他人の顔

さいとし

他人の顔

 二十三の夏、あたしは念願の整形手術をした。鼻をちょっと高くして、瞼を二重に。他にも細かいとこをいくつかいじった。お金はずいぶんかかったけど、ぜんぜんかまわない。あたしも、これからは胸を張って生きていける。包帯のとれる日が楽しみだった。

 そして手術から三日目。あたしは心をときめかせながら、鏡の前で包帯を外した。さあ、こんにちは。新しい自分。けれど、あたしの口からこぼれたのは、喜びの歓声でも、うっとりしたため息でもなく、恐怖の悲鳴だった。

 鏡に写っていたのは、あたしでない他人の顔だった。確かに似ているかもしれないが、それでもあたしとは全く違う、誰だか知らない人間の顔だ。そうとしか思えない。

 一体何が起こったのだろう。困惑、そして怒り。高い金を払ったのに、なんてことをしてくれたのだ。あの医者は。どうして、なんの怨みがあって、あたしの顔に他人の顔を貼りつけたりしたのだ。

 あたしはバッグを引っつかみ、玄関から飛び出した。すぐに文句を言いにいかなければ。場合によっては訴えてもいい。こんなに腹が立ったのは久しぶりだった。そのせいで周りが見えていなかったあたしは、アパートの入り口を出ようとした時、管理人のおばさんにぶつかってしまった。いつも親切にしてくれる、顔見知りのおばさん。あわてて顔をそらそうとしたけれど遅く、おばさんはあたしの顔をしっかり見てしまった。どうしよう。

「あら、ケーコちゃん。今日は早いわねえ。なんか、雰囲気が変わったけど、髪でもいじったの?」

「え? おばさん、あたしがケーコだって判るの?」

「何言ってるのよ。当たり前じゃない。どこからどう見たって、ケーコちゃんの顔よ?」

 それからは悪夢だった。あたしは思いつく限りの知り合いに会い、確認しようとした。この顔は私の顔じゃない、他人の顔だと。なのに、みんなは口を揃えて、今の顔がケーコの顔だと言い張った。しまいには、繰り返し質問するあたしを気持ち悪がって、そそくさと立ち去ってしまう。つきあっていたアイツなんか、今のほうがケーコっぽいよ、なんて見え透いたお世辞を言ってみせた。アイツとは、もう一生会わない。

 あたしに手術をした医者にもかみついたけど、あいつはあたしのことを、ただのクレーマーとしか見ていなかった。誓約書を盾に取って、あたしを追い払った。ご飯が喉を通らなくなり、仕事にも行けなくなり、とうとうあたしは実家に戻ることにした。その行動は致命的だった。お父さんもお母さんも、あたしの今の顔が間違いなく娘の顔だと言ったのだ。もう、どうしようもなかった。

 あたしは両親に連れられて、精神科に行った。いくつかの病院をたらい回しにされたあと、認知科学者の先生が、あたしをぜひ見たいと言い出した。若くて、ちょっとかっこいいその先生は、あたしにいくつかのテストをさせてから、こんなことを言った。

「ひらがなをじっと見ているとします。すると、最初は文字だったそれが、だんだん意味を失って、ただの線に見えてくることがありますよね。しまいには、なんでこれに文字としての力があったのか判らなくなってきたりします。これに似たことが、あなたには起こってるらしいんです」

 先生は、心底楽しそうに笑いながら続けた。

「簡単にいいますとね、ヒトがヒトの顔を認識する時、注目するポイントというのがあります。細かいけれど、その顔を『顔』と認識するのに重要なポイントです。あなたは、今回の整形手術によって、自分の顔を『自分の顔』と認識するのに必要なポイントを、ことごとく変えてしまったんでしょう。だから、あなたにとって今の顔は『自分の顔』という意味を喪失してしまった。そういうことです」

「治せるんですか?」

 あたしの必死の言葉に、先生は相変わらず笑いながら答えた。

「微妙なバランスを崩してしまったんです。元には戻らないでしょう。逆に言えば、ヒトの認識なんてその程度に脆いものなんですよ」


 それから一ヶ月。あいかわらず、あたしは今の顔を自分の顔だと思うことはできないが、先生のカウンセリングのおかげもあって、だんだん持ち直してきている。先生はあたしの顔自体には全く興味がないらしく、それが逆に居心地がいい。きみはずいぶんと的確に、自分の顔を嫌っていたみたいだね、とか言ってくれる。確かにそうとしか言いようがない。

 朝。私は服を着替え、化粧をして、鏡の前で笑ってみる。けど、やっぱりそこに映ってるのは他人の顔だった。

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他人の顔 さいとし @Cythocy

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