機械仕掛けのラポール
拾捨 ふぐり金玉太郎
本編
「これ、なあに」
「ワタシはラポール。ゆかりサンの生活を助けマス」
「へえ、ロボットなのね。凄い時代になったのね。何ができるの」
「炊事、洗濯、掃除、お薬の管理、外出のお手伝い、スケジュール管理。アラユル日常生活の支援に対応していマス」
「すごいわねえ。それで、お名前は何て言うの?」
「ワタシはラポール――」
そんなやり取りが、かれこれ6回は繰り返されている。
いつもならゆかり
今では少し前に話していたことも忘れてしまうけど、目の前で受け答えを続けている“それ”が人間でないことはきちんと判っている。
自らを“ラポール”と名乗った“それ”は、清潔感ある白と薄桃色で成型された抗菌軟質樹脂の外装に身を包み。
感情表出インターフェースを兼ねた“両眼”インジケータ・ランプが、人形の面に似た白い頭部でぼんやりと発光し。
ヒトを模しながらもあくまでも人間とは異なる
「ロボットも凄くなったものよね、
伯母さんの食事を運んできたあおいさんが、延々と母親の話し相手になっている“介護ロボット”を見て感心する。
「本当凄いですね。それに、この家にロボットが居るって状況が既にちょっと感動だな」
「保険が使えるようになったからね。実費で導入したら月三万円もかかるのよ。知ってた?」
――汎用生活支援ロボット『ラポール』。
増えすぎた介護需要に対応するために近年ようやく実用化された、
人間の動作をほぼ完璧に再現した医療・介助技術に、膨大な事例データと援助記録を基にしたコミュニケーション能力を備えている。
それまでは複数の援助者やサービスの連携を必要としていた在宅介護だが、多くがラポールとその管理事業所のみで引き受けることが可能となっているのだ。
「ゆかりサン。食前ニお薬がありマス」
「あら、ありがとうね」
ラポールがしずしずと薬箱から本日分の薬を取り出し、封を切ってから手渡す。
一連の動作に不自然なぎこちなさは一切無く、関節で作動している筈のサーボ・モーターの音もまったく聞こえない。
本当は中に人間が入っているのでは?とさえ思え、静かな感動を覚える。
「ひと昔前だったら施設へ入れなくちゃ、って悩んでた所なのよね」
「施設、ですか。昔はたくさんあったんですよね?」
「そうね、私が子供の頃はまだあちこちにあったわ。今では随分少なくなったけど」
ゆっくりと食事をとる伯母と、傍らでそれを“見守る”ラポール。
“二人”を交互に見比べながら、僕とあおいさんは先日ニュース動画で特集されていた『超々高齢社会のこれまでと今』なるトピックを思い出していた。
*
ある日の午後、大学へ行く前に伯母さんの家へ寄った。
小さい頃から近所同士で、こうして訪ねていくこともよくあったが、伯母さんの介護に僕も関わるようになってからは週一回は必ず顔を出している。
僕を孫のようにかわいがってくれた伯母さんと、歳の離れた従姉妹のあおいさん。会いに行くのは別に苦じゃない。
それに、最近はラポールを見に行くのも楽しみのうちみたいになっていた。
やはり僕も男子なわけで、身近に人型ロボットが居るというのは意味も無くワクワクするものなんだ。
「ヤサイがないの」
「ヤサイ?ご飯はもうちょっと待ってて」
「ちがうの。ちがうのよ、ヤサイなのよ!」
「野菜がどうしたの?」
「ああ、どうしよう、困ったわ……どこへ行ったの……?」
「お母さん、何言ってるの!?」
玄関の向こうから聞こえてくる喧騒に、少し二の足を踏みそうになるがインターホンを押す。
