エピローグ

 低浮遊式大型車両――通称『バス』に乗って僕は窓から外を眺める。


 『国立マーナ博物館』の看板を誇らしげに掲げる大きな門をくぐり、バスは広大な敷地へと入る。バスが何台もとまれるような広い駐車場に停車すると、僕ら生徒はスライドするドアから次々に地面へと足を付けた。


 遠くに見えるのは比較的新しい現代的な建造物。

 どうやらアレが今回行う課外授業場所らしい。


 モニカ先生が全員に声をかける。


「はい、注目。こちらはかの有名な国立マーナ博物館です。中には一般のお客様もいますのでくれぐれも静かにお願いします。それと展示物に勝手に触れることは禁じられています。もし破損させた場合、当校は責任を負いかねますので充分に理解しておいてください」


 数人の真面目な奴らは頷くが、大部分の奴らは耳から耳へ聞き流して四方八方へと視線を飛ばしていた。特にクラスカースト上位のマナフト部(正式名称マーナフットボール部)の奴らは、すれ違って行く一般客の女性にばかり目を向けている。


 今回の課外授業を改めて確認しようと思う。


 僕らマーナ第二高等学校の生徒は毎年この歴史博物館に来るそうだ。

 その意義は今や五十四カ国を束ねるリーダー的国家であるマーナがいかなる歴史を歩み、幾多の偉人が輩出されてきたのかを知ること。そこから多くのことを学び取り、僕ら若い世代はこの国家をよりよくしてゆくことに尽力をして行かねばならない……とかなんとか。


 正直どうでもいい。僕らが興味あるのはカビの生えたような歴史じゃなく、将来いい会社に入れるかとか、どれだけ年収がもらえるかとか、可愛い彼女と付き合えるかとかだ。


 で、具体的な内容だが、限られた時間でしか回れないので学校側で回るポイントを絞っているらしい。聞いた話だとここ三千年くらいの歴史だ。ローガスの領地の一つでしかなかったマーナが独立し、急速に発展し経済大国として名を馳せ、そこから世界戦争を経て、軍事力でも大国であることを知らしめたまでの流れだ。

 そこまでの間には『魔法消滅時代』があり『科学時代』の到来と『魔導科学』による新時代の幕開けが存在する。


 というか事前に授業で習っているから、わざわざこんなところに来る必要性もないのだが。


「なぁ、鈍臭野郎ピーターは俺達と行動するよな?」


 デイト・グロリスが僕の肩に腕を回し嗜虐的な笑みを浮かべる。


 彼はマナフト部の部長でカースト最上位のハイヒューマンだ。スキルも強力なものを身につけ、いつも手下に双子のドラゴニュートを連れている。おまけに頭も良く顔もいい。本人が言うには先祖にエルフがいるとかなんとか。

 僕はカースト最下位の底辺だから憂さ晴らしにいつも目を付けられていた。


「ちょっと、ピーターが嫌がっているじゃない」

「あん? またてめぇか」


 僕とデイトの間に割って入ったのはハイエルフのクラリス・タナカ。彼女はクラス一……いや、学校一の美少女。美貌、頭脳、運動能力あらゆる面でハイクラスな存在だ。おまけにマーナで五本の指に入る財閥のご令嬢。一応僕とは遠い親戚で幼なじみでもある。


「クラリスが俺の彼女になるって言うのなら構うのを止めてやるがな」

「冗談でしょ。いじめを見るのが嫌いなだけよ」


 ずきりと胸が痛む。片思いの相手に哀れまれるなんて。


 彼女は長く透き通るような青い髪を揺らしてきびすを返した。

 向かう先には分家であるドリス家の次女ルアーネ・ドリスの姿があった。


 ルアーネは二メートル近い身長に赤い毛並みをしたワーウルフだ。タナカ家直系のワーウルフにこそ及ばないもののその実力はかなりと聞く、クラリスのボディガードとして近くにいることがなによりの証拠だろう。

 ちなみにルアーネは自分の毛を撫でるのが大好きだ。クラリスの護衛の合間に、自分の毛をブラッシングして興奮している。他のワーウルフ族に聞いた話だと、彼女はかなりの美人らしい。僕にはワーウルフの美醜は判別できないようだ。


 一方の僕は由緒正しいタナカ家の遠い遠い親戚。

 特別なことと言えばそれくらいで、マーナの片隅で小さなスーパーを営んでいる平凡な家だ。僕自身もひ弱で外見も頭脳も能力も平凡そのもの。唯一魔力が豊富にあるだけのどこにでもいる要領の悪い奴さ。


