ピーターの苦難の日々5


 翌日、久々にスクールへと顔を出す。

 ロッカーを開けて必要な物を取り出していると、見知った顔が近づいてきて馴れ馴れしく肩に腕を回してきた。


「よぉ、ピーター。しばらく顔を見なかったが元気そうじゃないか」

「デイト……」


 モヘド大迷宮に僕を置き去りにした、あのデイト・グロリアスがいた。

 その後ろにはドラゴニュートの双子、デゴスとラゴスがいる。

 ちなみに彼らは顔がそっくりなのでどっちがどっちかは僕では判別できない。付き合いの長いデイトでもたまにだが間違えるそうだ。まぁどっちでもいい話だが。


「いつまで経っても戻ってこないから、まじで死んだと思ったぜ」

「心配してくれたの?」

「冗談だろ。てめぇが死んだら最初に疑われるのは俺達じゃねぇか。誰にも見つからないように死んでてくれって心の底から祈ってたよ」

「そう」


 怒るでもなく、悲しむでもなく、僕は無表情で素っ気なく返事をした。

 長年の上下関係というのは、簡単には変えることはできない。それがたとえ相手よりも強くなったとしてもだ。

 それに昔からの悪い習慣が出ていた。

 カースト最上位者とは、波風立てず穏便に接するという。


 不意にデイトの視線が別の方向へと向く。


 そこには友人と楽しそうに話をしているクラリス・タナカがいた。


 ――彼女と戦って勝利するのだ。


 頭の中で師匠の声が聞こえた気がした。

 今まで無茶な要求は山ほどあったが、今回ほど達成困難なものはなかった。

 飛び抜けた美貌にスタイル抜群、成績優秀、運動神経はトップアスリート並に、家柄も国内トップにして国外でも度々注目を集めているタナカ家。

 非の打ち所がないお嬢様の中のお嬢様だ。

 おまけに戦闘力もタナカ家屈指、モドキ程度に手こずっている僕とは次元が違う。


 ……そう言えばモドキって、弱いのかな強いのかな、考えてみればよく知らないや。


 時間があれば図書室で調べて見よう。


「あら、ピーター復学したのね」

「うん」


 クラリスが僕に気が付き声をかける。

 相変わらずさらりとした髪に凜とした顔立ちは可憐な花のようだ。

 こうしてみるとやっぱり師匠とエルナさんの面影がある。当然か、だって直系の子孫だもんね。


「貴方、少し変わった?」

「そうかも」

「顔つきとか雰囲気とか、以前とはなんだか違う人みたい」


 クラリスは目を細め、頭からつま先までじっくりと眺める。

 飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。彼女に初めて好意的に意識されたのだ。これが修行の成果だろうか。師匠に会ったら抱きついてお礼を言いたい。


 彼女は「またね」と手を振り、教室へと入って行く。


 すぐにデイトがのぞき込むように顔を近づけた。


「クラリスは俺の女だからな」

「え!?」

「まだ付き合っちゃいないが、いずれ俺が手に入れる。挨拶されたくらいで勘違いすんなよ」

「あ、うん」


 なんだ、付き合っていないのか。

 てっきり二人が交際を始めたと思ったよ。

 ちょっぴり安心。


 授業開始のベルが鳴ったので、僕は慌てて教室へと駆け込んだ。



 ◇



 本日の体育はベースボール。

 僕は金属製のバットを持って打席に立つ。


 昔からベースボールは苦手、というかスポーツ全般がダメだ。

 敵からも味方からも早く三振してしまえ的なムードが漂っていた。

 そう、期待されないのがピーターなのだ。


 ピッチャーのデゴスが構える。


「デッドボールになったらすまんね、ククク」

「大丈夫、だと思うよ。君の投げた球くらいじゃ怪我なんかしないから」

「な、んだとっ! 腰抜け野郎ピーターのくせに!」


 うっかり思っていたことが口から漏れた。

 憤怒したデゴスは、ドラゴニュートの身体能力で豪速球を投げ放つ。


 超感覚発動。


 回転しながらスローで向かってくるボールを、僕はバットではっきりと打った。


 キィイイイイ、ドガンッ。

 打撃音が響いたかと思えば、直後に無人スタンドが土柱を上げて吹き飛んだ。


 ……あれ? 僕ってこんなに力あったの?


