技を磨く者―Koyasu Shizuo―

「ただいま……」

「おかえりー」

「おかえりなさい拓真」


 姐さんと祖母は夕食を終えたようで、ダイニングにある椅子の上でお茶を飲んでいた。


「ちょっとたっくん?」


 呼び止められてピクリと体が反応してしまう。


「遅かったけど、何かあったの?」

「……なんでもないよ」

「そんな顔で何もなかったなんて思えるわけないでしょ?」

「ほっといてくれ……」

「なによ、その言い方。ちょっとこっちに来なさい!」

「ほっといてくれって言ってるだろ!」


 たまった鬱憤を吐き出すように叫び、小走りで自室に入った。

「…………」

 ベッドに向かって、倒れるようにうつ伏せで寝そべった。

 右手を見る。どう見ても自分の腕にしか見えない。


 だけど――


 俺は、どうすればいいんだ……。

 ベッドに体を預けていると、姐さんと祖母の会話が聞こえてきた。

 どうやら聴覚も鋭敏になってきているらしい。


『最近変なのよね、あの子』

 姐さんの声だ。

『お母さん、どう思う? やっぱりばしっとさあ? 言うべきじゃない?」

 そんな姐さんの声に、祖母はまるでかぶりをふったのが見えるかのような声で言った。


『いいのよ、男の子だもの。男の子にしか分からない悩みだってあるのよ』

『だけど母さん!』

『いいの! それで』


 祖母がキッパリと言った。


『死んだ幸久は単純で考えが足りない子だったけど。拓真はきっと母親似なのかも知れないわね……いつも考えの足りない幸久には、もったいないぐらいに繊細で可憐な人だったわ。実はね、もう少ししたら、向こうに拓真を会わせたいと思っているの。やっぱり涼子さん、あの人が母親だからね。最低でも成長した姿を涼子さんに見せてあげたい。だから若いうちから、たくさん悩んで、落ち込んで、いっぱい食べて、大きくなって、立派になって……私達を踏み台にしていくぐらいに、遠くへいってしまっても。胸を張って生きていける子になってもらいたいわ』


「…………」


『だから、一人になって悩むことも必要だし、誰かに話せないことを溜め込んで自分で解決させたり、誰かに頼って立ち上がらせてもらったり、色々な事を思って色々な事が起こって、それで大きくなっていけば良いの。もう子供じゃないもの』


 どこか温かい、祖母の言葉。

 右手をぐっと握る。


 やばい、泣きそうだ。どうして聞こえちゃったんだ。

 聞いてしまった以上。くよくよしている自分が見守られていてる気がして……実際そうなのだろう、恥ずかしくなってくる。


 これから俺は人間ですらなくなってしまうかもしれないのに。

 そんな重大な事すら。何だか胸のうちで温かく溶けていく感じがする。


 ぐぎゅるるるる――


 腹、減ったな。


 でもああ言い切って、こうやってこもってしまった以上、さらにあんな会話を聞いてしまった以上。気恥ずかし過ぎて出れない。


 ……ああ、腹減った。


 俺は、

 力が欲しい。

 強い、強い力が。

 強くなりたい……。

 俺はもっと、

 強くなりたい!