「それじゃあ付いてきて! 今から館内に入りますからね!」


 モニカ先生の指示に従い僕らは博物館の方へと歩く。

 前にはクラリスとルアーネ、後ろにはデイトと双子がいた。


 博物館の入り口で先生が職員と軽いやりとりをする。


「本日はよろしくお願いいたします」

「ういっす! こっちこそよろしくっすよ!」


 女性職員はへらへらしながらモニカ先生の肩を叩いた。

 ただ、その職員は左脇にドーナツの箱を抱えていて明らかに不真面目だ。

 それを見たクラリスが露骨に嫌悪感を顔に浮かべる。


 察したルアーネが耳元で彼女に話しかけた。


「あの者、クビにできないのですか?」

「無理なのよ。あの方はここができた当初から務めている最古参の一人で、現当主であるお父様ですら手を出せないとか。恐らくお爺様辺りが阻んでいると思うのだけど……」

「にしてはずいぶん若いようですね。もしかして前ご当主の隠し子だったり?」

「ルアーネ、滅多なことをいうものではありません。だいたい最古参って言ったでしょ。ここができたのは二百年前ぐらいだから、あの方はお爺様より年上のはずだわ」

「なるほど、ああ見えて上位の種族なのですね」


 僕は聞き耳を立てながら女性職員を眺めた。

 ハイヒューマンよりも上位の種族なんてかなり珍しい。今でこそ一段階目の進化は運動、勉学、経験を一定のライン以上習得すればできることが分かっているが、二段階目の進化は未だに条件が謎に包まれているのだ。古い文献ではそれ以上の進化もあると記載されているそうだが、当然ながら進化条件は全くの謎に包まれている。


 現在の世界人口はおよそ六十五億余り。その三割が一段階目の進化を迎えているという。二段階目の進化を迎えているのは一%以下だとか。


 まぁそんなことはどうでもいいことだろう。

 それよりも重要なのは、この歴史博物館がタナカ家の援助によって運営を続けていると言うことだ。つまりここはクラリスにとって庭も同然の場所。

 なんて次元の違う世界だ。小さなスーパーを経営している夫婦の息子には、軽自動車三台分のスペースしか庭がないというのに。いや、それだけでもあるだけマシだ。贅沢は言うまい。


 博物館へと入った僕らは、モニカ先生に軽い説明を受けてから足早に奥へと向かった。

 先にも述べたが今回は時間が限られている。学校としては重要なところだけ見せて、それ以外は自習しておけというスタンスだ。

 ちょうど今より三千年前の辺りから本格的な案内がスタートした。


「今より三千年前、ローガスの領地でしかなかったマーナに変革が起きます。それが皆さんもよく知るライアン・ドリス辺境伯とシンイチ・タナカとの邂逅でした。その当時マーナは冒険者の町としての実績がありました。ですが、この二人はさらなる発展を求めグルメタウン計画なるものを発足し、その実行へと移して行きます」


 ガラスケースには数枚の紙が展示されていた。

 そこには見慣れない文字でみっちり書き綴られていた。

 まったく内容が読み取れないが、数枚の紙だけはなんとか理解できる。どうやらそれは料理のレシピを書いているようだった。


「ワタシのご先祖様の文字です。いつ見ても感動いたします」

「これは一族にだけ伝わるタナカ文字ね……えっと『スケタロウノヤキトリレシピ』とか書いてあるわ。そう言えば我が家でもお祝い事には必ずヤキトリが出るわね。関係あるのかしら」


 モニカ先生は説明を続ける。


「ここに展示されているのは、二人が特殊な文字で記載したタウン計画と目玉となる料理のレシピです。この文字は『タナカ文字』と呼ばれ、二人はこれを暗号としてよく用いていました」


 次の展示へと移る。


「ここは今では存在しない職業である冒険者について展示を行っております。皆様はすでに冒険者がなんであるかはご存じですよね。彼らはこれから来る『魔法消滅時代』を長きにわたり支えた陰の功労者です。そして、その中で生まれた英雄が伝説の五人の冒険者です」


