本の虫

咲部眞歩

本の虫

 とにかく彼女は本を読む。本が栄養分で本が恋人で本が自分自身であるかというように、本を読む。本を片時も手放さない。そんな彼女がなぜぼくと付き合っているのかまったくわからないのだけど、彼女は本とぼく、二股なのではないかとすら思えてくる。

「あのさ……」

 声をかけても返答はない。彼女に告白したのはぼくなので、ぼくは彼女と一緒にこうしていれることは大変嬉しい。だけど不満がないと言えば、それはそれで嘘になるわけで。

「ねぇ、あのさ……」

 しなやかな動作でページをめくると、彼女は振り向きもせず答える。

「聞こえているよ。続けて」

 ああこれだもの! と地団太を踏まないぼくをどうか褒めてほしい。人と話すときは相手の顔を見て、と親から習わなかったのかと怒鳴らないぼくを、どうか褒めてほしい。

「いやぁ、たまには外で食事でもどうかな、って思って」

「今まさにそういう“シーン”なの。だからわたしはいいわ。一人で行ってきて」

 彼女にとって本の世界は現実。彼女は既に、レストランかカフェか知らないけれど、そういう世界で食事をしているということだ。

 でも、とふと疑問に思った。

「その本、一人称?」

「三人称」

「じゃあきみはあくまでも物語を客観視している第三者っていうわけであって、君自身が食事しているわけじゃないだろう? 一体“かれら”がどんな食事をしているのかぼくは知らないけれど、目の前で他人が食事しているのを見ているだけ、なんてそりゃぁ地獄じゃないか」

 僅かに、ほんのわずかに彼女の肩が動く。これはここ三か月彼女と付き合ってやっと見抜けるようになったぼくだけの特技だと自負している。

 しばらくの間はそれまで通り本を読んでいたが、やがて彼女はブックマークを挟み、顔をあげてぼくをみた。

「確かに。彼らが満足げにレストランを後にしたとき、わたしもとてもお腹が空いてしまった。いいよ、なにか食べに行こう」

 やった! 勝ちだ! ぼくの勝ち。

「しかし君、よく飽きずに三か月もわたしといるね」

 そりゃ好きですからね、なんでかよくわからないけれど。そしてそんな恥ずかしいこと口にはしませんけれど。

「そのセリフ、そっくりそのまま返したいよ。ぼくから見れば君は本があれば別にぼくという存在はいてもいなくても同じものだ、と感じるけどね」

 外套を羽織り二人で部屋を出る。外はまだ寒い。

「それは……」

 おや? と思い少し後ろを歩く彼女を振り返る。彼女が口ごもることは珍しい。

「……質問にしつもんで返す会話はあまり好きじゃないよ。まぁいいじゃない」

「そう。まぁ、いいか」

 そうしてぼくが手を差し出すと、彼女は小さく鼻を鳴らしてその手をとった。

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本の虫 咲部眞歩 @sakibemaayu

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