(4)2大政党以外に党はないの?


そら自由の国アメリカです。極右から共産党までいっぱいあります。2大政党に次いで党員10万以上となると3党だけです。その中の一つにアメリカ緑の党があります。

ブッシュとゴアが最後まで接戦を演じた2000年の大統領選挙まだ記憶にありますね。多くの疑惑や問題を残しながらも、フロリダ州での537票の僅差でブッシュの勝利が認められました。この時の緑の党の公認候補はあの消費者運動(欠陥自動車問題)や環境問題で名を馳せたラルフ・ネーダーでありました。同州で97,488票獲得したネーダー票のごく一部がゴア(環境問題に熱心だった)に流れていれば、勝敗がひっくり返っていた。このため、一部の民主党支持者などから非難を受けました。ひょっとしたらイラク戦争はなかった?かも知れません。


かも知れないといえば、この人。ヘンリー・A・ウォレス。かれは共和党議員でしたがルーズベルト大統領に認められ、農務長官になり、民主党に移り、商務長官そして副大統領を務め、その後継と思われていました。しかし1944年、ルーズベルトは4選ですが、戦争中の最高司令官の大統領候補は外せません。体調がすでに危惧されていたルーズベルトの副大統領候補に関心が集まりました。ウォレスの左寄りやあまりの理想主義を警戒する民主党保守派(実業界のボスを含む)の徹底した反対工作によって(党大会を1日延期したり、16名もの候補を立て票を分散させて過半数を阻止、ポストのエサ、金のばら撒き、あらゆることをやったと言われています)。党大会の1回目の投票ではウォレスが勝ったのですが、2回目投票でトルーマンになりました。ルーズベルトは商務長官として内閣メンバーに入れました。ルーズベルトが脳卒中で亡くなって、トルーマンが大統領職につきます。


ウォレスはトルーマンの「ソ連封じ込め政策」には対ソ協調は可能だとして反対します。そして長官の職を解かれます。歴史に「もし」はないと云いますが、「もし」があれば、ヒロシマもなく、冷戦構造も違ったものになっていたかもしれません。ウォレスは徹底した平和主義者で人種平等主義者で「アメリカの良心」と評価する人も、「現代のドンキホーテ」と揶揄する人もいます。


1948年、ウォレスは進歩党(民主党急進派の一部)の名前で大統領選に出馬しますが獲得票は2.5%でした。こと左様に2大政党から外れて大統領選に出ることは困難を極めます。独立系候補は予備選もなく、メディアに登場することもないのです。


もう一人、第26代セオドア・ルーズヴェルト(共和党2期)、歴代ベスト5に入る人気のある大統領でした。ルーズベルトは、当時、大統領職の3選が認められていなかったため、彼の後継者として長年の友人タフトを党の大統領候補に推します。しかしながら、タフトは勝利後ルーズベルトと異なった政策を述べます。その結果、1912年にルーズベルトは革新党候補として大統領選に立候補し、タフトに対抗しましたが、票が割れただけで、タフトもルーズベルトも落選します。漁夫の利を占めたのが、民主党候補のウッドロウ・ウィルソンであります。彼のような人気者でも、第三党から立候補しても結果は厳しかったのです。

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