 ―――――――――――――――


 正直、来てくれるかどうか不安だった。

 だが拓真君は優子君を連れてやってきた。


 今、木場が昨日の事情聴取を取っている。


 こっちは優子君と休憩室で、紙コップの飲み物を持ったまま事情聴取が終わるのを待っていた。


 子安さんは彼の到着を聞いた後、二階の道場で待っていると言っていた。

 やはりといってか、拓真君、エルガイアの戦いを見て思ったのだろう。


 彼は戦いにはまったくの素人だと。


 子安さんの黙した考えにはまったくの同意だった。


 ネパールからこの日本はどれだけ離れているかを考える。奴らは確実にエルガイアを狙っている。その為にやってきたのだろう。

 でなければ、ネパールという国を手中に収めるために動いていたって不思議はない。


 今のところ日本にはネパールの現状が分からない。


 最悪、すでに国政が乗っ取られていると考えても過言ではない。

 そしてこれからも、あの怪人たちはエルガイア抹殺を目的に日本へやってくるだろう。


 ――力が必要だ。


 それは彼、拓真君にも必要であり自分たち警察にも必要だ。


「事情聴取ってどれくらいかかるんですか?」

「拓真君の発した言葉を全文書きとどめないとならないから、一時間以上はかかるかな?」

「そうですか」


 そういえば、この倉橋優子という女学生と二人きりで話すのは初めてかもしれない。


「優子君は、拓真君のことをどう思っているのかな?」

「えっ?」


 少なくとも憧れている先輩が、化け物まがいの超人に変身し、同じような怪人と戦っているのだ、死ぬことだってありうる。彼女もそう、気がかりでないはずはない。


「いえ、そんな! まだちゃんと好きだなんていってませんよ! やっぱり決まった場所で雰囲気作りしてそれで――ああ私何を考えてるのきゃああああ!」

「…………」

「でもやっぱり、卒業式? に桜の花びらが舞う中で、先に学校を出てしまう先輩に……でもでもそれまで我慢しなきゃいけないとか耐えられそうもないし、いやん私ったらもう! 舘山寺さん! 何を言わせるんですか!」


 ばしんっ!


 何故か胸を思いっきり叩かれた。


「…………」


 どうやら言い方を間違えてしまったらしい。

 そして俺は、この子のような女性とは、なんかこう、付き合いを保てない気がする……。


 手に持っている紙コップ。ココアをちびちびと飲むことだけが、自分の居場所だったのが酷く安心した。


 一人で盛り上がっている優子君は……この場合はほおっておいて正解なのだろうか?

 

 ―――――――――――――――


 事情聴取が終わった二人が戻ってきた。

 木場が青い顔をしている。そして拓真君は依然暗い顔をしたままだった。


「木場」

「はい。舘山寺さん、読んだらきっと後悔しますよ」

 事情聴取で拓真君の証言を書いた紙束を受け取る。

「じゃあ、拓真君。次は下にある道場に行ってもらいたい。そこで君に会いたがっている人がいる」

「……はい」


 聴取した紙を見ながら、4人で移動する。


 パラパラと流して読んでみるか。


 怪人たちの正体はその昔、人間が枝分かれしたように進化したその一端である事。

 観察者ヘックスという、カカロ族の怪人……成長期に特定の動植物を食べることでその体が変化する種族である事。


 アスラーダの傲慢とも呼べる戦士の理。


 そして最も重要なのは、エルガイアの真実。


 エルガイアが人間側に味方したことで、怪人たちと人間たちとで完全に対立することとなったという事実。


 ……なるほど。合点がいった。これでさまざまな事のつじつまが合う。


 つまりは、怪人たちは人間のミュータントと呼ばれる生物。人間の突然変異で生まれた者達であり、弱点はその体にドーパミンを作れない、よって相応以上のドーパミンを摂取しなければならない。


 最悪だったのは、その強靭な肉体を使って、同属からドーパミンを摂取できる力を持って生まれてしまったという事。


 本来ならば、異常発達した肉体を除けば、ドーパミンを作れない障害者でしかないが、ひょっとすればそこから奴らの弱点や……あるいは和解ができる可能性もあるかもしれない。


 事実、ヘックスというあの鳥人間はその様子があった。


 アスラーダという極端な戦士もいれば、ヘックスのような現代の人間の考えに近い者もいる。


 まとめると。普通の人間と異常発達した人間との争いだったのだ。

 お互いに知能を持った者同士ならば話し合える。ドーパミン関係の問題を解決させれば、争う必要が無くなるかもしれない。


 頭の中でスイッチが入ったように思考が回る。


 これを次の会議で持ち出せば、様々な視点から糸口が見つかるかもしれない。

 


