第2話

 戦国時代、千葉県のあたりには里見氏という戦国大名が実在していた。近隣の敵に攻められて苦戦していたときに、里見家の当主だった義実が仏に祈りを捧げた。祈りを終えると、義実が使っていた数珠がはじけた。飛び散った玉を拾い集めると、本来は一〇八個あるはずの玉のうち、仁義八行の玉と呼ばれる仁・義・忠・孝・悌・礼・智・信の文字が書かれた八つ玉だけが見つからなかった。

 仏の力が宿った玉は領内をさまよって八人の勇士を選び、勇士たちは玉に導かれて里見家に集結した。勇士たちの活躍で敵を退けた後、義実は八人を八賢士と呼んで重用し、里見家は栄えた。

 義実の孫である義堯の代に、関東一円を支配していた北条氏との争いが激化。八賢士たちの子孫は、里見家を守るために祖先同様の活躍を見せた。

 義実の曾孫にあたる義弘の時代に、現在の千葉県市川市にある国府台で北条氏との激しい合戦が行われた。この合戦では里見氏が大敗北を喫している。この際、北条氏を勝利に導いたのが、北条六勇士と呼ばれる者たちであった。

 以来、合戦のたびに里見八賢士と北条六勇士は武を競い、互角の戦いを繰り広げた。国府台合戦の三年後に千葉県富津市のあたりで戦われた三船山合戦では里見氏が勝利して、北条氏を押し返している。

 以来、ことあるごとに里見氏と北条氏、いや、八賢士と六勇士は、激しい戦いを繰り広げてきた。江戸時代に里見氏が改易されてからも、北条氏との暗闘は常に行われていた。

 八賢士も六勇士も、脈々とその血を受け継ぎ、現代になってもまだ戦いを続けている。

 八賢士は江戸時代の作家・曲亭馬琴によって「八犬士」と書きかえられ、世に知られる存在となった。

「その八賢士の一人である犬江仁の末裔が、君だ」

 説明を終えた大塚は、にこやかに笑った。

「意味わかんねー」

「君の持つ宝珠が、その証明だ。君が望むと望まざるとにかかわらず、君はもう選ばれたのだよ。第二十八代の犬江仁に」

「信じられない」

「信じたほうがいいぞ。宝珠から百メートル以上離れると、身近な場所に姿を現す。もう経験したんじゃないか?」

 仁は、ベッドの上の玉を見た。

「選ばれたというより、付きまとわれている感じ」

「そうだな」

「でも、そんなの、無視して手を出さなければいい」

 仁が言うと、大塚は冷たい笑みを浮かべた。

「同じことを考えた奴は、過去にもいた。でも、そいつがどんな目にあったかを考えると、あまりお勧めはできないな」

「何があった?」

「一定期間宝珠に触れていないと、宝珠のほうから接触してくる。最初はやさしく、やがて強く。宝珠にぶち当たられて頭蓋骨陥没になったやつを、俺は知ってるよ。そいつは今も病院で植物状態だ。先代の犬江仁なんだがね」

 仁は絶句した。その表情を見て、大塚はさらに笑みを広げた。

「使い物にならなくなった先代を、宝珠は見捨てた。かわりに選ばれたのが君だよ、少年」

「選ばれたというよりは、とり憑かれたみたいだな」

「うまいこと言う。実態は、そうだ。我々は六百年近く前に始まって今も続いている戦いに、むりやり徴兵されたのだ」

「戦いって、あんたはあんまりケンカが強くなさそうだけど」

 仁は大塚のせり出した下腹を見ながら言った。

「ケンカ? そんな野蛮なことはしないよ。今は平成だ。戦国時代じゃない。もっと洗練された戦い方がある」

 にんまりと大塚は笑う。

「洗練された戦い?」

「そう、ジャンケンだ」

 仁は再び絶句した。先ほどは植物人間という重たい話が原因だったが、今度は心底あきれたのである。

「何百年も、バカみたいにジャンケンを?」

「バカみたいに、ではないし、何百年も、でもない。決戦種目が洗練されてジャンケンになったのは、昭和五十年代以降だという話だ」

「付き合ってらんねー……」

 ぼやく仁の肩を、大塚が笑いながらたたく。

「そういうな、少年。勝てば、褒賞は思いのままだ」

「褒賞?」

「そう。完全勝利、すなわち、里見八賢士から選抜された五人と北条六勇士から選抜された五人が一対一で勝負をして全勝できれば、勝者が総額一億ドルとも言われる褒賞金を山分けにできる」

