【第四章 ソス逆襲】⑤


 一時間後、ハル・織姫・アーシャは新木場エリアを訪ねた。


 東京湾にも近い『館』の周辺部は、所轄の警察と機動隊によって封鎖されていた。

 制服姿の警官隊をあちこちで見かける。

 装備と特殊車両から、警視庁の都市救助部隊が出動していることも見てとれた。


 現在、このエリアは一般人および一般車両は立ち入り禁止。

 入れたのは、アーシャが事件解決に当たる『専門家』として招かれた立場だからだ。


 封鎖内部に入ると、ひとりの青年が近づいてきた。

 制服の警官が多いなか、私服刑事のようにくたびれた背広姿であった。


「よう」

「見城さん? どうしてこちらにいらっしゃるんですか?」


 アーシャに目を丸くされて、古書店『弥勒堂』のパートタイム店主で《S.A.U.R.U.サウル》スタッフ・見城玄也は微苦笑を浮かべた。


「うちの上司……柊の姐さんから指示があってね。しばらくこっちに出張して、ミス・アーシャの便宜をはかることになった。向こうで状況の説明をさせてくれ」


 案内する見城に、アーシャ・ハル・織姫の順でついていく。


「最初に言っとくけど、『館』近辺の一キロ以内には行けないと思ってくれ。厄介な魔力がばらまかれていてな。近づくだけでヤバイ」


 頸でも刎ねるようにして、見城は己の首筋に手刀を押し当てた。

 死――ということか。

 ハルとアーシャは黙然とうなずき、織姫は顔をこわばらせる。


 見城は三人を仮設テントに案内した。

 折りたたみ式のテーブルの上に、近隣の地図や双眼鏡がいくつか置かれている。


「こいつで『館』の方をちょっと見てみな」


 双眼鏡は全員分あったので、それぞれ自分の分を取る。

 このあたりは空き地ばかりが目立つ、再開発予定地である。

 人も建物も極端にすくなく、見晴らしもよかった。

 双眼鏡をのぞけば、おなじみの『館』がよく見える。


 そして、ここからすこし離れた海辺の方に看過できない物体があった。

 かつてゴミ処理場があったという、埋立地のあたりだ。


「あれは――水無月!?」


 織姫が叫ぶ。海辺の土地に透明な三角柱が屹立していた。

 旧東京にそびえ立つモノリスよりも遙かに小さい。

 高さ三〇メートルほどの三角柱。いわば小モノリスである。

 これに見覚えのある『蛇』がからみついていた。


 体表はエメラルド色。角状部位である右手と爪がひときわ大きい。

 東洋的な『竜蛇』型リヴァイアサン、水無月であった。

 彼女は透明な正三角柱に巻きついている。

 蛇が長い棒に巻きつくようにして――。

 そして、背には自身の体長よりも長い金属製の針が突き立てられていた。

 これが水無月を貫通して、小モノリスに縫い止めているのだ。


「死んではいないか……眠っているのか?」


 死亡したリヴァイアサンの肉体は地上から消滅してしまうもの。

 水無月の閉ざされた両目を見て、ハルはつぶやいた。


「もうずっとあのままで、びくとも動かない。そして、非在化もしない。『館』を占拠した上位種――ソスって野郎だったな。そいつが何かの魔術をかけたらしいんだ」


 見城の報告だった。

 アーシャも双眼鏡越しに小モノリスを見すえる。

 その視線は三角柱のある面に注がれていた。

 そこにはルルク・ソウンの魔術記号が一五文字も刻印されてあった。


「アーシャ。あれの意味、わかるか?」

「おそらくは『生命』『霊気』……。そういう意味合いの配列だと思います」


 アーシャの目つきも表情も真剣で凛々しい。

 妖精めいた美貌に鋭さと風格が加わっていた。

 こういう幼なじみを見るたび、ハルはどきりとさせられる。


「は、羽純は大丈夫なの? 水無月があんなことになっているのに?」

「おそらく危害は加えられていないでしょう。盟約者の魔女マギに万一のことがあれば、『蛇』もいっしょに消滅してしまいますから」


 あわてる織姫に、アーシャはいつも以上の怜悧さで応じる。

 リヴァイアサンはもともと、実体を持たない人造生物である。

 それを地上につなぎとめるのが魔女との盟約だった。

 魔女が死に、盟約が消滅すれば、地上にとどまるための肉体も自然と崩壊し――死んでしまうのだ。


 織姫がほっとすると、見城が追加情報を教えてくれた。


「今、うちの上司が各地の魔女とスポンサー筋に要請を出しまくってる。事態の収拾に協力してくれって。けど、相手が上位種ってことで、どこも尻込みしているようだ」

「貴重な『蛇』を投入するにはリスクが大きい。そういうことですか」

「あ、アーシャさん。あの……」


 何かをアーシャに言いかけて、織姫が途中でやめた。

 気さくだが気配りもできるハルの同級生。

 ここで想いを口にすれば、それが新しい女友達を危地へ追いやるかもしれないと気づき、やめたのだろう。

 しかし、アーシャはさすがだった。

 しばらくは小モノリスと眠れる『蛇』水無月を見つめていた。

 それから『館』に視線を転じ、熟考してから――おもむろに言ったのだ。


「ルサールカの死に場所ができたと、思うことにしましょう」


 アーシャの声には、静かな決意が満ちていた。


「最期の敵が上位種というのも、あの子にはお似合いかもしれません。ちょうど旧東京での借りもありますし、今度は全力のルサールカをソスに見せてあげます」


 歴戦の猛者であるアーシャの、逞しく美しい相棒。

 しかし、今は死にかけの身であった。

 パワーを限界まで引きだせば、その負荷に耐えきれず肉体の崩壊が加速するだろう。アーシャはそれを承知で、決戦への参加を表明したのだ。


 だが、ルサールカの『本気』がはたしてどれだけ保つか?

 五分、一〇分、あるいはもっと短時間かもしれない。

 幼なじみの勝算はかなり低いはずだった。

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