炎陽神 エルガイア

石黒陣也

Prologue

遺跡―Remains―

 ――ネパール北西部インド国境付近某所――

「ここか……」

「そのようですね」


 矢頭三郎博士の言葉に、汗をぬぐいながら同意する。

 密林の亜熱帯地域、道なき道をコンパスと地図と太陽の方角を頼りにさまよい、ようやく目的地らしき場所へと到着した。

 目の前にある、石でできた古い遺跡。


「西嶋君。ひとまず休んでから遺跡の中に入ろう」

「はい」


 他の探検隊員もくたくたになっている。こんなところではまともに夜も眠れない。気を抜いたら猛獣か毒蛇、危険な病原体を持った虫に殺されてしまう。

 そんな危険を冒してまで、やってきた場所がこの遺跡だ。

 水筒から水をごくごくと飲んで一息。改めてこの新発見された遺跡を、天を仰ぐように眺め観る。……遺跡というよりも、『墓』のような感じがした。


「意外と小さいですね」

 ぽつりとこぼした自分の声に、矢頭博士が答えた。

「だから今まで見つからなかったのだろう」

「そうかもしれませんね」


 遺跡はどのくらいここに佇んでいたのだろうか? 少なくとも紀元前だろうと今まで培った知識の中で予測する。地面が陥没して遺跡自体が少し斜めに傾いていた。

 十数分ぐらいだろうか、辺りを見回しながら疲れを癒していると、矢頭博士が出発の合図を出した。私たちは遺跡の中へ入った

 

 入り口は一切の光も入らぬ真っ暗な下り階段になっていた。マグライトを照らしながら慎重に進む。遺跡の壁に手をつけると、ぱらぱらと砂がこぼれた。やはり数百年やそこらの年代のものではない。千年は軽く超えるほどの老朽加減だ。


「……行き止まり? か?」

「いえ博士。こっちにまた下り階段が」

 マグライトが照らされた正面の壁、そこから左方向にまた下り階段があった。

「どこまで降りるのでしょうか?」

「分からん……」

 さらに階段を下るのだが、一列に並んだ後ろの隊員が足を滑らせて転びそうになった。


「大丈夫か!」

「だ、大丈夫です」


 マグライトを向けると、二人がかりでつかまれて転倒を免れた迫下がいた。

「気をつけろ、遺跡に傷がついたらどうする」

「……すいません」


 とりあえず十分に気をつけるように叱咤しておき、矢頭博士を先頭に遺跡の奥深くへ足を踏み入れていく。

 なんだろうか? 空気のせいか? 

 何かが渦巻いている。そんな心霊的な恐怖が芽生えてきた。

 ホラー映画は日本モノでも外国モノでも好きな自分だが、画面越しで観る客観的な恐怖とは違った生々しい恐怖心が、一歩また一歩と下っていくうちに膨らんでいく。


「まさか、呪いとかがあって、見つけた人間はみんな死んでしまっているから……今まで発見されなかった……なんてオチは無いですよね?」

 矢頭博士に笑われた。

「そりゃホラー映画の観すぎだよ西嶋君」

 後ろにいた三人の隊員たちもくすくすと笑う。


「ですよね。そんな事あるわけないですよね。ははっ……でも博士、かなり地下まで続いてるんですね」

「そのようだな……おっと、水が流れている。全員足を滑らせないように」

 矢頭博士がマグライトで照らしたところの壁から、地下水が静かに流れていた。

 ――本当に、どこまで進んでいくのだろうか?


