第二章⑥

 二人が特訓を開始して十日後、彼らは練習試合用に借りた球場で待機していた。正確に言えばグラウンド内ではなく、バックネット側にある控室のような場所で、だが。

 そもそも、そこから見えるはずのグラウンドは真っ白な空間のままで、マウンドも外野フェンスもない。全てが空白の状態。唯一あるのは彼らがいる扇形の支点となる部屋のみだ。

 待ち合わせの三十分前に着いた陽目は、ブツブツと呪詛のように呟きを連続させている。

「一番二番は良いとして三番を誰にしようか打力順で言えば九頭竜坂オーヴィスの並びだけどこの場合最大火力のオーヴィスが歩かされる可能性があるならここは三番最強打者説を取ってオーヴィスをそこに据えるべきかいやでも九頭竜坂も巧打力は低いけど筋力値が高いから無駄にしたくないしああまだ六番以降も確定してない上位に中心打者ばかり置くと下位が手薄で得点が期待できなくなるからそうなると敵も楽に試合を運べるようになってしまうしああもうどうしたらいいんだ解らない解らないよ」

「ちょっとマスター落ち着いてください。大名寺さんが見えましたよ」

 綴町に肩を揺すられたことでようやく集中状態から脱却した彼は、コツコツと音を鳴らして通路を歩いてくる大名寺蓮華の姿を見つけた。彼女はヒラヒラと手を振って一度時計を確認する。

「あっれぇー? まだ十分前なのに何かここに長時間居座っているような雰囲気出してる気がするんだけど気のせいかな?」

「気のせいではありませんよ大名寺さん。うちのマスターがお恥ずかしいところを見せてしまい申し訳ありません」

 君は自分のオカンか、と突っ込むと「私はそんな歳じゃありません!」と怒鳴られるので遠慮しておいた。失礼なことに、大名寺という同意者が現れて嬉しいのか、綴町はうんうんと深く頷いている。

 大名寺は陽目に世間話のような感覚で話しかけてきた。

「で、どーよ調子は? ベストの状態で今立っているの?」

「……常に自分なりのベストを尽くすように頑張ってますし、それは今回も変わりません」

「ふーん。その言いぶりだと、もうメンバー表の登録は終わってんだね?」

「いやまだですちょっと待ってください」

 試合前に行うスタメン登録は、その試合に出場する九人の選手を選ぶというものだ。時折DH――打撃専門で、守備には就かない選手――の有無もあるが、それは登録前に告知されるので問題はない。今回の場合は大名寺と二人で示し合わせ、DHはなしということになった。まあ、陽目にとっては九頭竜坂の長打力も捨てがたいので、どっちみちDHは使用しなかったろうが。

 とにかく相手を待たせるのも失礼に当たる。彼はやや急ぎ足でいくつか候補として挙げていたスタメンから、最も納得のいくそれを選び出し『運営』――試合の一切を管理する神々で構成される機関――に提出する。後は球場決めを行い、少しの練習時間が設けられたのちに試合開始となる。

 どうやら大名寺も提出し終えたようで、ザザッと擦れるような音が響きアナウンスが為される。

『両監督共、スターティングメンバ―の登録が完了しました。次にお二方は球場決めを行ってください』

 球場決めとは、文字通りその試合を行う球場の概要を決定することである。決める項目は『天候』『ドームの有無』『立地』『昼夜どちらか』『球場の広さ』などがある。練習試合の場合は大抵不利有利がわだかまりとならないよう、ランダムで選ばれるのが常識だ。二人もそれに倣い、少し言葉を交わしただけで『ランダム』を選択する。

 すると、またもや機械的な音声がどこからともなく響き渡る。

『――完了しました。それでは一分後に、お互いのベンチへの転送を開始します』

 事務的に話を進めたアナウンスはそれを境に途切れ、二人は改めて顔を見合わせる。――現在、この場に立っているのは友人関係の陽目葵と大名寺蓮華ではない。彼・彼女は、『監督』として言葉を交わす。

 口火を切ったのは先達、大名寺であった。

「じゃあ、お互いにベストを尽くそう」

 好戦的に光る瞳を隠さず、彼女はそう言った。

 対して後輩、陽目はやや言葉を選ぶような間を置いてから答える。

「――ええ。倒させてもらいます」

 彼のその一言を休符として、二人の身体が淡い光に包まれる。――転送が、始まる。

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