「金のためにやってんの? つーか、それ以前にドルって。日本で昔からやってるものなのに、なぜドル?」

「細かいことは気にするな。円だろうがドルだろうが、大切なのはその価値だ。名誉だけでは、人は生きてはいけない」

 大塚の言葉に、疑わしそうな目を向けた仁だったが、この異常な状況を受け入れつつある自分自身に気付いていた。

 不思議な話だが、玉は実際に存在している。

 しかし、六百年も続く戦いがジャンケンで決着をつけられようとしているのが、なんとも間抜けな話だ。

「種目は、ジャンケンから別なものに変更できるの?」

「双方が合意すれば」

「じゃあ、変えようよ。種目は……」

 五人ずつ選抜されて勝負する、という大塚の言葉を聞いた瞬間から、仁には思いついた種目があったのである。

「フットサル」

「ふっと去る?」

 大塚は理解できない様子でおうむ返しに言うと、首をかしげた。

 フットサルは、五人対五人で行うミニサッカーのようなものである。通常のサッカーのように激しい接触プレーがなく、女性や子供でも楽しめるスポーツとして人気が出てきている。競技人口も増えて、テニスコートだった場所を改装してフットサル場として利用する施設も増えていた。

「ほう。サッカーの亜流で、そんな種目があったのか」

「昔から、実際に戦争をするかわりに、スポーツで決着をつけることがあったというし、バカみたいに延々とジャンケンするよりは、こういう勝ち負けのはっきりしたものでスパっと勝負を決めることは重要だと思うんだけど」

 大塚は少し考え込んだが、やがて顔を上げて仁を見た。

「協議する必要がある。まずは八賢士全員を招集して、われらの中で意見を統一しなければならない。次に、六勇士にも伝えて、了解を得なければならない」

「面倒なんだな」

「何事も、複数の人間が関わっている以上は、勝手には決められないのだよ」

「どうでもいいけど。じゃあ、そういうことで」

 仁は、大塚の体をベランダに押し出すと、窓とカーテンを閉めた。

「おーい。そんなに急に締め出すことはないだろ」

「早く帰ったほうがいいんじゃない? 通報とかされたら、困るでしょ」

「あ、いや、まあ、そうなんだけど……」

 仁は窓とカーテンの向こうから聞こえてくる大塚の声を意識の外に締め出して、『南総里見八犬伝』を開いた。


 その後、なかなか大塚からの再度の接触はなかった。

 大塚の話が夢だったのではないかと思うこともあったが、乳白色の不思議な玉は間違いなく存在していたので、疑う余地はなかった。

 玉は家に置いて出かけると行く先の路上に必ず出現するので、あきらめてカバンに入れて持ち歩くことにした。カバンが膨らむのは格好悪くて仁はイヤだったのだが、頭蓋骨陥没で植物状態になるよりはマシだと割り切って考えた。

 授業と部活だけの毎日を繰り返すうちに、すぐに練習試合の日になった。相手は千葉県内の無名校のサッカー部である。

 今日こそ勝てる、と思って気合の入っていた仁だったが、西沢監督が発表したスタメンにはキャプテンの山中をはじめとした、主力選手の名前がなかった。

「相手は格下だからね、主力は温存していく。途中、いつでも行けるように、アップだけは忘れるなよ」

 ここのところ負け続きなのに、格下も何もあったものじゃない、と思ったが、仁は黙っていらだちを飲み込んだ。

「入江、今日はいつにもまして守備が不安だ。最後は任せたぞ」

 仁の背中を叩いたのは、スタメンをはずれたキャプテンの山中だった。普段は山中が腕に巻いているキャプテンマークは、前に仁と殴り合いをした大岡が腕に巻いていた。

「先輩はくやしくないんすか?」

「くやしいさ。でも、監督が決めたことは、絶対だ。監督の意に反して出場することはできないからな」

「そうですけど……」

 山中は微笑むと、仁の髪をくしゃくしゃっとかき回した。

「監督は、見た目はうすぼんやりしたおっちゃんだけど、俺たちなんかよりもよっぽどサッカーをわかっている。信用していこうじゃないか」

 仁は、うなずくことしかできなかった。

 試合が始まると、すぐに味方がボールを支配した。しかし、敵陣でボールを持つことはできるが、決定的なパスはすべて敵ディフェンダーにはね返される。はね返されたボールはすぐにまた味方が拾うが、決定的なチャンスはまったく作れずにいた。

