第44話 地下九階(2)黒騎士の緊急を要する口づけ

 薬師は一段大きな声で言った。


「お前たちはここまでだ。帰れ」


「ちょっと待ってくれよ! ここまで来て帰れとかねえよ!」


 真っ先に食い下がったのは魔王だった。


「竜神様、せめて我々だけでもお連れ下さい!」

「お願いします、竜神様!」


 竜神を祖神とする双子騎士も、同行を嘆願した。


「ワシはこの遺跡の運命を、異変の真相を、この目で見届けたい。この迷宮と主に生きてきたが故……」


「俺は、俺はこの迷宮の家主だ。俺も見届ける義務がある。お願いだ、連れていってくれよ、ルパナ」


 ルパナと呼ばれた竜神の娘は、同行者をぐるっと見渡すと、大きなため息をついた。そして、竜神の声で語り始めた。


「――どうせこうなるだろうと思っていた。特にアキラ」


「お、俺?」


「お前は家主の責任が……などとのたまっていたが、お前の責任とは、国を護ることだ。ここで朽ち果てることではない。たとえ真相を知ったところで、生きて戻れなければ、その行動に意味はない」


「俺はイヤだね。絶対ついてくからな」

「では俺もだ」


 黒騎士が即答したので、自分も、と言いそうになってラシーカは言葉を飲み込んだ。眷属の目を通して見た階下の惨状を思い出すと、いくら不死者とはいえ、二つ返事でついていく、と言い出せなかった。


「私の感覚から言えば、ここから先は連中のテリトリー、いや、腹の中と言ってもいいだろう。最早変質しすぎて迷宮ですらなくなっておるのだ」


「なんだって……」


「我等が領内に無断で侵入し、あまつさえその施設を改竄し、産卵して子孫を増やそうとしている。これはれっきとした侵略行為である。魔王国の守人たる我が父に代わり、この私が盟約に基づき侵略者を抹殺する」


「ま、抹殺って」


「全てを焼き払う。たとえ迷宮内の全てが灰になろうとも」


「ちょっとそれ困るわよ! 引っ越したばかりなのに」

「わしもじゃ……。素材が取れなくなってしまう」

「俺だって、国庫を潤す使命がある。ここエネルギー資源があるんだろ? ちょっとはどうにかなんないのかよ」


 ダンジョン保存派が一斉に反対した。


「薬師殿よ、もう少し下の様子が分かれば、状況次第で同行を認めてもらっても構わんな?」と、黒騎士。


 ルパナは不愉快そうに、まあ、とだけ言った。


「ラシーカよ、お前に頼みがある」


 黒騎士は彼女の両肩を掴み、顔を近づけて言った。


「な、なにかしら」


 つい先ほど胸糞悪いものをまともに見てしまったばかりの彼女だったが、愛しい男性のアップを前に、一瞬で心は乙女色に塗り替えられていた。


「俺は下の様子が知りたい。お前の眷属を貸してくれないか」

「で、でも……」

「視覚は俺が請け負う。それならよいか?」

「ええ……。でも、どうやって」

「では、まず、目をつぶれ」

「はい……」


 黒騎士は深呼吸を数度すると皆に言った。


「し、しばらくこちらを見ないでくれ……」


 皆はうなずいた。


「で、で、ででで、では……い、い、いくぞ」


 そしてラミーカにだけ聞こえるように、囁いた。


(歯を立てるなよ)


「んッ、ん……ぅ」


 次の瞬間、ラミーカの甘い吐息が静まりかえった階段に漏れ出した。

 黒騎士は彼女を抱き、濃厚な口づけをし始めたのだ。

 突然の思い人からのディープキスに己の役目を忘れたラミーカに、黒騎士は一旦唇を離して、


(何をしている、眷属を飛ばすのだ。惚けている場合ではないぞ)

(わ、わかってる……わよ)

(よいか、勘違いするでないぞ。これは仕事だ。俺には妻がいる)

(うるさいわね、続けなさいよ)

(ほ、ホントにホントだからな。これは、あくまで――)


「じれったいわね、もう!」


 今度はラミーカから口づけをした。

 彼女は黒騎士の頭を両手で掴むと、ぎゅっと自分の顔に押しつけた。

 二人の周囲にコウモリたちが沸き上がると、黒騎士は彼女の体をぎゅっと抱き、さらに意識を集中させた。


 さあ、共に参ろう。俺はお前と共にある。臆することはない。

 と、黒騎士は吸血鬼に念を送った。


                  ☆


「ハーさんって、何してんだ」

 大量のコウモリが階下に流れ出したあと、魔王は小声でサリブに訊ねた。


「あれはおそらく、口同士を接触させることで吸血鬼の意識に侵入し、一時的に眷属のコントロールを閣下が行っていると思われます。下の惨状を直視出来ない彼女に代り、閣下が眷属を使って偵察を行っているのです、陛下」


「なるほど……粘膜接続による、ドローンのジャック、ってか。すごくわかりやすい説明ありがとう」


「い、いえ」

(どろーんってなんだろう?)


「緊急時とはいえ、こんなハーさん、ローテちゃんには見せられねえなあ……」

 魔王は複雑な気持ちでつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る