 なるべく自分の中に芽生えた恐怖心から逃れようとしゃべりながら階段を下っていくが、さすがに話すネタも尽きて全員が黙ったまま階段を下っていく。

 二十三段。それがひと階段の数だった。そこからくの字に曲がるように方向転換して、逆方向へ向かって階段が伸びている。いくつの階段を下りただろうか? 初めから数えておけばよかった。何か意味があったのかもしれない。まあ、最後まで下りきったら、建物全体が把握できるだろう。食料も水も十分にある。こんな地下深くなら猛獣も蛇も毒虫もいない。数日間はここで寝泊りして調査ができる。

 そうして、階段の最下層に到着した。


「……ふむ」

 矢頭博士がマグライトを照らす。そこには崩れた壁があった。

 地震か老朽化のせいか、その壁は大人二人分は並んで入れるほどの大きな崩れだった。

 壁の周囲をマグライトで探る。


「何か模様か……紋章? でもあったんですかね?」

 崩れた壁の残りには、そんなものを連想させる削り跡があった。

「とにかく中へ入ってみよう」


 矢頭博士が崩れた壁の奥へ入っていく。それに連なって自分たちも入る。

 そこは広々とした部屋になっていた。

「うわあ……」

 感嘆の声しか浮かばない。

 室内は初めて見る模様か文字のようなものが壁面全体に刻まれていた。

「西嶋君。カメラで壁面を写してくれ」

「あ、はい」

「では調査を開始する!」

 矢頭博士の合図で、遺跡の調査が始まった。

 

 遺跡最奥部の部屋は、奇怪な文字でつづられた壁に、棺のような石の箱が中央に一つ。

 とりあえず、全体図から文字か模様らしき壁面の一部分をとにかくバシャバシャとフラッシュを瞬かせて撮りまくる。

 矢頭博士は中央の石の箱を調べていた。

「西嶋君。こっちも頼む」

「はい」


 部屋の中央にある石の箱には、壁面と同じような……やはり文字らしきものが彫られていた。それを全体に収まるようにデジタルカメラを瞬かせる。

 先ほど道中で足を滑らせた迫下が矢頭博士に尋ねる。

「中に何か入ってるんでしょうか?」

「分からん」


 矢頭博士が石の箱――その側面の上部に指を這わせる。そこは横一直線にくぼんでいて、見るからに石の箱の上部分は蓋になっていた。

 どうやらこの石の箱には何かが収められているらしい。

 開けたら中は空っぽ――とはいかないようだ。砂や塵の積もり具合からして、何者にも長年触れられていないのは明らかだったからだ。それに置かれているのは部屋の中央。石の箱の蓋には意味ありげな文字の羅列……ここがもしエジプトならミイラでも入っていそうだ。

 迫下が提案する。


「開けてみましょうか?」

「ふむ」


 矢頭博士はあごに手を当てて黙考する。石の箱を開けてしまうのは、遺跡に傷をつけてしまうかもしれないと考えているのだろう。

 今後重要な文化財になるものならば、果たして自分たちだけで勝手に開けて良いものだろうか……。

 だが矢頭博士は好奇心のほうが勝ったようだ。


「よし、蓋を傷つけないよう慎重に開けてみよう……西嶋君は撮影を頼む」

「はい」


 自分を除いて四人全員で石の箱の蓋に手をかける。

「ゆっくりだ、ゆっくりずらずぞ」

 矢頭博士の指示通り、石の箱の蓋が少しずつスライドされていく。その度にぱらぱらと砂塵がこぼれるように落ちていく。

「よし、このままゆっくり下げろ」

 矢頭博士の指示で石の箱の蓋がゆっくり下ろされる。

 そして複数のマグライトが石の箱の中を照らし出す。

 中身は――

「腕? 右腕なのか?」


 写真に収めるのを忘れるほど、しんと静まった。

 石の箱の中身はミイラ化した右腕が、皮紐らしき物にがんじがらめにされた右腕だけだった。だが変だ。

 革紐はほとんど切れていて、2……いや3本か、革紐が腕に巻きついている。だがそれが妙だったわけではない。何せ長い長い歳月この中に納まっていたのだ。劣化していて当たり前だ。

 妙なのは肘から指先までの『真っ白い右腕』だった。

 指先は尖った爪もひっくるめて皺だらけのミイラ状態なのに対し、腕の部分は当時の防具だったのか、真っ白いプロテクターのようなものに包まれていた。


「西嶋君。撮影を」

「あっ、はい」


 慎重な声音になった矢頭博士の声ではっとなって思い出し、白い右腕を撮影する。

 何だこれは?

