第40話 地下八階(2)遅れて来たビッチ

「ちょっと……どこにいるの? ちょっと!」


 ランタンの中で、緑色をした魔導灯の小さな光が、ちろちろと揺らめいている。

 石作りの室内には、天蓋つきの豪奢な寝台と、人のようなものが一体。

 声の主とすれば、若い女なのだろう。


「ったく、なんなのよ。さっきの爆発は。気持ち良く寝てたのに……」


 いきなり起こされた彼女は腹立たしげに言った。

 彼女は暗がりの中、ぶつぶつ言いながら服を着替え、サイドテーブルに置かれた小樽から、飲み物をグラスに汲むと、一気に飲み干した。


「引っ越してきたばかりでトラブルとか、冗談じゃないわ――」


 彼女はマントの裾を翻し、部屋から出ていった。


                  ☆


「おー。お見事、薬師殿」

 黒騎士が賛辞を贈った。


 魔王がにゅるにゅると粘土で落とし穴の上部をふさぎ、ルパナがドラゴンブレスで炙って溶かす連携プレイで、石床の復旧作業は終了した。


「アキラも修行を積んで、一人でこのくらい出来るようになれ」

「うーい」


 さんざん魔法を使って疲れた魔王は、ほかほかの真新しい床のそばに座り込んでいた。


『にゅ~ん……ここでおひる寝すると、気持ちいいニャン……』


 鍵開け猫が、まだ暖かい床の上でゴロゴロしはじめた。

 ルパナも隣でぬくぬくと横たわって、暖かさを楽しんでいる。


「おいおい熱くないのか? 服とか毛皮を焦がすなよ」

『大丈夫ニャン。さっき触って確認したニャン』

「すげえな。温度センサーもついてんのかよ。お前すごいからくりだなあ」

「陛下、この子は最早、生物と言っても過言ではありますまい」

「AIもすごいしな……」

「えーあい、とは何ですかの?」

「いまの原初の星で造られる、疑似機械生物の頭脳のことだよ。だが、ここまで高性能ではないんだ」

「左様ですか。ああ、行ってみたいですなあ……」

 好奇心旺盛な魔王国のエンジニアは、地球のテクノロジーに夢を馳せた。


 急に出現したほかほか床のおかげで、一行は休憩することになった。

 足の下が暖かいという状況が珍しいのか、双子騎士どころか黒騎士までも寝転んで、床暖房を全力で満喫している。

 危険地帯に入ったというのに、呑気なものである。


「俺の屋敷もこういうのが欲しいな」

「方法はいろいろあるから、帰ったら土建屋と相談しようぜ」

「ワシも一枚噛ませて頂きますぞ、陛下」

「アドバイザーとしてぜひぜひ」


 魔王たちが石床の上でごろごろしていると、闇の中から音もなく人影が現れた。


「あら、楽しそうねえ……。何の集まりかしら?」


「敵かッ」

 黒騎士は即座に起き上がり、皆の前に出ると同時に武器を抜いた。

「……あ、お前は」


「やーだあ~~~~~、ハーティノスじゃな~~~~~い!!」


 ボリューミーなロングのブロンドと、大理石のように透き通った白い肌。

 ぶっちゃけ、おっぱい爆盛り、お色気ムンムンである。

 人によっては熟女と呼ぶか呼ばないか、ギリギリなお年頃に見える長身の美女は、

 漆黒のマントの隙間から、わがままボディをちらちらさせながら、黒騎士に駆け寄ると、彼の胸に飛び込んだ。


「う、あ、あう、うううお、お前、ど、どどどうして」


 武器をカランと床に落とし、黒騎士卿はフリーズしてしまった。


「ギャー! ビッチ来た!」

「ビッチだ! 何しに来たビッチ!」


 双子騎士が起き上がり、露骨に敵意を放っている。


「なによ失礼ね! この階は私のなわばりなんだけど?」

「あのー……すいません、家主です」

 黒騎士の脇に這い寄った魔王が手を挙げた。

「きゃーっ! ままま魔王様じゃないですか! これはご無礼を」

 ビッチと呼ばれた女は魔王の前にひざまずいた。

「……これ、どういう状況だか、誰か説明してくんない?」



 ――――十分後。



「ひどいわ! 私というものがありながら、しかも人間となんか結婚するなんて! ひどい! ひどすぎる!」


 マントの裾を噛み、涙目で訴えるビッチ――吸血鬼ヴァンパイア


 聞けば、かつては魔王都の片隅にある、アンデッドや、闇に近い種族の国民が暮らす一角から、半年ほど前にこのダンジョンへ引っ越してきたという。

 終戦後、城下に人間が増え、居心地が悪くなったと彼女は言っているが、実際のところ、その理由は定かではない。

 恐らく、退役後魔王都を出て行ったハーティノスの消息が掴めず、ヤケになって引っ越したというのが真相だろう。


 彼女が新居の寝所でぐっすり寝ていたところ、黒騎士がエレベーターを破壊した衝撃で目を覚まし、部屋を出てみれば、従者は全員外で何物かに惨殺されていた。

 原因究明のため迷宮内を歩いていたところ、魔王一行に出くわした、という話だ。


「助けろアキラ」

「俺の前で結婚式挙げたんだから、諦めましょうやお嬢さん。えっと……」

「ラシーカですわ、陛下」

「ああ、ラシーカさん? あの……ちょっと言いにくいんだけど、いい?」

「よろしくてよ、陛下」

「見ててわかんなかったっぽいんだけど……ハーさんてさ、結婚するまで『童貞』だったんだよ」

「なッ! それ今言うことですか!」


 ひい、と顔を覆う黒騎士卿。

 相変わらず「女子か」と突っ込まれる5秒前。


「うそ……」


 愕然とする、女吸血鬼。


「何で今までハーさんがあんたから逃げ回っていたかといえば、DT純情ボーイには、あんたのエロさがキツかったからだよ」


 ラシーカは膝から崩れ落ちた。


「そんなあ……」


「そういうこと露骨に言うの、やめてくださいっ、陛下」


 悲壮な声で訴える黒騎士。


 あまりの女子ぶりに、かつての部下もドン引きである。


「なんか……騙された気分……」

「おなじく……」


「そこ、そーゆーこと言わない。ハーさんにはデリケートな問題なんだぞ」


「「申し訳ありません、陛下」」

「謝る相手がちげーだろ、やりなおし!」

「「申し訳ありません、閣下」」

「そうだ、それでいい」


「にしても、下から来る未確認タコに、どうして今まで気付かなかったんだい?」

「そうですねえ……、居住区域を広くとるために、部屋同士壁を貫通させているので、従者もあまり外に出なかったのです」

「それがあの爆発音でみんな外に出てやられたってことか」

「ええ……」

「ラシーカさんが名人と鉢合わせなかったのは、そもそもの行動エリアが重ならなかったせいだな。名人はここまで深くは潜らない」

「左様ですじゃ、陛下」

「時々買い物に行くうちの使用人なら見かけていたかもしれないけど……死んじゃってるから、どうでもいいわね。それより新しい従者を探さないと困っちゃうわ」


 身内がタコのエサになったというのに、ずいぶんと薄情なものだ、と晶は思った。

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