 仁は出番らしい出番もないまま、時折ベンチに目をやった。西崎監督と山中が、なにやら顔を近づけて話をしている。

 はやく山中に出場してもらって、点を入れてほしかった。

 視線をピッチに戻す。

 敵のフォワードが二人、味方のディフェンダーの近くでうろうろしている。ボールがはね返された瞬間に、パスが出ることを期待して二人の敵フォワードは走り出す。味方ディフェンダーは、二人に完全に遅れをとっている。

 カウンター。

 格下のチームが格上のチームに勝つために使う、よくある作戦である。足の速いフォワードが、味方がボールを奪った瞬間に走り出し、守備陣形が整う前に攻めてくるのだ。もっとも、敵のパスの精度が悪く、ボールはなかなかフォワードには届かない。

 何度目かのカウンターで、精度の高いパスが出た。

 パスは通った、かに見えた。

 しかし、山中のかわりにキャプテンマークを腕に巻いた大岡が体を投げ出し、つま先で辛うじてボールに触れた。

 ルーズボールは結局敵フォワードが拾ったものの、すでに味方の守備体勢は十分だった。集まってきた味方の選手が敵フォワードを囲み、ボールを奪い返した。

「ナイスディフェンス!」

 仁は味方に声をかける。

 敵の鋭い動きに、大岡をはじめとした味方ディフェンスは、よく対応していた。結局、前半はゴールキーパーの仁が活躍する場はなく、終了間際には味方の決定的なパスが通って一点が入った。

 後半。敵は、一対〇の劣勢をはね返すために、圧力を強くしてきた。カウンターが前半にも増して速い。一度は敵のフォワードが飛び出してきて、一対一になった。

 敵フォワードが仁の股間を狙って打ってきたシュートを、仁がはじく。しかし、はじいたボールは、運悪く敵フォワードの前に転がった。

 再度のシュート。

もう一度、指先ではじく。が、ボールは転々と転がり、ゴールに入ってしまった。

 同点。

 それからは、完全に相手のペースになってしまった。敵は攻守の切り替えが早く、しばしばゴールをおびやかす。そのたびに仁は跳び、ボールをはじき、ゴールを死守し続けていた。

 しかし、ボールをはじいた結果、敵にコーナーキックを与えてしまった。コーナーキックからのボールがきわどい場所に上がる。仁がはじき出せそうな位置だったので、声を張り上げた。

「まかせろ!」

 しかし、仁の前でクリアしようとした味方ディフェンダーのヘディングが、ゴールに突き刺さる。

 逆転されてしまった。

 自殺点を入れたのは、大岡である。

 仁は怒りを飲み込み、平静を装って声を上げた。

「まだまだ! まずは一点取りにいこう!」

 味方からも、鼓舞する声が上がる。

 しかし、キックオフで再開した試合は、敵のペースのままだった。何度かきわどい攻撃をしのいだところで、ようやく選手交代がおこなわれた。

 山中が入ってくる。

 とたんに、チームの雰囲気が変わった。山中がボールを持って、敵をかわしながらドリブルで上がっていく。

 うまい。

 山中が、やわらかいタッチでふわりとパスを出した。パスを受けたフォワードがワントラップしてシュートを放つ。敵のディフェンダーに当たって、ボールはピッチの外に出た。

 続くコーナーキックで、味方のヘディングシュートが決まった。自殺点を入れた大岡の得点だった。

 一気に逆転を狙って攻めかかる味方が、山中にボールを集める。山中は鋭いが丁寧なパスを味方に供給し続けて、やがて点が入った。

 逆転である。

 そして、さらに一点。また、一点。

 残りの時間はゴールキーパーの仁が活躍する間もなく、五対二で試合は終了した。山中が一人で試合を変えてしまったと言っていい。

 試合が終了してベンチに戻ると、西崎監督は笑顔で迎えた。

「よくやった! 久しぶりの勝利の味はいいだろう?」

「はい」

 選手たちが口々に答えた。

「でも、キャプテンがいなかったら、負けてました」

 仁がつぶやくように言った。

「そうだ。山中が出場できなかったら、負けていた試合だった。それは憶えておくべきだが、勝ったことも憶えておくべきだ。全員の勝利だ」

 西崎監督が選手たちの背中を叩いてまわる。そして、一人一人に短い言葉でアドバイスをした。

「入江。今日も活躍したな。だが、もう少しコーチングをうまくやるほうがいい。自殺点は、君のコーチングで避けられたかもしれない」

「まかせろ、と言いました。聞かずに飛び込んできたほうが悪いんです」

「いや、大岡は悪くない」

 西崎が切り捨てた。

「どうしてですか」

「おまえは、勘違いをしている。どうしてサッカーはチームでプレーするか、わかってるか? 誰かのミスを、他の誰かがカバーする。そのためのチームなんだ。だから、失点は、チームの責任。チームの失点だ」

