第十六章 その一 ケラルとミリア
ケラルはゆっくりとレーアに近づき、
「最近、お嬢様はミリア様にそっくりになられました。私はお嬢様を見るたびに、あの方を思い出してしまいます」
レーアは不思議そうな顔で、
「貴方と婚約していたのに、どうしてママはパパと結婚したの?」
ケラルは目を伏せて、
「連邦建国十周年記念式典に、私とミリア様は招待客の一人として出席しました。ミリア様はその時ちょうど二十歳でした。私は二十八歳でまだ若かったため、婚約者を連れて行ったりしたらどうなるのかなどと、少しも考えなかったのです。ミリア様は美しい方でしたから、すぐに注目を集めました。そして彼女は、ザンバースにも目を留められたのです」
レーアはそこまで聞いて、大体その後の展開を察した。ケラルはレーアを見た。そして、
「ザンバースは私を全く無視して、ミリア様にダンスのパートナーになってくれるように言いました。しかし私にはそれが命令に見えました。ザンバースは半ば強引にミリア様を引っ張って行き、ダンスを始めたのです。二人が何曲踊ったかなど全く覚えていない程、私は呆然としたままでした」
レーアは椅子に戻って、
「そういう事だったの。それで、ママとパパは?」
「はい。どうやらミリア様は、私の命と引き換えにザンバースとの結婚を承諾なさったようでした。直接聞いた訳ではないので、確かな事はわかりませんが……」
ケラルがこんな悲しそうな顔をするのを初めて見た。レーアはそう思った。ケラルに感情なんてない、と思っていた程だ。
「ミリア様にとって、悲しい日々が始まったのは、それから間もなくの事でした。あの方はザンバースと結婚させられた上、邸から出る事を厳禁されたのです。ミリア様は、毎日泣いて暮らしたそうです」
ケラルの目が潤んでいるのにレーアは気づいた。
「そして、二年が過ぎました。私は容貌をすっかり変えて、ザンバース邸に執事として住み込み、あの方と再会しました。私の変身は見事に成功しました。あの方でさえ、私と気づかなかったのですから。もちろん、私と一度しか会っていないザンバースが、私の事を覚えているはずもありませんでした。私はうまくザンバース邸で別人として振る舞えました」
「あの写真は、邸に来てから撮ったものなのね?」
レーアが尋ねた。ケラルは苦笑いして、
「ええ。正体を隠したまま、ミリア様にお願いしました」
レーアは微笑んだ。ケラルは続ける。
「しかし、ある日衝撃的な事が起こりました」
レーアはギクッとして、
「な、何が起こったの?」
ケラルは気まずそうな顔をして、
「お嬢様にとっては衝撃的てはありません。ミリア様が妊娠されたのです。私はショックを受けました。私の最愛の人が、私からその人を奪った男の子供を身ごもるなんて……。身も張り裂けんばかりでした」
レーアは複雑な心境でケラルを見た。ケラルは自嘲気味に、
「こんな事を、ご本人を前にして話すなんて、私もどうかしていますね」
「いいのよ、ケラル。続けて」
レーアは先が知りたかった。ミリアは病気で死んだと聞かさせていたが、どうやらそれも怪しくなって来たからだ。
「わかりました。ミリア様は、私の正体を遂に知って、子供を堕胎すると言い出しました。あの方は私への思いからそう仰ったのでしょうが、私は止めました。少なくとも貴女の子供を殺す事には賛成できないと。確かに生まれて来る子供の父親は、憎んでもあまりある男でしたが、子供に罪はないのですからね」
ケラルは、私には衝撃的ではないと言ったけど、とんでもない。こんなに胸が痛んだのは初めて。レーアは心の中でそう思った。彼女は作り笑いをして、
「貴方は私の命の恩人だったのね」
ケラルは潤んでいる目を拭いて、
「はァ……。そういう事になりますか……。そして、ミリア様はお嬢様をご出産なさいました。あの方は元々お身体が丈夫な方ではありませんでしたし、ザンバースが外へ出る事を厳禁したために、身体が非常に虚弱になってしまいました。産後の肥立ちも悪く、あの方はまもなく入院され、病院で息を引き取られました」
レーアは思わず涙を流していた。ケラルの目からも涙がこぼれる。ディバートとリームは、息を殺して話を聞いていた。
「ミリア様は、息を引き取る直前、私にお嬢様を守ってくれと仰いました。私が頷くと、あの方は安心したように微笑み、お亡くなりになったのです。ザンバースはあの方の死を知って、すぐに病院に来ました。私はザンバースが涙を見せたのを初めて見ました。そしてその後、彼が涙を流したのを見た事がありません」
レーアは涙を拭って、
「パパもママを本当に愛していたのね」
ケラルは頷いて、
「私は正直に言って、驚きました。ザンバースがあの方の死を悲しんだ事に。それからザンバースは、しばらく魂の抜け殻のようになってしまいました。エスタルト総裁も、葬儀の時、ザンバースを励ました程です」
レーアは父ザンバースの意外な側面を知った。鬼司令官として知られている彼からは想像もつかなかった。
「私も意外よ。あの鬼司令官と呼ばれた人からは、そんな姿、想像もつかない……」
「私の考えでは、ザンバースの人が変わったのは、ミリア様が亡くなってからではないかと。ミリア様がご存命の頃は、エスタルト総裁と衝突する事はほとんどなく、本当に連邦のために尽くしていました。それが、ミリア様が亡くなってから一ヶ月程で、ザンバースは豹変していました。彼は常にエスタルト総裁と衝突し、警備隊の予算は絶対に要求通り認めさせるようになっていました。実際当時は、旧帝国軍の暴虐ぶりは目に余るものがあったので、彼の意見は誤りではありませんでしたが」
レーアはザンバースの過去を知り、哀れんだ。
(パパも結局は、愛情に飢えていたのね……。それを怒りで発散しようとして……)
ケラルはフッと笑って、
「しかし、今のザンバースは違います。彼は事実上の最高権力者です。権力を握った人間がどうなるかは、古今関係なく、普遍的です。あのエスタルト総裁ですら、自分が権力者だと思うとつい恐ろしい事を考えてしまうし、やりたいことができると思ってしまう、と仰った程ですから」
「……?」
レーアは、わからない、という顔でケラルを見た。ケラルは、
「ザンバースは権力の魔力に魅入られ始めています。権力者は、必ずと言っていい程、人間不信に陥るものです。閣僚会議室爆破事件は、その現れだと思います」
「……」
レーアはあの時の衝撃を思い出した。閣僚会議室から爆風が吹き出した瞬間を。そして、ザンバースが平然として記者に答えていた様子を。彼女はハッとして、
「貴方は母に頼まれて、組織を作ったの?」
ケラルはレーアの質問に首を横に振り、
「いえ、そうではありません。組織を作ったのは、私の意志です。ザンバースがいつかはこうするだろうと思い、作ったのです。こんな勘は当たって欲しくないのですが、その通りになってしまいました」
と答えた。
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