少しして扉が開き、いましがた呼吸を整えましたという
「どうも、あおいさん」
「始くん、ごめんね。みっともないところ……」
「いえ、分かってるつもりですから。伯母さん、このところ毎日ああしてるって」
「そうなの。病気だから仕方ないって分かってても、ついね……ラポールがああして対応を代わってくれるから、助かるわ」
リビングでは、一箇所ずつ棚を開けては閉める伯母さんにラポールが付いて回っている所だ。
伯母さんは最近、決まってお昼過ぎに何かを一生懸命探し回るようになった。
「――ゆかりサン、ありまシタ」
「ああそれ!良かった、ここにあったのね。ありがとうね」
伯母が心底安心した様子で手にとったのは、外出するときにいつも持っているハンドバッグだった。
「始サン、いらっしゃいマセ。あおいサン、少し出掛けて来マス」
「ええ。いってらっしゃい、お母さん」
すれ違ったラポールが、ハンドバッグを小脇に抱えた伯母と共に歩いていく。
ほどなくして、あおいさんと僕の携帯端末にラポールが送信した現在位置通知が表示され始める。
いつも通り、散歩コースを一回りして戻ってくるようだ。
*
「体調は良好で、特に問題はありませんよ」
モニタの向こうで中年の医師が言い、先日の健康診断結果が別ウィンドウに示される。
「ラポールのデータを確認しましたが、認知症は着々と進行していますね。失行が顕著です」
「はい。最近はトイレも忘れるみたいで」
「そうみたいですねえ。バイタルデータから排泄間隔も拾えるので、タスクパターンにトイレへの誘導も追加しておきますね」
「特に住環境を変える必要は無さそうですので、引き続きラポールによる支援を行っていきましょうか」
若いケアマネージャーの男が、同席したラポールのオペレータとあおいさん、そして僕に確認をとる。
一同が合意したところで、大葉家にて定期的に開催される関係者間の打ち合わせは終了した。
伯母さんは少しずつ、少しずつ変わっていっている。
これまでやっていたことをやらなくなり。出来ていたことができなくなり。
交わせた言葉が返ってこなくなって。
まるで、伯母さんじゃない何者かが少しずつ、少しずつ成り代わっているみたいにも思えて。
だけどそれが歳を取っていくということなのだと頭で納得しながら、僕たち当事者はどうにか日々を受け入れていた。
「ゆかりサン、こちらへいらして下サイ」
「あら、おねえちゃん。こっちでいいの?」
客人を玄関へ送り出す所で、ちょうどラポールが伯母さんをトイレへ連れて行くところに出くわす。
伯母さんは、いつからかラポールのことを「おねえちゃん」と呼ぶようになっていた。
そのことを母に話すと、伯母さんの『本当の姉』について話してくれた。
祖父――母にとっては父親だ――が再婚して、連れ子として姉妹になったのが伯母さんとその姉だ。
子供の頃の伯母さんは、その一番上の姉をとても慕い頼っていたらしい。
「ゆかり姉さんは、あのロボットのことを大姉さんだと思い込んでるのかもね」
母は、腹違いの姉である伯母さんの言動を「ありし日の幻を追っているのだ」と解釈した。
そうなのかもしれないと思った。
伯母さんがいま、徐々に自分というものが不確かになっていくことに不安や恐怖を感じているなら。
心から頼れる人の姿を、いま現実の“いちばん頼れる存在”に重ねることだってあるだろう。
そういうものなのかもしれない。
そういうものなのかな。
――そういうもの、なのかな?