 それは何度も言われてきたことだった。

「でも、ミスはミスです。もしも俺がミスしたら、他人のせいにはしません」

「でもおまえのミスをチームメイトがカバーすることだってある」

 西崎の言うことがわからないわけではない。しかし、ミスをした人間がいたら、それは本人が反省して、ミスを減らすように努力しなければいけない。チームの責任だなどと言って、本当の責任の所在をうやむやにしてはいけないはずだ。

 気持ちをうまく言葉にできずに黙っている仁に、西崎は穏やかに言った。

「こう考えてみることだ。君はコーチングしたという。しかし、結果としてコーチングは役に立たなかった。それは、効果的にコーチングできなかった君のほうが悪い、ということでもある」

「そんな……」

「コーチングとは、どうすることだ?」

「指示することです」

「それが間違いのもとだ、入江。おまえは、自分が言いたいことしか考えていない。相手に伝えることを考えろ」

 意味がわからない。

「監督。伝えるには、どうすればいいんですか?」

「聞くことだ」

 さらに意味がわからなくなり、仁は首をかしげた。

「自分の言いたいことだけを一方的に言うやつの言葉を、聞く気になるか? たいがいの人間は、話を聞いてくれる人の話を聞きたくなるもんだ。だから、伝えたいことがあるなら、まず相手の話を聞け。女を口説くときだって、そうだぞ。まず、相手の話をよく聞け。話をよく聞く男は、モテるぞ」

 西崎は笑った。

「監督だって、さっきから言いたいことばかり言ってます」

 仁が言うと、西崎はさらに大きな声をあげて笑った。

「そうだな。だから、女にモテない。今の嫁さんが見つかったのは、奇跡だよ」

 相手にしているのがバカらしくなって、仁はロッカールームに引きあげる。その背中に、西崎の声がかけられる。

「もっと大岡と話をしろ。いいな、入江!」

 ロッカールームに向かう通路では、山中が待っていた。

「おつかれ」

「おつかれさまです」

「不満そうな顔をしてるな」

「そうすか?」

「どうせ、監督にケチをつけられたんだろ?」

「まあ、そうすね」

「いいじゃないか、それくらい。途中まで出場できなかった俺に比べたら、そんなのは小さいことだ」

 仁はため息をついた。

「なんか、言いたいことばかり言ってないで、相手の話を聞けと言われました」

「まあ、そう考えるのは、悪いことじゃない。自分ではできているつもりでも、実際にはうまくできていないことは、たくさんあるからな」

「相手の話を聞けば、女にモテるとも」

 山中は笑った。

「マジで? 監督がそんなこと言ったの? よく言うよ」

「ぜんぜん説得力ないっすよね」

「まあ、いいや。大岡と話してから帰れよ。ゴールキーパーはディフェンダーとのコミュニケーションが大切だからな」

「はい……」

 気が重かったが、仁はロッカールームで大岡に近づいた。大岡は仁にちらりと目をやってから、視線をそらしてつぶやくように言った。

「入江、自殺点のシーンは、悪かった」

「聞こえてなかったんですか?」

「聞こえていた。でも、きわどいと思った。だから、クリアしようとした。俺の判断ミスだった」

「そうですか」

 こういうときにどう反応するのが良いのか仁にはわからず、あいまいに返事をした。

 その仁を、大岡がにらみつけた。

「俺は謝った。次はおまえが謝れ」

「え?」

「おまえは俺を殴った。あのときのことを、謝れ」

「……すみません」

 大岡の迫力に気おされて、仁は思わず謝罪の言葉を口にした。

「本当にすまないと思ってるなら、俺に殴られろ」

「あの時は、お互いに殴りあったじゃないですか」

「おまえのほうが多く俺を殴った」

「そんなムチャな」

「まあ、いい。今日は勘弁してやる。そのかわり、次の試合は完封するぞ。点を入れられたら、俺がお前をぶん殴る。いいな?」

「……はい」

「いい形で最後の練習試合を追えて、インターハイの予選を勝ち進むからな」

 仁は黙って大岡の顔を見た。

「俺は、八千代とか市船とか、強いところと全力でぶつかりたい」

「初戦を突破すれば、八千代とやれますよ。でも、そんな強豪校とやって、走り負けしないでくださいよ」

「うるせー」

 大岡は拳を握って、仁の胸をほどほどに強く叩いた。大岡は、笑った。つられるように、仁も笑った。

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