 塵や埃まみれになっているものの、腕のプロテクターのようなものはまったく劣化した様子が無い。見るからに十分な強度を誇る立派な防具だった。

 古代の戦士? そんな単語が浮かび上がる。


 ぶちっ


「え?」


 革紐が今、一本切れた。

 誰かが何かをしたわけではない。勝手に、ひとりでに切れた。

 隊員たちが顔を見合わせて、「俺は何もしていないと」ジェスチャーする。

 妙な動揺が場を支配する。

「気にするな、劣化して自然に切れたのだろう。西嶋君、別角度から続けて」

「はい」

 カメラをミイラ化している指先に集中させる。

 ――ん? 今、わずかだが指先が動いたような……。

 一瞬だけ躊躇い、シャッターを切る。


 ぶちっ


 また革紐が切れた。カメラのフラッシュが瞬いたその瞬間に二本目の革紐も切れた。

 まさか――生きてる? ――革紐が切れて指先が動いたのはマグライトの光を浴びた時。そしてカメラのフラッシュが瞬いた時――

 ……光に反応している?

 カメラのフレーム越しからじっくりと観察する。慎重にシャッターを切る。

 ぐらり

 カメラのフレームが揺らいだ。

 いや違う――

 建物が揺れ始めた!


「全員身を屈めろ! 地震だ!」


 矢頭博士の声で全員が床に這いつくばるほどに身を伏せた。

 ぱらぱらと塵埃が降ってくる中、地震は横にぐらぐら大きく揺れ始めた。

 建物が壊れる!

 焦燥に駆られながらも必死に床に這いつくばる。

 揺れる地震の中でぶちっと最後の革紐の一本が切れる音が聞こえた。

 だんだんと揺れが収まり、地震はやがて静まった。

 焦りで呼吸が乱れるのを抑えて、再び石の箱の中を覗く。やはり最後の一本だった革紐が切れていた。


「紐が、全部切れてしまいましたね」

 誰もが見ればわかるが、つい声に出して言ってしまう。自分でも信じられないほどに声が震えていた。

 ――嫌な予感がする。

 何かとんでもない事を、自分たちはやってしまったのかもしれない。

 恐怖。

 酷く悪いものが胸の中で渦巻いて、呼吸を乱す。

 気がつけば白目をむきそうなほど目を見開いて、荒い呼吸を立てていた。

 隊員全員がこのおぞましいとも呼べる気配に気づいているのか、誰一人として声を上げるものはいなかった。

 だが――


「うわっ!」


 迫下が叫び声を上げた。

「どうした!」

「あ、足が何かに捕まれて――」

 ずどん!

 迫下の足元の地面が崩れて彼が落ちた。


「う、あああああああああッ!」


「迫下!」

 がりごりばりぼりごきごき、ごきゅちゃくちゃ――

 迫下の叫び声と一緒に、何かが砕ける音、そして瑞々しいものを咀嚼するような音が聞こえて


「いっ痛い痛い痛い誰か! 痛いあああああああああ……」

 そして迫下の叫び声がぷっつりと切れた。


「うわああああっ!」

 さらに別の隊員が地面に引きずり込まれた。

 叫び声。

「何だ! 何が起こっている!」

 そういった矢先に、矢頭博士も地面に引き込まれた。

 ごりごりばきごきじゃりじゃりくちゃくちゃくちゃ――

 ――これは、何の音なのか。

 ばきん!

 今度は地面が爆ぜた。

 反射的に爆ぜた方向にマグライトを向ける。

 すると。

 爪が鋭く長く、黒々とした手が出てきた。何かを探しているのか、もがいているのか、その手は地面から出てこようと必死に動いていた。

「うわああああああああああああ!」



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