「ここだよ、拓真君」


 木場に促され、皆で靴を脱いで道場内に入る。

 そこには一人だけ、胴着を着た子安静雄さんが一人稽古をしていた。


「拓真君。この方が君に会いたいといっていた子安静雄警部だ」

「……はあ?」


 一人稽古で汗を流していた子安さんがこちらに気づいて歩み寄ってくる。


「やっときたか」

「お待たせしてすいません、事情聴取に時間がかかりまして」

「ふむ、そうか。だがちょうど体も温まった」


「拓真君、この人は機動隊員の隊長でもある人で、街中での戦闘、それから北区での戦いの場にいた人でもある。僕達の次に君のエルガイアとしての戦いを見ていた人でもあるんだ」


「はじめまして、子安静雄だ」


 子安さんが拓真に握手の手を伸ばす。


 元気の無い拓真は無言で右腕を差し出して握手を交わした。


「拓真君、ちょっと失礼するよ」


 急に子安さんは拓真君の上着、ブレザーを脱がして、ワイシャツの腕をめくり、拓真君の左右の腕を揉み始めた。


「ふむ、どうやら右腕のほうが筋肉の張りが……いや筋肉質そのものが……おそらく筋繊維からしてものが丈夫なようだ」

 それには拓真君も驚いたようだ。


「何で分かるんですか?」

「わかるとも、武道、武術スポーツなどをたしなんでいれば、服越しからでも足の運び方や、手のひらのマメから、この人は何をやっているのかが分かるものだ」


「そうなんですか」


 子安さんが拓真君から数歩足を引いて離れた。


「舘山寺さん、子安さん、なんで俺をここに?」

「それはだね」

 子安さんが応えた。

「私は君は鍛えてやりたいと思っているんだ」

「鍛……える」

「そうだ。率直に言うが、君のエルガイアとしての戦い方を二度も見たが、足の運びから拳の振り方、足のつま先から頭のてっぺんまで素人、未熟そのものだ」


「…………」


 はっきりと言われ、拓真君が目を伏せた。

 そして、拓真君が呟いた。


「強く、なれますか?」

「それは君の心構え次第だ。教えはするが、君がその気になってくれなければ学んでも意味が無い」


「そうですね……」


 なんだか乗り気でない拓真君。

 やはり何かを悩んでいるのか?


「何を悩んでいるのかな?」


 子安さんがはっきりと聞いてきた。多分、自分と子安さんの違いはこういうところだろう。自分も武道をやるが、子安さんは別格に強い。いわば強者だ。


 子安さんに会う前から、拓真君はその暗い表情から何かを溜め込んでいることは分かっていたが、聞きだすことが出来なかった。


 対して子安さんはまるで、何を言われても全てを受け止めようという姿勢を持って、拓真君に聞いた。


 この気質はおそらく、体の鍛錬と経験値から来る自信と誇りだ。

 堂々とした出で立ち。はっきりと物が言える自分自身への揺るがない自信。

 そして鍛えた体による恰幅。そして大勢の機動隊員を指揮する責任と経験。

 今の拓真君とは真逆といっても良いかもしれない。

 子安静雄さんはこういう人間だった。


「言ってみなさい」


 不意に木場のほうを見る。木場はこちらのアイコンタクトだけで察したが、首を横に振るだけだった。


「俺は……自分は、エルガイアになってしまうかもしれない?」


「うん?」


「今はただ、変身してエルガイアになることが出来ますけど。右腕の侵食が肩まで来ていて……アスラーダに言われたんです。お前はいずれ、体が完全に侵食されて、人間の体ではなくエルガイアそのものになると……」


 そんな事、事情聴取には書かれていなかったぞ。再び木場を見るが、木場は首をぶんぶん振って否定した。


「……なるほど」

「俺、どうしたらいいのか……」

「…………」


 静まり返った道場内。


 だが――

 子安さんが拓真君の腕を掴んだ。


「ふんッ!」


 ものすごい速さと勢いで、子安さんは拓真君を一本背負いで投げ飛ばした。

 どたんどたん、ごろごろごろ――びたんッ!

