第3話 懊悩

 フィリッツたちへの態度は手のひらを返すように変わりました。

 邪魔者と思われた兄ぎみのフィリッツは、金を産む鶏を連れてきたのです。利益につながると分かるや否や、ご領主さまとエドヴァンさまは、離れに足しげく通うようになりました。


 ナナの蜘蛛は、オルグの指輪の十倍の値段で取り引きされたと聞こえてきました。

 国主さまからの紹介で、ナナの作ったものが欲しいというご婦人からのふみがひっきりなしに館に届き始めています。

 エドヴァンさまは、ナナに早く次を作るようにせかしました。

 ご領主さまは笑いが止まりません。けれどエドヴァンとは違い、ナナをせかしたりはしませんでした。必要な材料はすべて用意させ、質を落とさずに一つ一つ丁寧に作って欲しいと思っていたのです。

 欲しい者たちへ声をかけ、競りにかければいいのです。いちばん高値をつけた客に譲ればいいと。


 エドヴァンさまはそんな父親を焦れるような目で見ているのでした。鷹揚にかまえる父とは違い、もっとたくさんの作品をナナに作らせて売りたいと思っていたのです。

 まだみぬ巨万の富を、早く手にしたいのです。

 職人筆頭のオルグをはじめ、ノームのナナという最上級の作り手を抱えたデューラーは盤石の体制となりました。ノームの職人がいることは瞬く間に近隣に知れわたりました。

 すでに飛ぶ鳥を落とす勢いです。領主会議でも国主さまに近い席に座れるようになるでしょう。

 領主さまは栄誉を欲し、エドヴァンさまは富を求めたのです。


 オルグは、ナナの蜘蛛が目に焼き付き、なにも作れなくなりました。

 あまりにも違いすぎる自分との技量と意匠がオルグを苦しめました。

 今まで誰よりも素晴らしいと信じて疑わなかった自分の作品は、ナナのものと比べると、なんとみすぼらしいことか。

 それは、長年仕事に携わり目が鍛えられたオルグに冷酷に知らせるのです。

 格が違う。まるで敵わない、と。


 雇われている職人は、全員ナナの蜘蛛を見ました。それを機にデューラーの元から去る者もありました。同じく物を作る立場からすれば、ナナの技量と己の技量を比べて打ちのめされてしまったからです。

 オルグは悔しさに焼ける胸をかきむしり、酒をあおりました。

 工房の外から話し声が聞こえると、自分の陰口を言われているようで落ち着きません。


 ナナの技は筆頭であるオルグでさえまったくかなわない。

 ノームを筆頭に据えるわけにいかないから、オルグに続けさせているのだ。


 そんなことを言われているように勘ぐってしまうのです。


 デューラーの態度が変わっても、フィリッツたちの暮らしは変わりませんでした。フィリッツはおぼつかない足取りの娘をあやし、ナナは家事をします。ふたりの間の娘は、ナナよりも背が高くなるらしく、母親が抱くにはすでに大きすぎるように見えました。

 春の日差しのなかで、離れの軒下の長椅子に仲良くならんでお茶を飲み、三人で歌を歌います。庭を散歩して花を摘みます。


 その暮らしぶりが、オルグにはしゃくに障りました。

 もっと偉そうにしたらいい、いままでないがしろにされたぶん、横柄に振る舞ってもいいはずなのに。

 嫌な奴らだったら……少しは救われるのに。


 オルグの銀を溶かす炉には火は燃やされず、意匠の下書きはいつまでも白いままです。

 あれほど簡単に、まるでくうから意匠を取り出せるようだったオルグは何も手につかず、無為に過ごす日が続きました。

 しかし、何も作らないままで居られるわけはありません。宝飾品を作るのがオルグの仕事なのです。

 オルグは半ば投げやりに、領主さまから言い渡された納期に間に合うよう、腕輪を作りました。

 翼のある蛇の腕輪です。

 青い瞳、細い銀の胴体に金線の鱗、小さめの翼は瑠璃。それがゆるく円を描き腕に巻つくようになっています。


 職人たちが作り上げた品々とナナの作品が領主さまの大広間に並べられ、予定になかった展覧会が開かれました。

 ふだんは数年に一度くらいしか催されませんが、にわかに懐があたたかくなった領主さまが職人たちをねぎらうために、ご馳走やお酒、甘いお菓子や果物を用意したのです。

 もっとも、別の思惑があったようです。

 職人のほかに、近隣の貴族や豪商・豪農たちも招待されていました。

 それぞれの品を最低価格から入札してもらい、売りさばこうという腹積もりでしょう。

 なにより、ナナの作品をさらに多くの人に知らしめ、高く売るためのお披露目として最適です。


 オルグをはじめ、職人たちが作ったものは、柔らかな布のうえに置かれました。けれど、ナナのものだけは特別でした。ナナが作ったものは、水晶の台に飾られました。

 そして、それは女王の玉座としてふさわしいものだったのです。

 ナナが作ってきたのは、可憐な薔薇が連なる耳飾りと首飾りでした。石榴石ガーネットの深みのある赤が、まるでしっとりした本物の花びらのようです。エメラルドの葉のきらめきは、朝露をのせているようです。


