第35話 ダンの怪我
帰らねえと。
ランディの遺体の前で座り込んでいたダンは立ち上がる。――が、途端に視界が暗くなり、浮遊感に襲われた。何も捕えない目の中で、闇が明滅する。
くそ……。
頭の中で悪態をつき、顔をうつむける。数秒が過ぎると、目の前に色が戻ってきた。よし、と思って足を踏み出すと、しかし、再び目眩がやってくる。
やばい、動けない。
自分の体の異変に気がついた時には、もうその場に蹲るしかなくなってしまっていた。遠くなっていく意識を、手の痛みがなんとかこの場に繋ぎ止めていた。
*****
戻ってきたディッキーがシェルターのドアを開けると、
「ダンはどうした?」
間髪入れずにデレクが問いかけた。ディッキーは目を見張り、何か応えようとしたのか口を開けたけれど言葉は出なかった。ただ、緑色の大きな瞳が、瞬きを失った目の中でてらてらと光っている。
「いい。どけ」
デレクはディッキーを押しのけ、廊下を走っていった。
「ディッキー」
ジョンが呼びかけると、ディッキーは視線を落とし、震える声で言った。
「ダンがいなくなっちゃったんだ……」
ジョンは息をついて、ディッキーの肩に手を置く。
「行先は分かってる。早くデレクの後を追おう」
ディッキーは顔を上げ、再び瞠目して驚きを顕にしたが、決意の表情がそれを呑み込んだ。
「うん」
二人は並んで駆けていった。
ジョンがランディの戦車に入り込もうとハッチから身を乗り出した時、廊下を歩いてくるデレクの姿が見えた。ダンも連れている。ほっと緊張が解けると同時に、別の種類の不安に駆られた。
デレクの肩へ腕を回し、支えられるダン。頭をぐったりと垂れ、足にはほとんど力が入らない様子だった。
「ダン!」
思わず口にし、駆け寄った。もう片方の腕を自分の肩に回し、デレクと目配せしてから歩き出そうと前を向く。
ディッキーと視線がかち合った。
すっかり青ざめた顔の中で、やはり目だけがゆらゆら揺れる蝋燭の炎のように切なく際立っていた。
「ディッキー、邪魔――」
言いかけたデレクを遮ったのはダンだ。
「ディッキー」
掠れ声で言って顔を持ち上げる。
「ランディ、は……殺した、から、もう……大丈夫だ」
ディッキーは、はっと目と口を開いた。それから下りてくる瞼とともに、悲しさとか痛みとかやり切れなさとか、そういう類の感情が差して、目の縁から涙が溢れた。
「ランディを殺しに行ったの?」
ジョンの首元で、ダンが頷く気配がする。ディッキーはぎゅっと目をつむり、うつむいた。
「ディッキー、悪いけど、急がないとまずい。早く手当してやらないと――」
デレクはできるだけ優しく言ったつもりなのだろうが、その口調には刺があった。ディッキーは、こくこくこくと何度も頷き、道を開ける。それから、戦車までデレクとジョンでダンを運び、その後ろをぐずぐず泣きながらディッキーが着いてきた。
「このままだとダンは死ぬ」
戦車に戻ってダンをベッドに横たえた後、デレクはそっとジョンを外の部屋に連れ出していた。
「え!?」
つい出てしまった大きな声に、しまった、と体をすくめてから、ジョンは声を低くして、
「どういうこと? 確かに手の傷は酷いけど致命傷には――」
「首だ」
言い切るのも待たずにデレクは言う。
「オレが肩貸してた側だから、お前には見えてなかったんだろうけど、あいつ、首を撃たれてるんだ。かすっただけみたいだから、傷自体は深くはないけど、出血が酷い。場所が場所だからな、オレたちじゃ止血してやれない」
胸がえぐられるように痛んだ。ザックという少年をみんなで弔った、あの時の光景が蘇ってくる。星明かりに照らし出された繊細な輪郭。星屑みたいにキラキラ輝くそばかすに、透き通るくらい綺麗なまつ毛。まだ幼く、だからこその美しさを宿していた彼は、それでもどうしようもなく死んでいて……。今度はダンがああなってしまうのか――。そんなのは嫌だ。絶対に。
「ぼく、ドクターを連れてくるよ」
決意した瞬間、自分の声が聞こえた。デレクは迷いのない目で頷く。
「そうしてくれ。オレはトミーたちに合流しなきゃならない。一人で平気か?」
「大丈夫」
ジョンもデレクを見つめ返し、首を縦に振った。
「ディッキーには黙っといた方がいい。また大騒ぎする」
「そうだね」
お互いの表情に曇りのないことを確かめ合うと、二人は動き出した。
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