第三章⑦
先攻めの『錦守ハイランダーズ』の一番打者、光琳(こうりん)が打席に入る。相手選手はSレア二人を除き、全体的に小粒な選手が目立つ。単純なステータスなら陽目側のレア選手の方が確実に上だろう。しかし、彼らは多分雨に強い選手を優先的に起用している。こちらのエース九頭竜坂も、雨の影響により球速と制球力が一段階ずつ低下していた。逆に敵チームの大半にはそのデメリットが表れない。
こうしている今も、鬱陶しそうに雨粒を拭っている九頭竜坂に対し、陽目はピッチングに集中するよう指示を出す。彼女はベンチにいる監督に目を遣り、コクリと小さく頷いた。
(とりあえずストライク先行でいこう。いくら九頭竜坂のステータスが低下しているからといって、並みのレア野手なんて相手にならない。なるべく無駄な球数を抑えていきたい)
山郷は真ん中にミットを構える。バットに当たった程度で、お前のボールが易々と内野の頭を越えるわけがないと、行動を以て示してみせる。
上等だ――そんな口の動き方をした彼女は、ゆっくりと振りかぶり第一球を投じた。
ズバンッ! と、傍目には衰えていないように映るであろう剛速球が、ミットから派手な音を引き出す。真ん中よりやや低めに決まりストライク。この程度のズレか、と逐一確認して投げていく。
結局、一番を三球三振に仕留めた九頭竜坂が次に対するのは、二番雨傘(あまがさ)である。その少年がバッターボックスに入り――思わず息を呑んだ。それもそのはず、その打者は身長一四〇程度の小柄な少年であったからだ。
小学生と見間違うほどの小柄なバッター。――当然、それに合わせてストライクゾーンも小さくなる。ただでさえ制球力が低下している彼女にとって、強打者以上に相手にしたくないバッターであった。
異常な体格に加えて、この少年は雨に対する抵抗スキルを持っている。大したステータスの低下が見られないからだった。レアの中で、おそらく雨デッキの代表格に当たる選手だろう。
必要以上にストライクゾーンを意識してしまった九頭竜坂は、雨傘を四球で歩かせてしまった。そして、一死ランナー一塁の場面で――因縁ある近衛一本が打席に立った。
九頭竜坂の表情が一層険しいものとなる。前回対戦で完敗に終わった雪辱のはずが、まさかこんな形で再戦することになるとは、予想だにしていなかったのだ。彼女の胸中は複雑だろうが、近衛は違う。彼は大名寺から所有権が錦守アキラに移譲してしまったので、その当時の記憶はない。男からすれば一方的な因縁としか思わないだろう。
九頭竜坂は歯痒そうに顎に力を入れる。その力を、ピッチングへと昇華させてぶつけてやろうと意識転換する。
その初球。球速はステータス上落ちているはずにもかかわらず、一五二キロを計測した。先取点をやりたくない陽目たちは、全力でそれを阻止しにかかる。その表れか、二球目も一五〇キロを超えてみせる。僅か二球で追い込むことに成功した彼女は、速いテンポで第三球を投げた――――
――カキン! と近衛の飛ばした打球はライト前に落ちる。その打球が緩いと判断した一塁走者・雨傘が一気に三塁を陥れる。
早々に一死一、三塁のピンチを迎える陽目たち。ここで回ってくるのは四番『風神』――シルヴィア・アレクサンドラである。
外野フライでもタッチアップで一点の可能性がある場面、最高の結果は当然三振、次点で内野フライや内野ゴロ、浅い外野フライで打ち取ることだ。そのためなら、低めを丹念に攻めて高めには投じないことがセオリーとなる。あくまで三振を狙うなら話は変わるが。
しかし、九頭竜坂にはそれを遂行するための技量が不足している。ただでさえ雨によりステータス以上に制球が困難だというのに、精密さを要求される投球は極めて難しい。今できることは、圧倒的な球威で敵をねじ伏せることだけだ。
意識を整理して、自分の為すべきことを明確化する。そうして『風神』と対面しようとして――またもや驚愕させられた。
彼女の打撃フォームが、投球のそれと同様にさも竜巻をイメージしている風だったからである。左打席に立った『風神』は右肩をグイッと内に捻り――それこそ背番号を見せつけるくらいにまで捻る。右肩越しに相対する投手を睨み付けるが、あれではボールが見えづらい上にスイングの際顔がブレてしまうのではないか、と敵ながら勘繰ってしまう。
陽目は研究時に確認しているので驚きこそしなかったが、彼女はあのフォームで大名寺の二番手投手からホームランを放っているのだ。決して侮れる相手ではない。
――そして、『風神』が打席に立ったことで、先刻までライト方向へ吹いていた風の向きが彼女の意思に従い変化する。ライトからバックスクリーンへ。投手からしてみれば向かい風だ。なるほど、左打者ならライト方向への風は有利に働くが、後者の風向きだと九頭竜坂の直球の球速を僅かながらも減速させられるのか。おまけにホームランも狙える風だ。
「――はっ。こんな小細工を弄して、俺の直球が緩くなるとでも思ってんのかよ」
その対抗策を身に浴びてなお、九頭竜坂は一笑に付してみせる。自分のストレートに対する絶対的な自信の表れ。
宣言通り、セットポジションから何一つ衰えを見せない剛速球が外角低めに決まる。スピードガンには一五一キロと表示されている。続く二球目も、内角を抉るようなボールに対し完全に振り遅れた打球は三塁側スタンドへと飛び込む。これでカウント〇‐二、無駄球なしでシルヴィアを追い込んだ。
ピンチかつ相手が強打者ということもあり、さすがに一球高めに大きく外して様子を見ようと山郷は中腰になって高めに構える。九頭竜坂もそれに頷き、第三球目を投げ――――
