【第四章 ソス逆襲】④


「織姫さんは晴臣のあつかい方、結構わかっているようですね」


 ハルと共に書斎兼寝室へ入るなり、アーシャは言った。

 織姫は近くのスーパーまで買い出しにいった。

 休めと言われたものの、ハルは一応「手伝おうか?」と申し出たのだが。


『大丈夫。この家の惨状を見るかぎり、春賀くんは清掃助手としては役立たずに近い人だろうなって思うし。ひとりの方がたぶん楽だから、遠慮なく休んでて』


 これでハルの自室待機は決定された。

 とはいえ、この発言も織姫流の気配りかもしれないと思えるのが――。

 やけにまぶしい光を見せつけられた気分になり、ハルはやや不機嫌に答える。


「僕のあつかい方って、何だよ?」

「お節介すぎても無関心すぎてもいけないから、晴臣の相手はめんどくさいんです」


 ふふっと微笑んで、アーシャはうすい胸をはった。

 そんな人間といちばん長いつきあいなのを、まるで自慢するかのように。


「僕はべつに面倒な相手じゃないよ。基本的に放っておかれるのがいちばん好きだし。……まあ、でも。この家を掃除したがるなんて、十條地は変わってるな」


 ハルはしみじみとつぶやいた。


「ああいう女子力の高そうな知り合いができるとは、我ながらちょっと驚きだ」

「……晴臣? 今、なんて言いました?」


 思いつくまま述懐したら、なぜかアーシャに愕然とされた。


「女子力の高い?」

「それですっ。目の前にいちばん深い仲の女子がいるというのに、それは何ですか!? わわわ、わたしの女子力がまるで低いみたいに……」

「いや。実際、アーシャはそういうの低いだろう?」


 深い仲というのは、そうかもなと思えなくもない。

 しかし、主張の後半はハルにとって認めがたいものであった。


「どこの国に行っても、住む部屋とか全然こだわらないし。散らかり放題でもたいして気にしないしさ。住めば都とか言って」


 懐具合にはだいぶ余裕があるはずのアーシャ。

 しかし、彼女が高級住宅街や高級マンションに住まいをかまえたことは皆無だった。たいていワンルームの集合住宅など、シンプルな物件を選ぶ。


「い、いいじゃないですか。人間、毛布一枚くらいのスペースがあれば起きるのにも寝るのにも困りませんし。掃除を半年しなくたって死ぬわけじゃないですから……。それより女子力の問題ですが」


 幼なじみはこほんとせき払いした。


「衣食住の住はともかく、食の方は得意分野です。私の料理の腕、晴臣がいちばんよく知ってますよね?」

「まあね。それは忘れちゃいないよ」


 アーシャの料理はたしかに本格的だった。

 何しろ『生きた鳥をシメて、処理して、肉にする』ところから完璧にこなすほどだ。食材の野鳥ジビエを自ら猟銃で撃ち落としさえするほどに……。

 このため、女子力よりワイルドな生命力の旺盛さを感じてしまうハルだった。

 妖精が森や野山など自然界の住人であるならば、幼なじみは容姿にぴったりの自然児ぶりをちょくちょく見せてくれるのだ。


「でしたら、ちょっと待っててください!」


 アーシャはきりっと顔を引きしめて、言った。


「もうすぐお昼の時間です。おいしい手料理をごちそうしてあげますから、私が女子力で織姫さんに劣るという認識をあらためてくださいね?」

「結構むずかしそうなチャレンジだな……」

「大丈夫ですっ。私の隠された潜在能力を見せつけてあげます!」

「でも、これから『館』に行くんじゃなかったのか?」

「緊急事態でもないんですから、あとまわしでいいですよ。じゃあ、わたしも材料の買い出しに行ってきますね!」


 と、アーシャは小走りに書斎のドアへ向かう。

 しかし廊下に出かけたところで、彼女はくるりとこちらを振りかえり、


「あ。こ、断っておきますけど、べつに織姫さんに対抗心があって、晴臣に女らしさをアピールしたいんじゃありませんからっ。女としての沽券にかかわる問題だから、仕方なくやるだけであって――」

「そうなのか? ん。了解。あやうく誤解するところだったよ」


 わざわざ注釈を入れる幼なじみへ、ハルは鷹揚にうなずいた。

 すると、アーシャはなぜか傷ついた小犬のような目になって、「い、行ってきます」とハルをにらんでから退室していった。


「……アーシャにも一応、女の面子とか気にするところがあるんだなー」


 ハルはつぶやきながら、パソコンデスクの前に腰かけた。

 マウスを動かす。スリープ状態だったPCとモニターがすぐに動作をはじめた。


「昨日の晩のこと、親父のライブラリーに何か情報があればいいんだけどな……」


 休めと言われたが、そうもしていられない事情がある。

 父の蔵書や研究ノートを保存したPC、および外部記憶装置に検索をかけて、ハルは調べものをはじめた。


 自分の体を妙な代物に変えた、昨夜の出来事。

 その謎の一端でも解き明かせるヒントがどこかにないかと。

 事の発端は父の形見に隠されていた『石』なのだ。期待感はあった。


 そういえば、最大の情報源である火之迦具土ひのかぐつちはどこにいったのだろう?

