第16話 兎耳と何か、見守る

「この程度で物怖じするとは情けない……」


 地下研究室の奥の間で、薬師は長い耳をぺたりと倒し、渋い顔をした。


「仕方なかろう。なりは魔王でも、中身は人の子。腹を探られて正気でいる方が難しいのだよ」


 薬師に受け答えしている声は暗がりから聞こえてくるが、その体表から淡い光が時折はじき返されてくるのは、鱗のようなものに覆われているからだろうか。


「魔王は、ビルカはいつ戻ってくるのだろう?」

「お兄ちゃんが恋しいか? ラパナ」


「……違うと言えばウソになる。だけど、魔王を引き止められるほどの娯楽を、私は用意することが出来ない……」


「所詮、永劫の時を生きる者にとって、浮き世は全て暇つぶしの材料でしかない。だからこそ、人の子がこの地に住まうことも見逃してきたというもの」


 そんなに、あの男のいた世界は楽しい場所なのだろうか。

 ラパナはすこし恨めしい気持ちになった。


「楽しかったなあ……。どうして戦争やめてしまったのだろう……」

「種銭が尽きたから、という話ではなかったかな?」

「そんなもの、奪ってくればよかったのに」


 チラチラと、小さな輝きが生まれては、闇に消える。

 鱗を持った者が、肩をすくめたように見えた。


「長々と戦をしておれば、敵とて財布も枯れよう。お主は外にほとんど出たことがなかったから、分からぬだろうが」

「魔物の開発と量産に忙しかったから……。新しい魔物を造るの……楽しかった」

「儂は哀れに思って見ておったがな」

「哀れに?」


「生まれては、戦場に送り込まれ、人の子を切ったり切られたり。

 ……消耗品の命とは、なんと儚く哀れなものであるか。

 それもあの男、魔王の戯れの為に生み出されたとなれば、尚のことだ」


「そんなものだろうか……。哀れ、などという言葉を貴方から聞くとは意外だ」

「心外な。これでも儂は十分愛に溢れた存在だぞ。お前のことも愛している」

「んー……。よく、わからない」

「そうさな。執着の一種、といえばいいだろうか。お前がビルカに抱いている気持ちも、愛のひとつだ」


 薬師・ラパナは長い耳をゆらし、小首を傾げた。


「さきほどの二人も、愛、なのか」

「愛になるか、気の迷いで終わるか。それは彼等次第であろう」

「……」

「お前も勉強のために、あやつらを観察するがよい。ただし、ムリに愛し合わせようとしてはいけない。ただ、見るだけだぞ」

「見る……だけ。それで分かるのか? 愛、というものが」


 薬師は身を乗り出した。

 くっくっく、と笑うと、暗がりで鱗がきらきらと瞬いた。


「それは、見る者次第、だな。

 お前もたまには外に出てみなさい」


 ぬらり、とした長いものが言った。


「儂も共に行こう」

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