エトワール

たびー

第1話 雪の朝

  さらさらさら……。

 細かい粉雪が降るなかを、男は急いでおりました。

 前夜から降りだした新しい雪はやわらかく、男の足をからめとります。ときに膝よりうえまで雪に埋まり、白い息を荒くつきながら、薄暗い森のなかを突き進みます。

 ようやく淡い真珠色の朝日が森の中に射し込み始めたころでした。


 はやく、はやく……大きなもみの木の下に置いてきたと聞いた。急がなければ、せめてもの償いに。


 けれども気持ちばかりがあせり、足は思うように動かないのです。もがけばもがくほど、体は前に進みません。雪は降りつづき、男は……。



 オルグは薄い毛布の下で目を覚まし、身ぶるいをしました。寝ているうちに雪が降ったのでしょう。

 窓の桟に薄く雪が積もっていました。

 オルグは堅くなった体をゆっくりと動かして、ほぐしました。胸に抱えているぼろ布の固まりをほどいて、中を見ました。

 銀や金で作られた、華やかな装飾品が朝日を浴びて光りました。指輪、ブローチ、首飾り、髪飾り、耳飾り、マントを止めるピン、飾り棚に置くような小さな置物。

 オルグは数を確かめて、また一個ずつ布にくるみました。それから首にかけた小さな革の袋に手をあて、お祈りするように、目をつぶりこうべをたれました。


 昨夜遅く着いた場所は、近くの鉱山で働く多くのものたちが暮らす町です。若い頭領さまに三人目のお子が産まれたお祝いが開かれると、十日ほどまえに風の噂に聞いたのです。

 そんなお祝いの時には、市がたちます。オルグは市で装飾品を売ってお金に換えます。

 身支度を整えました。整えた、といっても古びた服を身につけただけです。継ぎの当たったズボンやシャツ。重い羊のフェルトのマント。

 どれもオルグの無精ひげや瞳と似たような、灰色をしていました。

 食事をすませたら、町の商店の顔ききを教えてもらい、店を出す許しを得なければと、あちこち痛む体を精いっぱい早く動かしました。

 手にしたのは、肩に担げるくらいの布袋がひとつだけでした。



 オルグは許しを取りつけ、表通りに小さな露店を開きました。

 大きな町にくらべれば、狭い通りです。二頭立ての馬車ですら、すれ違えないでしょう。

 けれど、道は石畳が敷かれ、今朝がたの雪もきれいに掃き清められています。

 通りにはオルグの店のような大小の露店や屋台が並びました。野菜や果物、鉢植えの花、魚や肉を干したもの、食器や衣服、かんたんな食事ができる屋台からは温かそうな湯気と、肉が焼ける香ばしい匂いがしています。

 もちろん、オルグと同じのような装身具も売られています。割り当てられた場所に来るまでの道すがら、オルグはそれらを覗いて見ました。

 高価な材料をふんだんに使い作られた豪華な花瓶、象牙材に華奢な彫刻が施され、磨かれた手鏡。

 いずれも技と工夫がこらされたものばかりで心惹かれます。

 若いころのオルグであれば、それらを見ても鼻にもかけず、自分がいちばん優れていると信じて疑いませんでした。

 じっさい、とあるご領主のお抱えの職人として働いていました。しかも十数人いる作り手の筆頭としてです。

 小さな工房で生まれ育ったオルグには、じゅうぶんすぎる身分にまで登り詰めていたのです。


 謙虚であれ。

 誠実であれ。

 わざにひたむきであれ。


 オルグは父から繰り返し聞かされた言葉を胸に刻み、年老いた今も忘れることはありません。

 けれど、若き日のオルグは父の言葉をないがしろにしていたのでした。


 広げた布のうえに自分が作ったものを、ひとつひとつならべました。

 値踏みするような斜め向かいの若者の視線を感じます。若者の前にも、ブローチや指輪が光っているのが見えました。

 腕組みをして胸をはり、自分のほうが上等だ、そう言いたげな自信にみちた瞳です。

 オルグはかつての自分を見るようで思わず苦笑するのでした。


 オルグの父親も、秀でた職人でした。簡素な中にも品位を感じられる作風は飽きがこない意匠だと客から愛されていました。

 母を幼い頃に亡くして工房を遊び場代わりにし、父の技を間近に見て育ったオルグは生来の器用さもあり、十五になるころには父をしのぐほどの作品を仕上げるようになっていました。


 まったくオルグの技はすばらしいものでした。

 オルグが得意としたものは、竜や麒麟・鳳凰ほうおうなど神話や物語の生き物を装飾品に作ることでした。

 紅玉の目をはめ込んだ銀の鱗の竜の腕輪。珊瑚の角をもつ麒麟きりんのブローチ、孔雀石がきらめく翼を広げた鳳凰ほうおうの髪飾り。

 どれもが優美で華やかなものばかりでした。品物は作る先から高い値で売れていきました。

 オルグの声は方々に響き、遠方からも注文が来るようになりました。

 オルグに並ぶものなど、誰もいない。自身もその才を分かっていました。誰もが誉めそやすなか、父親だけはいつもと変わらぬ言葉を繰り返しました。


 謙虚であれ。

 誠実であれ。

 技にひたむきであれ。


 父親が同じ言葉を繰り返すたびにオルグは思いました。

 父は自分を越えた息子をひがんでいるのだ、と。哀れな父を腹の中で笑いました。

 細工の意匠は努力をしないでも、苦もなく生み出せました。器用な手先は、他の職人の倍の早さで作品を仕上げました。むしろ、できない者たちはなぜできないのかオルグには理解できなかったのです。父親の作るものは、ひどく古めかしく時代遅れのものとしか目に映りませんでした。