 拓真君が投げ飛ばされ、対面にある壁に激突した。


「子安さん!」

「拓真君!」


 俺のよりも大きな声で子安さんは叫んだ。


「ならばいっそ、正義の味方にでもなってみたらどうかね!」

「うっ……正義の、味方……?」


「そうだ」


 子安さんははっきりと言った。


「私は、何故君がエルガイアになったのか、エルガイアが何故君のような未成熟の少年を選んだのかを考えた」


 道場内に子安さんの声が響く。


「普通ならば、私のような、肉体が出来上がり力も技も持ち合わせ、相応の精神を持った人間が選ばれるべきだとは思わないかね? だがエルガイアが選んだのは君のような少年だった。エルガイアを怪人たちを見てつくづく思ったよ。何故私達じゃなかったのかと」


「…………」


「私達と君との違いを考えて、それに至った結論は。可能性だ」


「……可能性」


 拓真君が膝立ちで起き上がる。


「君は何者でもない。しかし何者にもなれる。それこそ、正義の味方にも、人間を脅かす悪魔にもなれる。だが私はもう既に体が出来上がり、妻もいて小学生の子供が二人いる……大それた言い方かもしれないが、つまりは宿命だ。私には法を守る警察としての宿命、人の親としての宿命、武道家としての宿命がある。私は、私達は社会的な宿命にがんじがらめになっている。だが君にはまだ何も無い。何持っていない。だが、君には何者にもなれるという、可能性がある」


「俺が、正義の味方にも、悪魔にも?」


「そうだ、そしてもう一つの可能性として、やめる事もできる。おそらくは、その腕を切り落とせば、君はエルガイアに変身することも無くなり、体の変異も年月をかけて元の体に戻るだろう。だからエルガイアが残したのが『腕』だったのだろう。そしてその全ての決定権は君にある。可能性は、自分自身で決めなければ意味が無い……今すぐ決めろとまでは言わないが、最低限の武道武術のいろはは習得しておくべきだ、と思う。どうかね?」


 拓真君が無言で立ち上がった。


「……強く、なれますか?」

 拓真君の呟き。


「今よりもっと、強くなれますか?」

「それは君次第だ」

「……おねがいします。俺を、俺を強くしてください!」

「いいだろう! 私を敵だと思ってかかってきなさい!」

「はい!」


「基礎体力の向上として走り込みや筋力トレーニングが必要だが、時間はあまり無いかもしれない、荒療治的処置だが、まずは実践に近い肉体同士のぶつけ合いで私の技を覚えてもらう。さあ、来なさい!」


 子安さんが拓真君に向かって構えを取った。


「いきます!」


 靴下をほうり捨てた拓真君が子安さんに向かって走り出し。右手の拳を放った。


 だが子安さんはその攻撃を簡単にいなし、あっという間に腕をねじらせて拓真君を固め技で床に張り倒した。


「くっ、うぐぐぐぐぐぐ」

「私は君の攻撃に様々な技で対処する。それを君は自分の体で覚えなさい」

 子安さんが拓真君を解放して再び距離を取った。

 拓真君も立ち上がって、子安さんと向き合った。


「いきます!」

「よし、来い!」

 

 どたん、ばたん、どんばたん

 暗い表情をしていた拓真君の瞳は、今は気力に満ち溢れている。

 ――どうやら、彼の中で抱えていた問題は解決はしなかったけれども、体に活が宿ったようだ。


「木場、優子君を頼む。俺は聴取したこれを追加記入して提出してくる」

「はい」

 優子君を探すと、彼女は既に道場の隅っこで座って、真剣な顔で組み合う二人を眺めていた。

 いつのまに、は愚問だった。

 

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