第7話『覚醒』

 学校の敷地内には、所々誰かが戦った跡が見受けられた。割れた窓ガラスに突き刺さった鉄パイプ、何体か蠅の死骸もある。

 拳真達以外にも生きようと必死で抗っている人々がこの街には確かにいる。それは希望を感じさせる事実であると同時に抗った人々の行く末を案じる切ない気持ちを駆り立てた。大量の血痕が校舎の壁面にこびりつき溶解液に溶かされた木があった。


 漂う空気は煤けていて、夏の湿った風でさえ涼しく感じられる。

 一度立ち止まり文香の顔を窺えば彼女の呼吸は荒く、発砲音や悲鳴が聞こえてくる度に華奢な身体は小さく跳ねる。顔には疲労の色が浮かんでいる。


「大丈夫か?」

「うん、でもやっぱ怖いかな。拳真は?」

「怖いよ。わけわかんねぇし」


 せめて何か、それらしい前兆が欲しかった。異常な雲が現れたとか、何月何日に化け物を解き放つと秘密結社が宣言したとか。

 この先で、避難所に指定されている校庭に希望が無ければもういよいよ駄目かもしれない。そんな事を思いながら拳真は文香の横顔をしばらく見つめた。

 

「なんでよりによって今、そんな気持ちになんのかね」


 突然の自嘲気味な笑い、文香は怪訝な顔を向けてくる。それはそうだろう。拳真自身、困惑していた。そっと文香の手を握ると触れた細い指は温かく予想していた通り震えている。

 拳真は文香が好きで、文香は拳真が好きだった。けれどそれをちゃんと口に出したことは無かった。幼馴染から先に進むきっかけはいつまでも現れず、二人は惰性でいつまでも幼馴染のままだった。


「なあ文香」

「ん?」


 目があうとその大きな瞳に吸い込まれそうになる。猫のように可愛らしい大きな眼。

 空には喧しい蠅の羽音、煤けた空気が鼻をくすぐり風にそよぐ木の葉は炎に揺らめく。ロマンチックさの欠片もないなと思いつつ、しかし言葉は自然と零れ落ちた。


「好きだよ、今更だけど」


 その告白は余りに唐突で場違いだった。だから拳真のたった一言に応じるのに、文香は時間がかかったのかも知れない。

 

「えー、今?」

「なんか、ごめん」


 バツが悪そうな顔で謝りながら恐る恐る顔を上げると文香は満面の笑み、緩んだ口元から白い歯がのぞいていた。


「うん、私も拳真のこと大好き、今更だけどね!」


 今更な想い、わかりきった答え。

 大きく息を吐き出した安堵には「大袈裟なんだから」と文香の揶揄いが返ってきた。


「でもさー、いまー? もっとなんか、なんかさー」

「悪かったって、ごめん」


 大切な事だから大切な思い出になるようにと色々と考えを巡らしてはいたのだ。

 クリスマスにプレゼントと一緒に。初めて会った場所に呼び出して。テーマパークに遊びに行って。男子高校生の無い頭を振り絞って描いたシュチュエーションは全て廃案、告白はなんとも淡白なものになってしまった。


「じゃあ、今度デートしないとね」

「そうだな。色々考えとくよ」


 発砲音が止んだ。後に続いたのは、獣の咆哮のような悍ましい断末魔。

 

 



「うわっと! いった~」

「大丈夫か?」


 惨劇の渦中に不釣り合いに呑気な声が二つ聞こえた。

 身を起こし膝をさする少女は碧色のローブを目深に被り、二十代半ば程の女性は黒い髪を一纏めに肩から垂らし、白い外套を羽織っている。


「なにこの道路、これ石だよね?」

「たぶんな」


 二人は周囲に漂う不穏に気づき空を見た。無数に点在する黒い渦と蠅の影、響き渡る悲鳴。この街で今何が起きているのかは明らかだった。


蠅害ようがい。まだ倒しきれてなかったんだ」


 呟いた少女はローブの奥で深碧しんぺきの瞳を尖らせた。


「いきなり災禍の中か。まあいい、とにかく一人でも多く助けたい。ミア、街全体に結界を......」


 黒髪の女性の言葉を受けたミアと呼ばれた少女は口惜し気に首を振る。


「ごめん、まだ無理。魔力も回復してないし、そうじゃなくてもエルフの術式は精霊との対話を必要とするからまずは......って、この世界にも精霊っているのかな?」

「わからん」 


 瞬間、空から羽音が降下。合わせて五匹の蝿達が一斉に二人を襲う。


「よし、ならばこうしよう」


 黒髪の女性の強烈な足踏み、コンクリートの道路に亀裂が走り金色の光が辺りを包む。


「一匹でも多く倒す。......おぉ、どうやら魔法は問題無く使えるようだ」

「使えなかったらどうするつもりだったの?」


 溜息混じりのミアの問いかけを黙殺して女性は頭を掻いた。彼女の周りには既に五匹の蠅が残骸と成り果て転がっている。


「異世界か、しかし感傷に浸る間もないな」

「そうだね、立ち止まってる暇は無いみたい」


 惨劇の渦中にあってたちまちに怪物を打ち倒し、感慨深げに会話を続ける二人。

 その背後には、燦然たる太陽の如き白い光がゆったりと渦を巻いていた。

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