦して、ただの一回なのだ。
影山先輩は無言でデッキを片付け始める。
と、桜木先輩が拳を握りしめながら、影山先輩に話しかける。
「影山くん。今年は、絶対幕張に行くから」
先輩が影山に宣言する。
「いけるといいな」
と、店の扉が開く音がした。
「まぁ、あいつがいる限り無理だろうけどな」
そして影山先輩が扉のほうを指さした。
そこには――
「間に合ってよかった」
整った顔立ちと透き通った白い肌が印象的な中性的な少年。
白河貴文。
アーツの開発者白河博文の弟にして、全日本学生チャンピオン。
生ける伝説。
全日本学生選手権が始まったのが五年前。なんと白河貴文は、その舞台で、ただの一度も敗北したことがないのだ。文字通り、学生大会では敵無し。プロの世界でもその実力は認められている。
「久しぶりだね、優輝君」
「久しぶりだな」
「復帰したのかい」
「まあね」
「当然、今度の県予選にも出るんだよね」
「そのつもりだね」
俺の言葉を聞くと、彼は数秒黙り込んだ。そして、
「君と再戦できる日を夢見ていたよ」
どこか表情が綻んで見える。普段彼はデュエル中もそうでないときも、ほとんど表情を変えない。だからほんの僅かな笑みでも、印象的だ。
「県大会、楽しみにしてるよ」
「県大会と言わず、今はどうだ?」
「あいにく、まだデッキが完成してなくてね。君とは、調整や遊びのデュエルじゃなくて、完璧なデッキで戦いたい。だから県大会まで楽しみは取っておくことにするよ」
◇
「あたし、ちょっと用事があるので」
そういってギャル子は駅とは反対の方向へ歩いていった。
「優輝くん、ちょっと散歩していかない?」
他愛もない会話をしながら、俺と先輩は歩き始めた。十分も歩くと、海に出る。
磯の香りが強かった。
「海、こんな近かったんですね」
海浜幕張、なんて名前をした駅を利用しておきながら、海を見たのは初めてだった。
幕張は、一見すると都会だが、以外に人が少ない。ゴーストタウン、なんて言われたりするくらいだ。日の落ちかけているこの時間であればなおさらで、この浜にも人気はほとんどない。海にはサーファーがいたが、それくらいだ。
そんな中で、自然と俺達の口数が減っていった。でも、それは決して居心地の悪いものではなかった。
海を横目に歩く。塩の匂いに混じって、ふと柑橘の爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
肩が一瞬触れた。俺の目線は自然と先輩の右手に吸い寄せられた。その手を、握りたいと思ってしまったのだ。
と、先輩が急に立ち止まった。先輩の顔を見ると、意を決した、という様子で口を開いた。
「去年はね、白河君に勝てなかった。だから、優輝くんの力を貸して欲しい」
次の瞬間、先輩の顔が近づいた。ふわっと香る柔らかい香り。伝わってくる彼女の手のふんわりとした暖かさ。
端正な顔が目の前に。その大きな瞳に見上げられる。その瞬間、あ、恋に落ちたな、って自分のことなのに妙に客観的に見ている自分がいた。
こんなに可憐な少女に、吐息が感じられるこの距離で、こんなに真っ直ぐな瞳で、見つめられて恋に落ちないやつなんているわけがない。
悩んでいたが、どこかに消え去った。
別にいいじゃないか、周りから評価されなくたって。こんなにかわいい女の子が、俺の力を必要としている。それだけで十分だ。
「先輩」
先輩越しに、幕張メッセが見える。近くて遠い、あの場所。無敗の男に勝たなければ、あそこに足を踏み入れることはできない。
でも、先輩のためなら、あの男にでも勝てる気がした。
「絶対行きましょう、あそこに」
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