 剣や鎧がいくつも展示されている。

 一般客はじっと立ち止まって眺めていた。


 その中で異彩を放つのが五つの武具。


 黒の武具、白のローブと古めかしい杖、黒装束と刀、青白い手甲、赤い槍。


 説明を見るとどうやらこれは伝説の冒険者の装備のレプリカらしい。

 どうせ本物はタナカ家に保管されているのだろう。なにせこれらはタナカ家のルーツであり家宝。そして、マーナの独立の象徴であり国宝だ。


「彼らは謎多き冒険者でした。特にリーダーであったシンイチ・タナカは出生が不明、突然現われ瞬く間に栄光の道を駆け上がって行きました。彼については調査が進められており、今なおその全容は掴めていないとか。ただし、タナカ家のご令嬢ならご存じかもしれませんが」


 先生はクラリスへにっこり微笑む。

 そう言えばモニカ先生はこの時代を主に研究していたように思う。噂では何度もタナカ家に調査依頼を出して断られているとか聞いたけど……。


 クラリスはやれやれといった態度で肩をすくめる。


「先生の期待するようなものは我が家にはありませんわ。初代当主は後世のタナカ家でも謎に包まれた人物、すでに分かっていることは全てお伝えしております」

「ですが聖獣ペロ様の居場所くらいは把握しておられるのでは?」

「確かにペロ様は聖獣ですから今もなおご存命の可能性が高いでしょう。正史を聞くこともできるかもしれません。ですが残念なことに当家はペロ様の所在を把握してはおりません。なんでしたら先生がペロ様をお捜しになって我が家へとお連れになってください。充分な報奨が与えられると思いますよ?」


 彼女はお嬢様らしい語り口調で先生の質問をたたき伏せた。

 実在したという前提で話をしていたが、実は聖獣ペロは架空の聖獣だったのではと世間では囁かれている。というのも聖獣にしてはやけに自分勝手なのだ。聖獣というのは古くから国を守る守護獣として認識されているのだが、聖獣ペロだけは国家に囚われず自由行動を行っていたとか。

 そこで一部の学者は『ペロというワーウルフは存在した。しかしそれは聖獣ではなかったのでは』と仮説を立てているそうだ。もちろんその仮説にはタナカ家もドリス家も真っ向から否定している。


 先生は慣れているのかクラリスの言葉に表情を崩すことなく、次の話をさっさと始めてしまう。


「シンイチ・タナカには二人の妻がいました。その一人が大魔導士エルナ・タナカです。彼女は驚異的な魔法で人類の危機を何度も救ったそうです。彼女の出生は詳細に残されており、今は亡きエルフの国家サナルジアの公爵令嬢だったとあります。彼女の長男がマーナの初代大統領であることは有名な話ですよね」

「それだけでなくエルナ様は、全ての人々を虜にするような美しさと聡明さを誇っていたの。ムーアから始まる大魔導士の歴史を終わらせた『最高の魔導士』なのよ」

「クラリスさん、いくらご自分の大好きなご先祖様だからといっても、先生の解説には入ってこないでいただきたいですね。ああ、タナカ家の秘匿情報を教えていただけるなら、ぜんぜん構わないのですけど」


 クラリスは耳まで赤く染めて押し黙ってしまった。

 モニカ先生の仕返しは成功したようだ。

 ぷふっ、と吹き出したルアーネがじろりとクラリスに睨まれる。


「そして、もう一人の妻がリズ・タナカです。彼女はローガス国の貴族であるシュミット家の三女として育ちました。彼女はあの有名な著書『暗殺伝記』のモデルとなった方でもあります。現在の忍びと呼ばれるイメージを作ったのが彼女だとか」


 先生は続ける。


「次に聖獣ペロ。この方は世界的に有名なので多くを語る必要はありませんね。現在でも多くの聖獣がいますが、その中でもとびっきり強力と言われているのが十二聖獣です。聖獣ペロもその一柱と言われており、その寿命の長さから現在も存命していると噂されています。ちなみにフルネームはペロ・タナカ、このことから聖獣ペロがシンイチと親子関係だったことが判明しています」


 最後に赤い槍を見る。


「聖獣ペロには一人の妻がいました。それが聖騎士の称号を持つフレア・タナカです。彼女は騎士の名家レーベル家に生まれた育ったと記録が残っています。ワーウルフであれば彼女のことはご存じですよね。全てのワーウルフの母、現在いるワーウルフの家系図を逆に辿ると、いずれもこの二人に行く付くそうです」

