第十章 その二 バジョット・バンジー

 ザンバースの私邸では、レーアのお目付役であった婆やがオロオロしていた。

「何て事でしょう、お嬢様がご乱心遊ばされたなどという記事が掲載されてしまって……」

 婆やがあまりにも慌てているので、執事であるケラル・ドックストンは彼女を宥めた。

「心配しなくても大丈夫ですよ。ソーラータイムズも、焼きが回ったのでしょう」

 婆やはそれでも、

「でもドックストンさん、これだけ堂々と記事にされては、例え真実だとしても、レーアお嬢様がお気の毒です」

「ええ。ですが、お嬢様が連邦ビルの医務室から姿を消されたのは紛れもない事実なのですよ、残念ながら」

 ケラルはあくまで冷静だ。

「それはそうですけれど……」

 婆やはそれでも不安を隠し切れない。ケラルは婆やの肩に手を乗せて、

「私は信じていますよ、お嬢様の事を」

「私も勿論、お嬢様の事を信じています」

 二人は新聞の記事に目を落とした。


 翌日の事である。

 バジョット・バンジーはソーラータイムズの会長であるギャムリー・コーリンに呼ばれ、会長室を訪れていた。彼ほどの記者でも、会長室に入るのは初めてである。

「よく来たな。まァ、座れ」

 ギャムリーはバンジーにソファを勧めた。バンジーは腰を下ろして、

「会長、一体何のご用でしょうか? 部長からは何も聞かされていないのですが?」

 しかし、ギャムリーはニヤリとして、それには答えず、

「レーア嬢の事は、確か君が書いたのだね?」

「ええ、そうです。それが何か?」

 バンジーは怪訝そうな顔でギャムリーを見た。ギャムリーはバンジーの向かいに座り、

「昨夜遅く、連邦警察署長のミッテルム・ラード氏から電話があってね。ザンバース総裁代理が、君を名誉毀損で訴えたと言って来たのだ」

「何ですって!?」

 バンジーは思わず身を乗り出した。ギャムリーは当たり前だという顔で、

「君はどうするね? 事実だという事が証明できないと、有罪になるよ。となると、我が社を辞めてもらう事になる」

 バンジーはギャムリーを見たままで、

「しかし、会長、レーア・ダスガーバンが正気でないのは、百パーセント確実なんです。有罪なんて事はあり得ません!」

と言い切った。

「ならば、それを法廷で証明する事だ。君を今日付けで解雇する。もちろん、退職金は保留、解雇手当はなしだ。無罪が確定したら、それまでの給与に十パーセントプラスして、支払う事にする」

 ギャムリーの話は、一方的だった。バンジーはギャムリーに失望していた。

(結局、この人も、権力に屈したのか?)

「わかりました。いいでしょう。必ず勝ってみせますよ。私も記者の端くれです。嘘の記事を書いた事がはっきりしたら、給与は一切頂きません」

「そうか。その言葉に偽りはないな?」

 ギャムリーが鋭い目でバンジーを睨む。バンジーもギャムリーを睨み返し、

「ありません。私も男です。男の貴方に断言した以上、必ず約束は守ります」

 するとギャムリーは頷いて、メモ用紙に走り書きをした。そしてそれをバンジーに見せた。それには、

「この部屋は盗聴されている。だから何も言わずに私の書く事だけを心の中に刻んでくれ」

とあった。バンジーは黙って頷いた。ギャムリーは更にメモ用紙に書く。

「君の解雇はカムフラージュだ。ザンバースのやろうとしている事を探るために、連邦内の動向を観察して欲しい」

 ギャムリーは目でバンジーに尋ねる。バンジーも目で応じた。そして、

「わかりました。やってみます」

とメモ用紙に書いた。そして、

「失礼します」

と言い、会長室を出た。


 ザンバースは、連邦ビルの端にある連邦警察署に出向いていた。彼は署長室で、バジョット・バンジーの解雇通知のコピーと、彼の逮捕状を眺めていた。それを横でミッテルムが見ている。

「ミッテルム、バンジーが解雇されて逮捕されたとなれば、メディアが騒ぐのは必然だ。記者会見を開いて、レーアに対する名誉毀損だとはっきり言ってやれ。連中もそれで黙るはずだ」

「はっ」

 ザンバースはコピーを机の上に置き、

「それより、レーアの行方はまだわからんのか?」

「はい、まだです。主要駅、店舗、ありとあらゆる場所に警官と警備隊員を派遣致しましたが、未だに手がかりが掴めません」

 ミッテルムはオドオドして答えた。ザンバースは窓の外を見て、

「妙だな。レーアは急進派の連中のアジトを知らんはずだ。となれば、連中のところに行けはしない。ところが、実際には姿を消してしまっている」

「はい。全くもって不可解です。急進派の連中が、お嬢様を拉致したのでしょうか?」

 ミッテルムが言うと、ザンバースは振り向いて、

「それは万に一つも考えられないな。連中は私が弾圧を徹底させる事を何かで知って、アイデアルから逃げ出したほどだ。外に出てレーアを連れ去る度胸などありはしない」

 ミッテルムは頷くだけで、何も言わなかった。

「それより、連中の居場所はわかっているのか?」

「はい。シャトールです。あの町は、住民の大半が急進派でして、警備隊も少人数では入れないほどです」

 ザンバースはニヤリとして、

「そうか。奴らが劣勢のうちは放っておけ。我々にはそれ以上に大事な計画がある」

「それ以上に大事な計画、ですか?」

 ミッテルムは自分の知らないところで何かが進められている事に気づき、不安になった。

「そうだ。まだ誰にも話してはいない。いずれ時が来たら、お前にも話す」

 ザンバースはそう言うとドアに近づいた。ミッテルムはハッとして、

「お帰りですか?」

「うむ。しっかり頼むぞ」

「はっ!」

 ザンバースは署長室を出て行った。ミッテルムはホッと溜息を吐いた。彼ほどの地位の者でも、ザンバースと二人きりになると死ぬほど緊張するのだ。

(大帝は誰も信用していないのか?)

 ミッテルムは、ザンバースに不審感ではなく、恐怖心を覚えた。

「大事な計画とは何だろう? 旧帝国軍との馴れ合いの事でもなさそうだし……」

 彼はすっかり混乱していた。


 その頃レーアは、クラリアの部屋のシャワーを浴び、上半身裸でソファに横になって、音楽を聴いていた。クラリアは高校に行っている。レーアも行きたかったのだが、ミタルアムに止められたのだ。

「あーあ、つまんないなあ」

 レーアは脚をバタバタさせて大声で言った。

「只今、レーア……」

 クラリアはそう言って部屋に入って来たが、親友のとんでもない姿に固まってしまった。

「ああ、お帰りなさい、クラリア。寂しかったあ!」

 レーアは飛び起きて、クラリアに抱きついた。

「もう、レーアったら! いくら誰も入って来ないからって、そんな格好で! 服くらいきちんと着なさいよ」

「はいはい」

 クラリアってば、真面目なんだから、とレーアは思いながら、クラリアの見立てで買って来てもらった服を着た。

「みんな、元気なの?」

 もう何日も高校に行っていないレーアは、友達の近況が知りたくて仕方がなかった。

「ええ、みんな元気よ。そして、みんな貴女の事を心配してるわ」

「そっか……」

 レーアはしんみりしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る