 やがてオルグは、鉱山を持つ裕福な領主のもとへと誘われました。

 家を出ていく日にもオルグは父から同じ言葉をかけられましたが、すべて聞き流しました。

 そんな息子の態度を悟ったのでしょう。父は別のことを語り聞かせました。


 おまえはまだ本物の『エトワール』を見たことがないのだ。

 大きな街へ行ったなら、ノームの手技を見ることもあるだろう。

 そしてその時思い知らされる。

 しょせん己が作っていたものは、はりぼての月でしかなかったと。


 ノームたちは土や山の奥に住む者たちです。

 手技に長けているとは聞きますが、現物を見たことはありませんでした。

 ノームのものは、めったに世に出ませんし、出回ったとしても、非常に高価でよほどのお金持ちでなければ手に入れられません。民人たみびとがおいそれと、お目にかかれるものではないのです。


 けれど、父親のその話ですらオルグには、出世していく息子へ向けた負け犬の遠吠えにしか聞こえなかったのです。

 オルグには誰にも負けないという自信があったのです。

 そう、音に聞くノームの手技にさえ負けぬと。


 領主さまの敷地内にある工房には、お抱えの職人が十人ほどおり、長屋のような建物の房を一つずつ与えられ、住み込みで作品を作っておりました。

 オルグは一番年下でしたが、筆頭にのし上がるまでさほどの時間はかかりませんでした。

 オルグが作ったものは、誰よりも高値で買われました。領主さまは大喜びです。オルグが望む材料は何でも与えました。

 金、銀、白金。紅玉、碧玉、孔雀石、琥珀、瑠璃、月長石、紫や薔薇色の水晶、金剛石。南の海でしかとれない、玳瑁たいまいや珊瑚、大粒の真珠。象牙、瑪瑙めのう翡翠ひすい。ありとあらゆる材料が取り揃えられました。

 それらを使い、オルグは次々とすばらしい指輪や首飾りを作りました。

 オルグの名声はますます高くなっていったのでした。




 道を行き交う人が増えてきました。日が高く昇り、幸い風もありません。蜂蜜色の日向は心地よい暖かさです。外を出歩くには格好の日よりになりました。

 親子連れ、若い恋人、老夫婦。ときおり小さな人影が混じります。よくよく見ると、それはノームでした。ノームたちは顔見知りらしい人たちと親しく言葉を交わしています。

 そういえば、ここの頭領さまはノームと取引をさかんにしていると聞きました。

 そのためか、小さい町なのに裕福な者が多いように感じます。数十年前の時とは違うのだとオルグは思いました。オルグの知るノームと人の関わりは……。


 やがてオルグのまえにも幾人かが立ち止まりましたが、値段を聞くとたち去っていきます。

 いつものことだと、オルグは気にしませんでした。

 斜めまえの若者はいくつか売れたようで、満面の笑みを浮かべて上機嫌です。

 侍女を従えた身なりのよい若いご婦人が、通りの向こうからやって来て、お店をながめて歩いています。オルグと若者の品物も一瞥したあと、去っていきましたが、再び戻ってくると足を止めました。

 ご婦人は並べられたオルグの指輪を、試しにつけてもよいかと鈴をふるような声で尋ねました。

 構いません、とオルグは答え指輪を天鵞絨ビロードの布に乗せて差し出しました。

 ご婦人は、銀と金をより合わせ小さな紅玉の粒がつけられた指輪を細くかたちのよい左中指にはめました。

 そして目の前にかざし、よくよく眺めた後に、ため息をつきました。


 ほら、ごらん。まるで、ちいさな宝冠ティアラだわ……。


 ご婦人は深くうなずき、代金をオルグに尋ねると、侍女に支払うように言いました。同じく指輪に見とれていたのか侍女は我に返ると、財布から銀貨を三枚とりだしてオルグに渡しました。


 すべてのお店をみたけれど、これがいちばん素敵。とてもよい買い物ができたわ。


 ご婦人は、大切にするわ、ありがとうとお礼を言って去っていきました。


 ご婦人の満足そうな笑顔が何よりの報酬……。オルグは銀貨をしばらく見つめてから財布にしまいました。

 ご領主さまのところにいた頃のオルグの取り分には遠く及びません。いぜんなら、オルグの名を出すだけで、とてつもない値がつきました。いまは帰る家を持たない放浪の香具師やしと代わらぬ身です。

 領主さまのもとにいたときには、オルグは作るばかりで、実際に身に付けてほほ笑む人を見ることがありませんでした。さっきのように、ちょくせつ言葉をかけられることもありませんでした。

 受け取る代金は、次の材料を買うこととオルグの生活を支えるくらいの金額です。貯えも財産と呼べるようなものも特にはありません。けれど、この暮らしは自らが選んだことだったのです。


 オルグが顔をあげると、熱心に品物を見ている人がいつの間にか来ていました。

 やはりお伴を連れた年配のご婦人でした。さきほどのご婦人が口利きをしてくれたのでしょう。

 それをきっかけに、小さな人垣がオルグの前に出来ました。

 立ち並ぶ人々のすきまから、あの青年が顔を赤くし、悔しそうな視線で睨んでいるのでした。


 きっと自分も、あんな目をしていたのだろう……。


 オルグの胸の奥がうずきました。オルグの胸には抜けない棘が刺さっているのです。それは、領主さまの工房にいるときの出来事が深くかかわっていました。

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