第50話 そこにいるのに

 彼女の勤める店の事務所は、僕の家と近い。

 彼女の住むアパートも近く、派遣されるホテルも近い。


 県内の系列店を転々とする彼女、今日は、僕の住む街に出勤している。

 どこにいるのか…気にならないといえば嘘になる。

 どこにいても、すぐそこにいるはずなのだ。


「どこにいても、心、此処に非ずって感じだよ…」

 年末にそんなことを言っていた。

 それは…僕のことを想ってくれているのだろうか…。


 逢えない日々は、時間に比例にして彼女への想いを募らせる。

 そして同時に、くだらない妄想も…積もってしまう。


 そう…今夜も…そこにいるのに…。


 逢いたいよ…逢えば、こんなため息など出ないのに…。


 今日は、彼女と色々な予定を決めた。


 昨年から言っていた、洋食屋さん。

 選んでくれると言っていた僕のメガネ。

 日帰りでいいから温泉。


 どれも明確に日にちを決めたわけではないが、なぜだろう…次があるという安心感というか安堵感を僕は感じる。


 普通にデートできればいいのだが…全ては、送迎のついでだろう。

 そこまでは望まない。


 きっと彼女が風俗を辞めるまでは、望めないことなのだろう。


 彼氏になりたいわけではない…。

 ただ、どんなカタチでもいいから、彼女の傍にいたいだけ…。


 なかなか寝付かない猫と窓の外、月を眺める。

 雪こそないが、寒々しい夜空に黄色い月がボワッと浮かぶ。


 あの月は、今宵、幾人の想いを向けられているのだろう。

 ある人は、悲しみを…もしくは怒りかもしれない。

 恋に想い馳せる人もいて、笑顔で眺める人もいるのだろう。

 僕は…。


 月は幸せだと思う。

 地球の破片かけら自らは輝けないが、太陽の力で夜空で、その存在を知らしめる。

 ただ、そこに在るだけでいいのだ。

 僕は、自分の存在を月に重ねる。

 自惚れじゃない…憧れ。


 いつの間にか、猫は不思議そうに僕を見ている。

 彼女は、自分のことを黒猫に例える。

 なぜ、黒猫なのだろう…。

 きっと、白い長毛種の上品な猫にはなれなくて、血統書付きの高価で売られている猫でもない。

 街の隅で、あるいは路地で人を恐る恐る覗き見る野良ネコ。

 そんな猫に自分を重ねているように思う。


 人に擦り寄れなくて…独りで丸まって寝る猫。

 そんな彼女にとって、僕は、野良ネコが安心して眠れる場所なんだろう。


 そこにいるのに…何処にいるのか…。

 月は、きっと彼女が何処にいるか知っている。

 聞けるものなら、聞いてみたい。

「僕の愛しい彼女は…今、何処に…」


 メールが途切れて2時間が経つ…彼女の心は、今、僕の方を向いているのだろうか…。

 僕の腕に抱かれる猫の目は僕を見ている…。

 彼女も心も…きっと…ずっと…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る