異界の次に滅びなさい?
@owarioboe
【一章】終わりと始まり
第1話『終わる世界』
その世界は剣と魔法の世界であった。
冒険者達はまだ見ぬ未知へと歩を進め、繊細な魔法が施された本の羊皮紙は遠い海原でたったいま起きた出来事でさえ語る事ができた。
空を漂う絶界の孤島、海底に栄える人魚の里、幽霊船に虹の丘、惑いの森に大迷宮、吟遊詩人が歌う唄、それは幾つあるのだろう。きっと数えていたら日が暮れる。
果ての無い空と海と大地、人智を超えた力で溢れる世界、それが剣と魔法の世界であった。
人が神と成れぬ世界、それが剣と魔法の世界であった。
森も山も海も、その深部まで立ち入る事ができるのは気の遠くなる研鑽の果てに個としての力を極めた英雄達だけ。王であれ無謬な幼子であれ魔力渦巻く禁忌の地は平等に人の命を虚無へと還す。
人の領域など存在しない。人が築き上げた物など簡単に無に還る。街が怪物に滅ぼされた。村が湖の底に沈んだ。国が一夜で廃墟と化した。
剣と魔法の世界は残酷で、ここでは人の命は枯葉の如く簡単に消えてしまう。
けれど、世界は美しかった。
母のように人を包み、父のように人に試練を与えた世界。名を、「メルトア」。
皆がこの世界を愛し、憎み、闇夜を照らす薪木の如く限りある命を燃やしていた。
魔王に滅ぼされる、この日までは
空はもう清涼たる蒼ではない、鮮血のような真紅だ。茫漠とした赤い砂漠は彼方へ広がり砂塵は今も人が生きた証を砂の底へ消していく。
「あははははははははははははは!」
終焉を迎えた世界に響く無邪気な声。
紅い砂漠の中心、そびえ立つ塔の頂上に影が一つ、底知れぬ覇気を身に宿し一人の少女が禍々しい空を見つめていた。
魔王、ヒトは彼女をそう呼んだ。
「長く、くだらない戦いでした」
少女の美しい金髪は血で濡れる。紫色のローブも純白のドレスも今はぼろきれのように破れ布地の間から少女の白い肌をのぞかせていた。ただ一つ、細い首にかけられた金色の首飾りだけが赤黒い返り血の奥から高潔な光を放っている。
少女は髪から血を拭い取ると官能的に掌を舐め挙げる。今にも鼻歌でも歌いだしそうな程にその紅蓮の瞳には愉悦が浮かんでいた。
漆黒の鉱石で造られた塔の床に横たわる一人の青年。彼は聖剣に選ばれ勇者と呼ばれていた。いまその青年は力無く少女の前に倒れ伏している。
少女は薄ら笑い、細い腕で自らの身体を抱きしめた。
勇者につけられた傷の疼きは勝利したいま甘美な悦びへと変わっていく。
山脈の奥で覇を唱えた鉄の帝国、平和を求めた白銀の魔法の王国、東の和国に亡国の魔法師団。少女が共闘など考えすらしなかった勢力同士が手を結び最後の戦いに馳せ参じたのは、なるほど、青年の旅の確かな功績だろう。
しかし今、青年の目に生気はない。彼は負けたのだ。勝者は魔王、ヒトの世界は終わる。
少女は鼻唄交じりに勇者の亡骸に笑いかけると手をあげる。
「まぁ、人間の癖になかなか、頑張ったんじゃないですか? その勇気と栄光を讃え.......魔物の糞にしてあげましょう」
パチンッ
少女が指を弾くと虚空の一部が光を奪われ色彩を失った。空間の欠落は次第に蠢き、黒い渦へと変わっていく。
やがて渦から這い出した一匹の獣。巨大な毛の無い黒い猿バクー。醜悪な見た目と弱い生物を捕まえては痛めつけて殺す生態が少女のお気に入りだ。
「コイツは人間の雌を繁殖に利用するんですよね。最低で最高な魔物だと思いません? ねぇ、聞いてます?」
少女の挑発に勇者は応えない。青年は本来であれば激昂し襲い掛かってくるはずだった。いつもそうであった。しかし、彼の正義感は命と共に失われている。燃える信念も煌めく覚悟も、すでに死の中に消え去った。
青年の腹から飛び散った内臓はもう乾き始めていた。奇跡だとか運命だとかそういった曖昧なものに縋る事すら許されない、完全な勇者の敗北がここには在った。
「つまんねー、バクー、食べていいよ」
ゴリュッ、骨が砕ける音がした。
「嗚呼ッ、いい音」
少女は空を仰ぐ。滅びた世界の赤い空には無数の黒い渦が浮かんでいた。
「異世界転移? それとも転生ですか? さすがの私も、君がこの世界にきてくれなければ気づけませんでしたね。やってくれる」
既に下半身だけとなった青年は少女の語りに応えない。青年の手首がバクーの口元からぼとりと落ちた。
「まったく、人間ってやつは.......どいつもこいつも!」
膨れ上がるドス黒い魔力と殺気。主人の逆鱗にバクーの咀嚼が止まる。
「誰が止めていいって言いました?」
首をゆっくりと傾げた少女の顔に浮かんでいたのは、子を叱る母のような他愛のない苛立ち。しかしバクーは弾かれたように食事を再開する。
今の主人の機嫌を少しでも損なえば一瞬で塵にされかねない。凄まじい強さを持ち、屈強な冒険者達でさえただの餌と見なし蹂躙するこの黒い猿をもってして、魔王の前では軽く触れれば散る程度の矮小な命の一つ。
怪物の本能が一考の余地も無く、「魔王の前では犬でいろ」とその身体に命じた。
「次は君の世界を滅ぼしてあげましょう」
黒い渦、それは異世界と繋がっていた。勇者の故郷、『地球』へと。
この世界の住人ではないくせに、なぜ勇者は、勇者の存在はこの世界に在る万物への侮辱だ。その時少女の瞳に浮かんだ激情は烈火の如く、バクーは一心不乱に勇者を喰った。
「さぁ、異界の次に滅びなさい?」
終わりを迎えた世界、しかし物語は終わらない。運命は魔王に新たな舞台を用意した。
「きゃはは、きゃはははははははははははははははははは」
勇者は敗北し魔獣の餌になった。聖剣は折れ、魔王に対抗できる者はもういない。
世界を一つ終わらせた少女。彼女は勝利に酔いしれながら渦の先へと目を凝らす。
蛇のような縦長の瞳、誇り高い、龍の
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