 しばらく声も姿も見せていない自称悪魔のことを思い出したときだった。


「きゃああああああっ!?」


 悲鳴を聞いて、ハルは「十條地!?」と腰をあげた。

 この家に危険はないはず。しかし、ラーク・アル・ソスの件がある。

 どうにかしてハルの居場所を突きとめ、襲撃しにきたという線も……。


 最悪の展開を危ぶみながらハルは走った。声がした方――春賀家のリビングへ。


「どうした!?」


 勢いこんで訊ねる。織姫は呆然とした面持ちで立ち尽くしていた。

 制服の上着をぬいでいて、ワイシャツの袖を腕まくりした姿だった。

 手にはハタキ。部屋の隅っこにはバケツや雑巾も準備ずみである。

 特に外傷もないようで、織姫はまったくの無事だった。


「あ、大声出してごめんなさい。びっくりさせちゃった?」

「……まあね。ネズミでも見たのか?」


 拍子抜けしつつハルは訊ねた。

 古いうえにずっと放置してきた家なのだ。

 それくらい居ても不思議ではない。

 だが、織姫はかぶりを振り、すこし考えこんでからハルのそばへ寄ってきた。


「ええとね。春賀くん、前に呪いとか祟りって言ってたでしょう? それを踏まえたうえで訊くけど……。この家、もしかして――?」


 主語を明言しない問いかけ。何かを警戒する織姫の雰囲気。

 緊張気味のクラスメイトを見て、質問の意図をハルは理解した。

 同時に、もうひとつありそうな可能性にも思い当たった。


「もしかしてさ。見たのは紅い和服を着た女の子だった?」

「――やっぱり! あれ、幽霊ってことでいいの!?」


 平然と『霊』という単語を口にするあたり、織姫もやはりハルと同世代だった。

 あたりまえのようにドラゴンがいる時代に生まれ育ったのである。

 怪奇現象の類と遭遇しても、立ち直りが早いのだ。


「あー……。何なんだろうねえ、あいつは。僕もいまいちわからなくて。二、三回しか会ったことないし……」


 ハルは適当にごまかした。一応ウソではない。


「そうなんだ。わたしにはちょっと変なことを言ってきたんだけど」

「変なこと?」

「ええ。『おまえは蛇が欲しいのか?』みたいなことを。ほかにもいろいろ言ってたけど、びっくりして聞きのがしちゃった」


 うっかり姿を見られたのではなく、意図があって織姫に接近したのか。

 火之迦具土ひのかぐつちの思惑をあやしく思い、ハルが眉をひそめたときだった。

 バタバタと廊下を駆ける足音が聞こえてきた。


「晴臣、織姫さん。今、柊さんから連絡がありました!」


 アーシャが息を切らして駆け込んできた。

 買い出しに行ったはずだが、買い物袋もトートバッグも持っていない。

 店へ入る前にもどってきたのだろう。

 不吉なものを感じて、ハルは幼なじみを見つめた。織姫もならう。


「昨夜、旧東京に現れた上位種の居場所がはっきりしました。新木場の『館』です。彼は一時間以上前に『館』を襲撃して、占拠したそうです。現場にいた織姫さんの従姉妹は『蛇』といっしょに囚われの身となったと聞きました」


 ふだんは狼狽したり、混乱することも多いアーシャ。

 しかし、こういうときの幼なじみは冷静さを決して乱さない。

 来たるべき修羅場にそなえて、早くも『非常時』のモードになっているのだ。

 凛々しく、剛胆で、抜け目なく、冷静沈着。そして、鋭利な剣のような美しさ。

 一方、織姫は従姉妹に降りかかった不運を聞いて、愕然としていた。


「そんな、羽純が!?」


 あからさまに狼狽し、ショックを受けている。

 だが、無理もない。織姫はまだ魔女マギでなく、修羅場といえば昨夜の一幕を守られる側として体験しただけなのだ。


 そして、ハルは仏頂面になった。

 昨夜の一件とソスの行動が無関係とは思えない。むしろ逆ではないか。


 ソスが真に獲物として狙い定めているのは、ハルと火之迦具土ひのかぐつちの方ではないのか。

 織姫の従姉妹はそれに巻きこまれただけでは――。

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