 匂いたつような淡い光が煌めきます。


 オルグは瞬きもせず、見つめました。


 夜空の星をかたちにすれば、こうなるのでしょう。


 これは完璧な答えだ。それは分かる。けれど、どうすればこの答えを導き出せるのか。

 到達できない空の高みの星を、どうやって地上に持ってくるというのだ!


 オルグの体の中で、怒りにも似た感情が渦巻きその場から離れました。

 ナナの耳飾りと首飾りの回りには、貴族のご婦人がたが群がりました。みなうっとりと潤んだ瞳を向けています。そしてこれを手に入れたいと夫の耳元でささやくのです。

 オルグたち、他の職人の髪飾りや首飾りの前に人がいないわけではないのです。

 けれど、それはナナの品に手が届かない代わり、しかたなしに選んでいるだけとオルグの目にはうつりました。


 オルグの腕輪は他の職人のものより、高い値がついています。けれど今となってはオルグにはすべてがただのガラクタにしか見えないのです。誰よりも輝いていたはずの自分の腕輪は、他のものたちと五十歩百歩の凡百で月並みな……。


 ああ、自分の作ったものはなんて野暮ったいのだ。


 壁際に立つオルグに声をかけるものがいました。

 振り返ると、誰もいません。声のするほう、視線を下に動かすと、ノームの娘がいました。


 あの、へびの、うでわ。とても、きれいです。


 たどたどしく、ナナは話しました。ナナのとなりには、娘を抱いてほほ笑むフィリッツがいました。


 とても、とても、すてき。まるで、いきている、みたい。


 胸の前で指をくみ、大きな瞳をきらめかせてオルグを見あげています。

 オルグは頬が熱くなりました。

 誉められたことに、ではなく自分のぶざまさを突き付けられたように思ったのです。

 どうして、あんな何度も何度も作ってきたありきたりなものを、よりによってこの場に出してしまったのか。

 ちがう。

 今までと同じく作っただけだ。同じようなものを作ってもこれまでは平気だった。いつでも自分のものが一番の出来だった。そう信じて疑わなかった。それを恥じることなく知らずにいたのだ。


 オルグは、ぎこちなくナナに頭を下げました。


 ほんとうに、素晴らしいよ。あなたは幻想的な生き物をつくることが、なんて上手なんだ。


 フィリッツにも誉められました。ナナもうなずきます。


 わたしなんか、みたもの、そのままつくるだけなのに。すごいです、うらやましい。


 オルグの唇がわななきました。瞼が細かくひきつりました。声がでないよう、腹に力を込めました。けれども今にも言葉が弾けでそうです。言わずに堪えました。けれど大声で叫びたかったのです。

 悪気などない、澄んだ瞳でいるフィリッツとナナに。


 見たものをそのまま作った、だと!?

 あれは、星だ。星を作り出せるおまえが、おれの何を羨む?

 おれの作ったものなどしょせんは――


 ……はりぼての月。


 父の声が耳の奥でオルグの心の声と重なりました。

 糸の切れた操り人形のように、オルグの首がわずかにかくんっと折れました。


 父も味わったのだ、この絶望を。


 どうかしましたか、とフィリッツがオルグに声をかけました。オルグはきっと青ざめていたのでしょう。

 顔色が悪いですよと言われてオルグは自分の顔に手をふれました。冷たいのは頬なのか指先なのか。ただ、どちらもかすかに震えていました。


 気分がすぐれません……わたしはここでお暇いたします。

 近頃はたちの悪い病が流行っているとか。どうかお大事にしてくださいとフィリッツはオルグに目礼しました。


 オルグは人の波をかきわけ、逃げるように工房へ戻っていきました。


 生身の肌をえぐられたような感覚……。その穴が埋められることはないだろう。


 奴が目の前から消えればいい。


 オルグは歯を食いしばり、星空の下で呪詛の言葉を吐きました。

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