『末広』希望の回想
今日は新次くんの一周忌。
いまだに新次くんがいなくなったことが信じられないままだ。
だけど、新次くんが生きた証の作品は三か月前に発売されてから、異例のヒットをしていた。
未来から子孫のかわいい女の子がやってくるっていう、一見、荒唐無稽なストーリー。優しくて、ばかばかしくて、ちょっとせつない気持ちになる、新次くんしか書けない作品だった。
新次くんが、運転手が病死したことで暴走したトラックから、小さな女の子を守って死んじゃったていう話を聞いたときは、なにかの冗談だと思った。
夢なら覚めてほしいし、幻聴や幻覚でも見てるのかと思った。
でも、すべては現実だった。
新次くんがいつも冗談めかして言っていたように、現実は残酷だった。
霊安室で新次くんと対面したわたしは呆然として、泣くこともできなかった。
やっぱり創作のように人生はうまくいかないんだ――そんなことを思っていた。
空っぽになった心で、わたしは新次くんと暮らしている家に新次くんの亡骸の入った棺桶とともに帰ってきた。本当は衛生的な面から葬儀の時まで安置所に置いておくべきらしいけど、わたしは無理を言って、新次くんの遺体を引き取った。新次くんのご両親は海外にいて、すぐにはこちらに来れなかったから。
新次くんとふたりっきりになって、ようやくわたしは泣いた。
泣いて泣いて泣き叫んで――涙が枯れるまで泣いた。
そして、夜九時を過ぎた頃――新次くんの携帯電話が鳴った。
上半身は酷い状態だったけど、新次くんの顔と下半身は無事だった。
だから、携帯電話は壊れていなかった。
おそらく、バイト先の書店の人からか、ご両親からか――わたしはなんとか涙をこらえて、携帯電話を手に取った。
「……はい……末広、です」
わたしと新次くんは結婚していなかった。新次くんが作家になったら結婚すると言って聞かなかったから。だから、わたしの苗字は妻恋のままだったけど――このとき、初めてわたしは新次くんの苗字で電話に出た。
「え? あれっ? ……末広新次さんの携帯電話で間違いないですよね?」
通話先の男の人は、慌てたように確認してくる。どうやら新次くんの死を知らない人らしい。一応、バイト先の人とご両親には連絡していたのだけれど。
「……はい、そうです。でも、新次くんは……末広新次は……きょ、今日、事故に遭って亡くなりました……」
わたしは涙をこらえながら、事実を伝えた。これでセールスの電話とかだったら、すぐに切るだろう。もう今は静かに新次くんを弔わせてほしかった。
「えっ――!?」
電話の向こうの人は驚きの声を上げて、絶句する。
「……そういうわけですので」
わたしは電話を切ろうとした。しかし――、
「待ってください! あの、わたくしIWB文庫編集部の淡路と申します!」
IWB……? ……IWB!?
それは、新次くんが原稿を応募していた出版社だ。そして、最終選考にまで残っていたあの……出版社だった。
今までで一番の傑作が書けたと言っていた新次くんの顔を思い出した。
これでダメだったら、アルバイトしている書店の社員になる予定だった。ちょうど正社員にならないかという誘いが来てたのだ。
だから、あの原稿は新次くんにとって、最後の勝負だった。
電話の相手――IWB文庫編集部の淡路さんが話を続ける。
「あの、末広新次さんの応募原稿ですが、昨日、内部の最終選考が終わりまして……大賞に選出されました」
――!? 新次くんの原稿が……IWBで大賞……?
「……本当ですか?」
わたしは悲しみのあまり自分の脳が作り出してしまった幻聴とか幻覚なんじゃないかと思って、訊ね返してしまった。
「本当に新次くんが……大賞? あの……難関のIWB文庫新人賞で?」
わたしたちが高校の頃に送った――そして、わたしが作家を諦めて教師になってからも、新次くんが何回も挑戦し続けた――あのIWB文庫新人賞に、新次くんが……?
「ええ、本当です。編集部全員一致で大賞に推されました。審査員の先生もこれは絶対に売れるって、太鼓判を押してくれて――」
……夢なのかな。わたし夢を見てるのかな?
一日の間に夢だったらよかったのにと思うことと、夢じゃなければいいのにということが同時に起こっていた。
「あの……ご家族の了承を得られたら、ぜひ出版させていただきたいと思っております。あの……末広新次様の奥様でいらっしゃいますよね?」
……そうだったら、よかったのに。あともうちょっとこの報告が早かったら、新次くんと結婚できたのに。
でも、それはしかたない。代わりにこうして受賞の電話を受けることができて、よかった。もしトラックに携帯電話が破壊されてたら、連絡がずっとつかない状態のままだったら、受賞が取り消しになっている恐れだってあった。
「あの……わたしは内縁の妻みたいな感じでして……でも、新次くんのご両親の連絡先を知っていますので、そちらの連作先をお伝えいたしますね」
そして、わたしはIWB文庫編集部の人に連絡先を教えて、電話を切った。
わたしは、改めて棺桶に入っている新次くんの顔を見た。
「……新次……くん?」
その表情はずっと追い求めていた夢が叶ったように――満ち足りた表情をしている気がした。さっきは、こんな顔してなかったのに――。
もしかして、生き返ったんじゃ――そう思ったけど、新次くんの身体はメチャクチャなままで、呼吸もしてはいなかった。
「新次くん……起きてっ! ねぇ、起きてっ! IWB……受賞したよっ! 新次くん、作家になる夢叶えられたんだよっ……!」
わたしは、新次くんの顔にすがりついて、思いっきり泣いた。
……なんで! なんで! なんで! なんでっ!
……あまりにも、理不尽すぎる。こんなにがんばったのに……ここまで人生を犠牲にして、ようやく結果が出たのに!
わたしは、神様がいるのなら、呪わざるをえなかった。
「うぐっ……ひぐっ……っう……ぁぁああ……!」
わたしは泣きながら、もう一度新次くんの顔を見た。
その穏やかな表情を見て、わたしは落ち着きを取り戻していった。
「本当に……おめでとう新次くん。本当に、よくがんばったよ……っ……さ、最初は文法もめちゃくちゃで三点リーダーも知らなくて……まともな小説書けなかったのにね……。えらいよ、すごいよ……新次くんは……わたしの主人公だよ」
そうして、わたしは新次くんにキスをした。
※ ※ ※
「ばぶー」
わたしの回想は、和菜美(わなび)の声で終わりを告げた。
新次くんが作品とともに、わたしのお腹に残した女の子。
この子にお父さんの本を読ませるのが今から楽しみだ。
ばかばかしいかもしれないけど、悲しくてせつない、ひとりの夢を追う男の子と女の子たちの話を――。
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