「――――――――っ!?」
隙のない配球は、思いもよらぬことで乱れた。――濡れた指先でボールが滑ってしまったのだ。咄嗟にこのままではキャッチャーを飛び越えて暴投になると直感した彼女は、強引に指先に力を集め、地面にたたきつけるくらいのイメージでリリースを調整する。
――だが、神の悪戯はそれだけに留まらなかった。とにかく低めに投げようと奮闘したボールが、あろうことか真ん中に入ってしまったのである。――当然の如く、そんな投手の心情を知らない打者は、失投だとほくそ笑んでそれを弾き飛ばした。
ゴオッ! と『風神』がスイングした瞬間、強風が九頭竜坂の帽子を後方へ吹き飛ばす。そんなことには目もくれずに、投手はその打球の行方を追った。
センター方向へと飛んだ打球は、風にも乗りワンバウンドでフェンスにぶつかる長打となって、まず悠々とサードランナーがホームへ帰ってくる。一塁ランナー・近衛も俊足を飛ばして一気にホームへと帰ってこようとする。
守備陣の賢明な連携も及ばず、中継のショートにボールが回った時にはすでに近衛がホームへ滑り込む直前だった。間に合わないと判断した沫住は自分のところでボールを止め、二塁ベース上のバッターランナーを牽制する。
――二‐〇.大名寺との対戦と同じく、初回に失点してしまう。それも実力負けではなく、雨が影響した失投によるもので。
九頭竜坂のメンタルが崩れないかと心配になったものの、それはどうやら杞憂だったようで後続の二人を計四球で打ち取って一回の表が終わる。
ベンチへ戻ってきた九頭竜坂にタオルを手渡し、濡れたアンダーシャツを着替えるように指示する。濡れた髪をガシガシと乱暴に乾かせながら、彼女はポツリと漏らす。
「……すまねえ。あれだけ啖呵切ってたのに、結局抑えられなかった…………ッ!」
「あれは事故だ。気にすることはない」
「――よっしゃ解った。もう気にしねえわ」
「立ち直り早いな。良いことだ」
ははは、と彼女は豪快に笑いつつも、綴町の用意したアンダーシャツに着替えるためにベンチ裏へと消えていった。それを尻目に、陽目はマウンドに上がる『風神』に目をやり、独り決意を口にする。
「――さあ、怪物退治だ」
一回裏、一番小動が打席に入る。
陽目は『風神』攻略のための一手として、運営から借りたピッチングマシンでバッティング練習を積んできた。一四五キロのストレートと、緩いカーブ、それから落ちる縦スライダー。どれも『風神』の球種を登録したマシンである。
実物とは異なっているだろうが、目を慣らすという意図もあって一日三時間は打ち込みに費やした。少しでも効果が望めることなら大抵やった。――一応、雨中での守備練習もしてきたのだ。そこまで重点的に、というわけではなかったけれど。
その効果がどこまで現れるか――――それが試される第一球、『風神』はストレートから入ってきた。風を利用した速球は、一四四キロを叩き出す。
(さっきの向かい風とは違って、今度は追い風か……。映像では解らなかったけど、大方予想通りの使い方だな。ホームベース向きの風なら、球速は増すし何よりホームランが出にくくなる。……こうして実体験してみると、本当に厄介だな)
どうりで外野が定位置よりも若干前に守っているわけだ、と独り納得する陽目。
二球目のカーブは低めに外れてボール、カウントは一‐一となる。この二球を経て、彼はさらに脳内を活発化させていく。
(ストレートはマシンより少しだけ速く感じるな。カーブも練習より良く落ちるみたいだけど――うん、充分に修正可能な範囲内だ)
あとはスライダーさえ確認できれば、『風神』攻略も現実味を帯びてくる。大名寺も前情報さえ持っていれば、あの『昇格戦』も負けることはなかっただろう。
三球目、アウトコースに入ってきた直球を思い切り叩くも、結果は痛烈なショートライナーに終わる。バットの芯で捉えたものの、飛んだコースが悪かったらしい。
続く打者も四球目のカーブを打たされツーアウト。ここまでスライダーは一球も投げられていない。――いや、そう易々と持ち球全てを晒すような行為をしたくないのか。全てを見られてしまえば、あとはリードを含めた実力勝負になることを恐れているのか、と。
どちらにせよ、空振りを奪う決め球を温存するというなら好都合である。三番打者オーヴィスはそう考え、初球のやや高めに浮いたボールを強振する――と、それがベース手前に来て急降下した。
ブン、と大きくなったスイングはあえなく空を切る。中途半端な甘い球に釣られてしまったのだ。陽目もまさか初回に全ての球種を投げるとは、あまり想像してなかったのである。
(それに今の縦スラ……マシンとは雲泥の差だ。キレが違い過ぎる。あれを決め球に使われるのはマズイな)
そう考えた彼は次の二球目も手を出すが、その思惑を見透かしたように縦スライダーを投じてくる。一球高めの釣り球を見逃し、カウント一‐二になった陽目は迷っていた。
まさかストライク全部に縦スライダーを投げてくるはずがないと思う一方で、しかし先ほどの釣り球は落ちるスライダーを活かすためのものだとも思えてしまう。
――そう深読みさせることこそが、錦守アキラの術中だったのか。
四球目も縦スライダーを使われたオーヴィスは、半端なスイングになってしまい空振り三振に終わる。
初回の攻防を通じて、陽目の胸中に去来するのは一つの予感だった。
(これは、厳しい戦いになりそうだな――――)
振り続ける雨は未だ、衰える兆しを見せない。
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