*
伯母さんが入院した。
ある朝、ひどく痛がってベッドから身動きがとれなくなり、診断結果は腰椎の圧迫骨折。
入院初日の夜、伯母さんは痛みも忘れて「おねえちゃんは?おねえちゃんはどこへ行きましたか?」と夜通し言い続けたそうだ。
無理矢理ベッドから転げ落ちようとする伯母さんは、最初の数日間は毎晩身体を固定されたという。
ベッドに拘束バンドで縛り付けられている伯母さんの姿は、小さい僕を可愛がってくれたあの頃とはずいぶんかけ離れている事に今更気がついた。
結局、半月で退院してきた伯母さんは車椅子に乗っていた。
入院病棟のベッド不足深刻な昨今、特段の処置が必要なくなった患者は追い出されるようにして退院するのが常だ。
伯母さんが戻ってきた自室はきれいさっぱり片付けられ、長らく使ってきたベッドの代わりに真新しい電動ベッドが入っている。
「お母さん、起きたり寝たりするのが大変だと思って。新しいベッドを入れて貰ったんだよ。どう?」
「……ん」
無表情に頷く自分の母親に、あおいさんは寂しそうに微笑むだけだった。
変わってしまった自分の部屋を見ても、伯母さんは何も言わない。
病院でベッドに縛られる生活を経たことが、彼女の中でどんな影響を及ぼしたのか僕にはわからない。
とにかく、帰って来た伯母さんはあまり喋らなくなっていた。
「……伯母さん。ラポールも待ってたんだよ。入院中の情報も全部同期済みなんだって。安心だね」
沈黙が気まずくって早口でまくし立てる僕の横に、件のロボットは立って。
「オカエリナサイ。ゆかりサン」
「あら……おねえちゃん」
待機していたラポールが、プログラムされたメッセージを発する。
その時、僕とあおいさんは久し振りに微笑んだ伯母さんを見た。
*
歩かなくなってからの伯母さんは、見る間に弱々しくなっていき。すっかり自室に馴染んだベッドに寝たきりの生活を送っている。
僕は慣れないリクルート・スーツ姿で、伯母さんの食事風景を眺めていた。
枕元には、いつもと変わらないしずしずとした挙動のラポールが伯母さんの口にスプーンを運ぶ。
「食べさせるのが上手なの。私がやっても全然、口も開けてくれないのに」
以前聞いたあおいさんのぼやきを思い出しながら。
何の変哲もない食事風景を、眺めていた。
「ゆかりサン。オイシイですか」
プログラム通り声をかけるラポール。返事が返ってこなくても、介助動作の傍らぽつりぽつりと何パターンかのメッセージを投げ掛けている。
そんな、本当に日常の、なんてことのない、ひととき。
口に運ばれたスプーンを受け入れる伯母さんは、とても幸せそうに見えた。
「それじゃ、僕は帰るね。伯母さん、お邪魔しました」
「アリガトウございまシタ。始サン」
どうにも煮え切らない気持ちを飲み込んで、僕は大葉家を後にした。
――そんな月日をいくつか過ごし。
伯母さんはある日、本当に呆気なく亡くなった。
*
出棺のとき、あおいさんは棺におさめられた伯母さんに何度も何度も繰り返していた。
「ごめんね、ごめんねお母さん」
さっきも聞いたのに。
いま、聞いたばかりなのに。
それでも、娘は母親に同じ言葉を繰り返していた。
*
葬儀も終えて数日。
伯母さんの部屋を整理すると言うので、僕も手伝いに出た。
「あ、ラポール」
布団を取り払ってフレームだけになった電動ベッドの傍ら。
役目を終えた介護ロボットが、動作停止状態でクレードルスタンドに立たせてあった。
「お疲れ様ね。今になって思えば一番お母さんの世話をしていたのは“この子”だったね」
従姉妹の言葉にぼんやりと相槌を打つ。
――そうとも。伯母さんがいちばん信頼していたのは、この介護ロボットだ。
それから、あおいさんと僕は遺品を一つ手に取っては、伯母さんとの思い出話をぽつりぽつりと始めた。
ふと思う。
僕たちには思い出がある。
だが、ロボットであるラポールにはメモリー以上の思い出はない。
いや、“思い出”なんて言葉を使うこと自体がナンセンスだろう。ラポールは、
貸与の済んだラポールは個人の利用履歴データを消去されて、次の利用者のもとへ送り込まれる。ただ、それだけ。
――それじゃあ、伯母さんの思い出とは、なんだ?
終末期の伯母さんにとって、思い出の殆どはラポールと過ごした日々だ。
大葉ゆかりはこの世にもう居ない。彼女が一対一で過ごした日々を覚えている
誰も。誰も、居ないんだ。
「でもさ。ラポールがきてから、伯母さんはいつも笑顔だったね」
「……そうね。お母さん、安心しきってた」
そうだ。それだけは確かじゃないか。
安らかに過ごせた事実は、誰が忘れようと消えたりしない。
「そうだろう?ラポール」
答えなんてくれやしない、機械仕掛けのラポールに。
それでも僕は、問わずにはいられなかった――――
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