「そう、フレア様は我らワーウルフの女神。至高のモフ道を歩まれた憧れの御方。きっと素晴らしいモフ魂をお持ちだったに違いありません」

「ルアーネ止めて。貴方モフが絡むと正気を失うんだから」


 先生は次の展示へと進む。

 そこからは授業で習ったとおりの説明が延々と続いた。


 二千九百年前に突然に起こった魔法が世界から消失する大事件。それにより人類は魔獣や魔物に対する有力な手段の一つを失った。長く暗い暗黒時代だ。

 だが、同時に多くの英雄を輩出した時代でもあった。


 二千七百年前、とある人物が『科学』なる学問を創る。

 その人物は『タロウ・ヤマダ』。性別以外不明ではあるが、この人物が科学の礎を築き後に多くの研究者が続いた。


 魔法のない時代は今から二百年前まで続いた。


 その間、人類は科学力を発達させながら生活を豊かにしていった。強力な兵器が開発され、魔獣はどんどん数を減らし、追いやられた魔物は人類と交わることを選択した。冒険者ギルドは解体され、冒険者という職業は消滅する。

 海洋国家との間で勃発した世界大戦を経て科学時代は終焉を迎えた。


 その後に到来したのが『魔導科学時代』、まさに現代だ。


 ある日、世界に魔法が戻った。

 それまではもはや妄想としか認識されていなかった魔法が世界に溢れたのだ。

 科学者は卒倒し、新興宗教の教祖は泡を吹き、現実主義者は数日寝込んだそうだ。

 喜んだのは魔法を信じ続けていた者達だった。


 科学者達は魔導士と協力し、魔法を科学的に分析しながら魔導科学なるものを作り上げた。


 それにより科学では解明されなかった謎が解き明かされ、人類の生活は急速に発達を遂げた。今ではお手軽に月面旅行にも行けるし、少し離れた惑星にも探査に行くことが可能となっている。そろそろ人類が星系を出るのもそう遠くない気がする。


 ――というのが授業で習った内容。


 モニカ先生は熱心に『魔法消失時代』のことを説明していた。

 その横では女性職員がひたすら笑顔でドーナツをかじっている。クラリスが目を細めて「どうしてあんな仕事もできない人を、お爺様は擁護するのかしら」などとぶつぶつ呟いていた。


「つまんねぇ。なぁ、他の場所でも見に行こうぜ」

「ちょっとそれは……」

「いいじゃん。それとも俺とは嫌なのか」


 デイトが肩に腕を回して悪意に満ちた笑みを浮かべる。

 僕の返事など聞くまでもないとばかりに、強引に別の通路へと引っ張って行く。


「おっと」


 廊下に人がいたので姿を隠す。

 そこでは二人の女性が会話をしていた。


「そろそろ妾は帰宅する後のことは頼んだぞ。くれぐれも奥の部屋には誰も立ち入らせるな。危険じゃからな」

「承知しております館長。ところで旦那様はお元気ですか」

「うむ、あやつは毎日部屋に籠もってドスケベなイラストを描いておるわ。ネットでは神絵師とかなんとか言われておるらしいが妾にはよく分からん」

「ですがここ最近肌つやがいいように見えますが?」

「いや、その、もう帰るのじゃ! たのんだぞスケ!」


 すたたたっ、黒いゴスロリファッションの少女はどこかへと走って行った。

 残された女性は「あいかわず仲がいいことで」と呟いてから、反対の廊下を歩いて行った。


 話を聞いたデイトは双子と見合ってニヤリとする。


「危険な場所だってよ。こりゃあおもしれぇ」

「行くしかないな」「だよな」

「ちょ、やめようよ」


 双子は僕の両腕をそれぞれ掴み先頭をデイトが行く。

 しばらく一階をウロウロすると、アンドロイドらしき人形が立っている立派な扉を発見した。数は二体。骨董品のような旧型で、メタリックな機械的な見た目をしている。時々「かたかた」と中から音が聞こえるが、旧式なので静音性はあまり良くないのかもしれない。


