第4話 超えない一線

「アタシ、結婚しても桜雪ちゃんとは逢いたいな」

 僕は、よく彼女を店まで送った。

 無職でヒマだったし…その2時間ほどの食事とドライブが楽しかった。

「そう…不倫になっちゃうね」

 そんなふうに応えたと思う。

(僕とは…一緒になる気はないということか…)

 そんなふうに受け取った。

 歳も離れているし…彼女と結婚など出来るわけもない…それは重々承知しているが…少し寂しいような気持ちになった。

 現実を視るということが辛かったのかもしれない。

 彼女だけのことではない、無職しての今の自分をだ。

 所詮、食事付の足代わり、便利に使われてるだけだ…それ以上を期待しないようにしていた。

 愛されたい…そう思えばツラいだけ。

 愛したい…気持ちだけで動ける歳でもない。


 彼女を事務所に送り…軽くキスをする。

(本当は…行ってほしくない…このまま抱きしめていたい…)

 彼女が、これから他の男に抱かれる…考えないようにしていたが…無理なことだ…。

 僕だって、金を払って逢っているだけの客でしかない…。

 僕が、送らない日は他の誰かと逢っているとしても不思議ではない。


 自分が特別だ、などと、なぜ思えようか…。


「逢いたいよ」

 そんなメールが届くたびに、僕は、彼女を迎えに行く…。

 一緒に食事して、事務所へ送る。

 帰り道…他の嬢でも呼んでみようか…そんな気持ちになることもあった。

 しかし…それはできなかった。

 性的には満たされるかもしれないが…きっと、心は空しくなる。

 今でも、空しいのに…さらに惨めになるのかと思うと、そんな気持ちも失せていく。


 そんな日々が何か月続いただろう…。

 彼女には決して、SEXを求めなかった…。

 勘違いしてはいけない…僕は特別じゃない…そう言い聞かせていた。


 色々なことを考えていた。

 僕の他にも、こんなふうに逢っている客がいるのだろうか?

 その笑顔は…色々な男に向けられるのだろうか?

 たまらなくなって…彼女の細い肢体を、抱きしめたこともある。

(愛してる…)

 幾度も…幾度も…心で叫んだ。

『言葉に出来ない想い』

 これほどツラいことはあるのだろうか…。

「好きだよ…」

 背一杯言えるのは、そこまで…言葉はきっと、想いの半分も伝えらえない。

 そんな気がした。


 無職の日々も半年が過ぎようとしていたころ…『カクヨム』のことを知った。

 素人投稿に2回ほど応募したことがあった。

 このサイトでも『ヤミナベ』に載せた『怪獣保険』と『お湯ラーメン』の1話だ。

 落選しているが…。

『お湯ラーメン』をもう一度、乗せてみた。

 思いのほか、PVも伸び、レビューまでもらえた。

 彼女も面白いと言ってくれた。


 たぶん…僕が小説など書かなければ、彼女は、今ほど僕に興味を持っていないと思う。


「桜雪ちゃんって、アタシに興味ないの?」

 彼女からの言葉…。

「なんで?」

「アタシのことを何も聞かないから…興味ないのに、なんで送ってくれたりするんだろうって思って…」

「好意が無ければ…こんなことしないよ…でも、好きだなんて言ったら迷惑だろ?」

「う~ん…そんなことないよ…大概の男は、好きだ!好きだ!って、何処に住んでるの?本名教えて?ってしつこいくらい聞いてくるよ」

「そう?べつに…本名なんてどうでもいいし…アパートは知ってるしね」

「なんか不思議な人だね…あたしね『N』って言うんだよ…本名ね」

「そうなの…」

 これは本音だ。

『K』でも『N』でもどうでもいい、僕の目の前にいる女性を愛しているだけ…ただそれだけ…。

 名前になんの意味があるのだろう…。

 アパートから事務所までの片道だけのドライブ。

 それが今の…僕のすべて…それ以外に何もない…。


 超えられない一線は深く…僕には飛び越える勇気はなかった…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る