「なんだよ、今の。あいつ本当にピーターなのか」


 頬に一筋の擦り傷ができたデゴスが、怯えた表情で僕を見ていた。



 ◇



 スクールを出た僕をデイトが待ち構えていた。

 背後には双子のデゴスとラゴスがいる。


 ただ、デゴスは迷いがあるのか、若干僕から距離を取っているようだった。


 ベースボールでの出来事は偶然起きた事故とかたづけられている。

 クラスメイトのほぼ全員がそれで納得していたが、ピッチャーとして間近で僕の打った球を目撃したデゴスだけは信じていない様子だった。


「今月ピンチなんだよ。いつものように金を貸してくれよ。なぁに、すぐに返すからさ」

「お前のところの店ずいぶん売れ行き好調みたいじゃないか。俺達に少しくらい恵んでくれよ。ピーター坊ちゃん」

「そうだね……」


 いつもの習慣でバッグから財布を取り出そうとする。

 が、僕は財布を握って動きを止めた。


 どうして僕は、こんな奴らにお金を渡しているのだろう?


 以前なら答えはすぐ出た。

 波風立てずに穏便な学生生活を送りたいからだ。


 違うな。怖くて屈していただけだ。殴られずに済むならこれが一番、と言い訳をして言われるままにしていただけだ。

 けれど今の僕は抗う力を持っている。

 なぜあれほど師匠にしごかれたのか。


 決まってる、これまでの自分を変える為だ。


 僕は財布を取り出さずリュックの口を閉めた。


「おい、なんのつもりだ」

「君達に貸すお金はない。それに今まで貸したお金も返してもらいたい」

「なんだとっ、鈍臭野郎ピーターのくせに!」


 デイトは決まって相手を突き飛ばす。

 そこから脅しの意味を込めた言葉を吐き、一気に距離を詰めて殴りにかかってくる。

 何度も経験してきたからパターンは嫌ってほど把握している。


 突き飛ばしを寸前で躱す。勢いを止められずデイトは顔から地面に突っ込んだ。


「いてぇ、ピーターのくせにふざけた真似しやがって!」

「こいつやっちまうか」

「ラゴス、ピーターを捕まえろ! 顔の形が変わるくらいボコボコにしてやる!」


 背後にいるラゴスが動き出す。

 いつもなら同時に動き出すデゴスは、棒立ちで見ているだけだった。


 ラゴスの太い腕が僕を捕まえようとする。

 ギリギリで躱し、密着した状態で体当たりと足払いを同時に行った。


 ラゴスは空中を回転して盛大に地面に落下する。


「このっ、ぶっ殺してやる!」

「今の君の力じゃ、僕には敵わない」


 デイトの拳をあえて顔面で受け止め、インパクトの瞬間に強く踏み込んだ。

 殴ったはずのデイトが弾き飛ばされる。


 超感覚を有するからこそできる芸当だ。


「これはなんの騒ぎ?」


 通りかかったクラリスが目の前に倒れるデイトを一瞥する。

 彼女の隣には護衛のルアーネの姿もあった。


「これは珍しい光景ですね。あのピーターがデイト達を圧倒してますよ」

「ルアーネ、貴方面白がってるでしょ」

「少しくらいいいじゃないですか。あののろまで弱いピーターが勝ったんですよ」

「……弱者同士の争いに興味はありません。行きますよ」


 クラリスは僕らを無視して通り過ぎる。

 門を出たところには彼女を迎えに来た高級車があった。


 僕も帰ろう。今日は指導員が来るそうだし。


 リュックを拾って再び背負う。


「ピーター、このままじゃ済まさねぇからな」

「まぐれぐらいで調子に乗るな」


 デイトとラゴスが凄むが、今の僕には子犬がわんわん吠えているようにしか見えなかった。彼らの何に怯えていたのだろうか。

 ただのぬくぬくと育った我が儘な子供じゃないか。


「ピーター、お前やっぱり……」

「またねデゴス」

「あ、ああ」


 デゴスは冷や汗を流しながら僕を見送る。

 そのまま門を出ると、黒塗りの高級車が目の前に停まった。


 おかしいな、クラリスはさっき乗って帰ったと思うけど。


 後部のドアが自動的に開く。


 座席にはすでに二人の人物が乗っていた。


「乗りたまえ」

「あの、誰、ですか?」

「指導員と言えば分かるかな」

「あ」


 なんだ、迎えに来てくれたのか。

 でも、できればおとなしめの車にしてもらいたかったな。


 スクール側へ振り返れば、デイトを含めた大勢の生徒がこちらを驚愕の表情で見ていた。




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