「あそこっぽいな」

「どうするデイト?」「案は?」

「さっきの館長ってやつを上手く使おうぜ」

「なるほど」「天才的だな」


 三人は勝手に話し合って勝手に納得していた。


 双子の一人ゴアが、アンドロイドへ急いで近づく。


「館長って人が二人とも至急来て欲しいって言っていました!」

「「かたかた」」


 二体のアンドロイドは、部屋の前を離れて廊下の向こうへと消えた。

 ゴアは扉を開けて手招きする。


「おおおっ! もしかしてこれってダンジョンじゃねぇか!」


 扉の向こうは長い廊下が続き、さらに扉を越えると大きなドーム状の空間があった。天井のガラス張りからは光が差し込み、中央に向けて少しずつ段差ができて下がっている。

 どうやらここは博物館の裏手にある建造物の中らしい。


 その中央に四角い構造物があった。


 四角い構造物に一部にはぽっかりと長方形の穴が空いていて、その奥には下へと続く階段が見える。


 ダンジョン――それは未だ建造方法も目的も分からない古代の構造物だ。中には凶暴な魔獣や魔物がひしめき、その危険性から世界中のダンジョンは国の管理下の元で封鎖されたと聞く。だが、たった一つだけ政府の管理下に置かれていないものがあると耳にしたことがあった。


 それは最悪と名高い『モヘド大迷宮』だ。


 僕はタナカ家の親戚と言う事から、モヘド大迷宮がタナカ家所有になっていることを知っていた。もちろん場所までは知るよしもない。ウチは末席の末席、ぎりぎり親戚扱いしてもらえるタナカ家の座布団運びだ。そこまで知る権利はない。

 それでも親戚づきあいを止めないのは、父さんにも血筋としての誇りがあるからだろう。というか今はそんなことどうでもいい。


「うし、俺の力がどこまで昔の奴らに通用するか試してやろうじゃねぇか。つーか十分くらいで最下層までいけんじゃね?」

「デイトならありえるな」「余裕でクリアだろ」


 デイト達は部屋の壁に掛けられている剣や槍をとってニヤニヤする。

 僕は背筋が凍り付くのが分かった。


 馬鹿なことを言うな。今の魔獣と昔の魔獣では凶暴さがまるで違うっていうじゃないか。しかもダンジョンではさらに強化されるとか。一方で僕らは碌に戦闘経験もないただの学生だ。確かにデイトや双子は強いと思うけど、喧嘩と殺し合いでは天と地ほどの隔たりがあると思うんだ。


「や、やめようよ、死んじゃうから」

「うるせぇな。そこまで言うんならお前が先頭な」


 なんでっ!?


 剣を握らされて僕はドンッと背中を押される。

 僕は階段を転げ落ちて顔面から床にキスをした。


「だはははっ! だせぇ!」

「立て」「いくぞ」


 強引に首襟を掴まれて立たされる。


 僕らは先を進み始めた。






「なんにもいねぇじゃねぇか」


 デイトがつまらなそうに呟く。

 スライム一匹見かけないとそう言いたくなるのも理解できる。


 でもまだ一階層だ。


 モヘド大迷宮がどれくらいの深さだったのかは文献には残されていない。というか踏破されたのかすら不明なのだ。僕がなんでこんなことを知っているかというと、クラリスが熱心に語ってくれたからである。

 クラリスは今でこそお嬢様っぽくなったが、昔からおてんばでよく冒険者になりたいと言っていた。その頃の僕は彼女にいつかパーティーに誘うよなんてホラを吹いていたものだ。まぁ子供の嘘というか、好きな子へのちょっとしたアピールだったのだ。

 結局、時が経つにつれて彼女も現実的になり、僕の言葉も虚勢だったことがはっきりしたわけだが。


「飽きた。そろそろ戻るか」

「そうだな」「つまらん」


 三人が帰ろうとして不意に立ち止まる。

 振り返ったデイトは眉間に皺を寄せていた。


「帰り道を覚えてるか?」

「さぁ」「知らないな」


 三人が僕を見る。

 無言で首を横に振った。


 嘘だ。実は僕は密かに来た道を覚えていた。

 いい加減デイトに付き合わされるのはうんざりだ。ここで散々怯えさせてから最後に「あ、思い出した」的な感じで帰るつもりだ。そうすれば彼らも反省して今後は僕に絡むこともなくなるだろう、と思う。


 だが、流れは予想していなかった事態を迎えた。


 デイトが剣をいきなり僕に向けたのだ。


「お前、クラリスと仲いいよな。俺があいつと付き合えるように協力しろよ」

「でも……」

「じゃないと痛い目を見るぜ」


 喉元に切っ先が向けられる。

 僕はYESと言いそうになってぐっと飲み込んだ。


「断る。僕はそんなことはしない」

「んだとっ!? 鈍臭野郎ピーターのくせに反抗しようってのか!!」


 鳩尾を蹴られる。

 僕は地面を転がって痛みに耐えた。


 僕は弱い男だ。けれど好きな相手を譲るほど弱くはない。


 やってやるよ。僕だって反抗できるところを見せてやる。


 なんとか立ち上がって剣を抜く。


「へぇ、お前俺と戦うつもりなんだ。おもしれぇじゃん」

「デイトに逆らうアホをボコる」「どうせなら殺すか」


 双子が槍を構えた。

 僕はすぐにも奮い立った気持ちがしぼんでゆくのが分かる。

 まったく勝ち目がない。殺されるのはほぼ確実だ。


 ――デイト達がなぜか怯え始める。


 振り返った僕は身体が硬直した。


「ぴぎゃぁあああああっ!」


 不快な声。それは本能的な恐怖をかきたてた。

 そこにいたのは巨大な二つの頭部を持つムカデだった。


 身体は青白くがちがち牙を開閉させている。


「ひぃいいいいいいっ!?」

「化け物!」「逃げろ!」


 三人は僕を置いて逃げ出した。

 ムカデは僕を避けるようにして壁を這って追いかける。


 笑っていた膝が今頃折れて座り込んだ。


 遠くで叫び声が聞こえる。

 デイト達は殺されたかもしれない。


 どれだけ経っただろうか。


 ずるずる。ずるずる。


 妙な音がデイトの逃げた先から聞こえる。

 何かを引きずるような音。

 僕はそれが至近距離まで迫ってからハッとして震える手で剣を向けた。


「うわっ!?」


 突然眩しい明かりに照らされた。

 懐中電灯のような人工的な明かりだ。


「なんでこんなところにヒューマンがいる?」

「また子供ね。さっき外に放り出した子達の友達かしら」


 男性の声と女性の声。

 僕は恐る恐るその人達を見た。


 黒いローブを身につけたヒューマンの男。

 白い外套を身につけたエルフらしき美しい女性。


 だがしかし、男性の肩には先ほどのムカデが担がれていた。


「そ、それ!」

「これか? 晩酌のつまみだ」

「え!?」


 なに言ってるのこの人!?

 というかなんでダンジョンに人が!??


 男性はムカデを放り出して僕の前でしゃがむ。


「名前は?」

「ピ、ピーター・ロックウッドです」

「ロックウッドねぇ」


 男性は口角を上げて目を細める。

 女性が彼の横にしゃがみ込んで僕をまじまじと見た。


「私達の子孫よね?」

「まぁな。それよりも面白いのがその魂だ。どうやら彼は繁さんの魂を持っているらしい」

「じゃあ繁さんの生まれ変わり?」

「そうなる」


 シゲサン? シゲサンってなに?

 唐突に男性は立ち上がって天井を眺めた。


「ふむ、どうもお前の両親は近々店をたたむらしいな」

「ええっ!?」

「それどころかこれからの生活も怪しいらしい。お前は親戚に預けられ両親揃って稼ぎのいい惑星開発団に参加するつもりらしいぞ」

「惑星開発団!?」


 それって地獄のようだと噂されている職種の一つじゃないか。

 少なくとも十年はこっちに帰ってこられない。


 僕は男性の語ることが事実であると直感で悟った。


 実はそんな話を偶然耳にしたことがあるのだ。スーパーの経営が厳しくてそろそろ限界かもしれないと。僕の学費だってギリギリで捻出していることも知っていた。


 僕は誰だか分からない相手の足にしがみついた。


「お願いします! 助けてもらえませんか! 僕は家族と一緒に暮らしたい! なんだってしますからどうか家族とだけは一緒に!!」

「儂に拾われたいか?」

「それで今の生活を守れるなら!」

「ならばお前は今日からホームレスだ」


 どんっ、と指を差される。


 …………ホームレス??


「色々手は回しておく。お前が儂の元で修行できるようにな」

「早めに希望は捨てた方がいいわよ。ヤル気がある時こそ絶望的だから」


 修行? 修行ってなんですか??


 男性に強引に腕を掴まれ立たされる。

 彼は嬉しそうに頷いていた。


「さぁ、またホームレスをやるぞ繁さん!」

「僕はピーターです」

「おお、そうだったな。すまんすまん」


 ばしばし肩を叩いてから彼は進み出した。

 そう言えば肝心なことを聞いていなかった。


「あの、貴方の名前は?」


 男性は振り返ってニヤリとした。




 【完】


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