第3話
「じゃあ、一発ギャグは?」
その辺の大学生みたいな短い髪をつんつん立てたお笑い芸人が大学生そのものの軽薄そうな笑顔を浮かべたまま質問をしてきて、
そのあまりに露骨な表情に芸人は一瞬真顔に戻りかけたが、すぐに生放送中であることを思い出したのかまた軽薄フェイスを貼り付け直して「OK!俺がやろう!」と立ち上がった。空気を察した相方の似たような茶髪メガネがわざとらしい大きい声で笑うと、スタジオにいるごく少数のスタッフもお愛想丸出しの様子で追従して控えめな笑い声を立てる。
そういうプロっぽいだろ俺みたいなところが嫌なんだよ三流芸人。こんなインターネットの生放送番組なんて誰も見てねーっつうの。
下手をすると美優の六畳の部屋より小さいのではないかと思えるほどの狭いスタジオの中央で、彼女は聞いたこともないお笑いコンビと一緒に並んで座り、今まさにインターネット上で生放送中の番組に出演していた。前方の太ったニキビだらけのADがだらしなく掲げたカンペには「美優ちゃんにやってほしいこと:一発ギャグ!」と書いてある。そんなのやるわけない。やったこともない。そもそも芸人ではない。
書き割りだけの安っぽいセット。声の大きさで腕の無さを誤魔化す三流芸人。専門学校の生徒がそのまま任されているのではないかと訝りたくなる進行のくせに、プライドだけは高そうなやけに派手な格好をしたスタッフ。そして、美優。つまり、この場にふさわしいレベルのアイドルだと判定されたわけだ。三流の現場にふさわしい、三流のアイドルとして。
スタジオの奥の方へ視線を動かすとマネージャーのゆみちゃんが泣きそうな顔になってこちらを見ている。ゆみちゃんはもうすぐ三十歳になる女性マネージャーだったが、去年まで保育園の保母さんをしていた変わり種だ。どうしても芸能界への夢を諦められないと一念発起してこの事務所に入ったが、どういうわけだかタレントとしてではなくマネージャーとして採用され、最初に担当となったのが美優だった。ゆみちゃんはとにかくよく泣いた。言うことを聞かないと泣き、少し強く言い返せば泣き、現場のスタッフに怒鳴られて泣き、社長に叱られて泣いた。要するにドMなんだと美優は捉えていた。それくらいゆみちゃんは進歩というものが見られない大人だった。中学三年の美優でさえそれはすぐわかることだった。
事前の台本打ちではこんなくだりはなかったはずだ。確か適当に苦手な食べ物の話をしたら、その食べ物が出てきて頑張って食べておしまい、だった。それが何だ。いきなり「ではここで、美優ちゃんの得意なモノマネがあるそうで」と三流芸人が突然降り出し、美優が「わかんない」と素直に言うと急にスタジオの雰囲気がおかしくなり始めた。そしてさっきの一発ギャグだ。急に言われてできる訳がない。やるメリットもない。
この番組はネットで生中継されてるから、リアルタイムで画面上にコメントが反映されてるはずだ。
あーあ、またどうせ荒れてんだろうな。
美優は自分のすぐ目の前で大汗をかいて全く面白くない一発ギャグを繰り返す自分とさして精神年齢的には変わらなそうな芸人を見ながら、その姿の上に飛び交う画面上のコメントが実際に見えそうに感じた。
ほんの数分程度の出演だったはずだったが、やけに長く感じるその生放送が終わると美優はさっさと控え室に戻って用意されていたお菓子を食べながらスマートフォンの電源を入れた。
「美優ちゃん、ちょっといい?」
いつの間にか近くに来ていたゆみちゃんが低い声で囁いた。思わず美優はむせ返りそうになる。
振り返ると案の定ゆみちゃんが泣き腫らした赤い目でじっとりと美優を見つめていた。
あー、この人のこういうところが嫌なんだよなあ。
美優はゆみちゃんの無意識に自分を低い位置に起き、他人に対して罪悪感や同情を引き出そうとする態度や性格にいちいち苛ついていた。気に入らないならそう言えばいいし、腹が立ったら怒ればいいのだ。どうしてこの人はそうしないのだろう。今日のスタジオでの様子を見れば百人が百人、美優のやる気のなさが原因だとわかるはずなのに。
「何ですか」
それでも美優はわざと敵意を込めた口調で応える。
ゆみちゃんは一瞬怯んだ様に口元をつぐんだが、気合を入れ直すように首を降ると、言った。
「美優ちゃんはどうしてアイドルになったの?」
面倒くさい。面倒くさい方の話になる流れだ。こっちの方向に来たか。美優はうんざりした。具体的にどこがどう駄目だったと言ってくれる方がいい。精神論は一番嫌いだ。
「それは、たくさんの人に笑顔を与えられる素敵な職業だと思ったからです」
美優はオーディションを受ける時のように背筋をまっすぐ伸ばしてはきはきとして声で言った。
「ふざけないで」
ゆみちゃんにしては珍しく少し強い口調だった。ばつが悪くなって美優は口を尖らせる。ゆみちゃんは少し口ごもったが、そのまま言葉を続けた。
「私は、アイドルになりたかった」
初耳だった。美優は目を丸くする。
「でも、子どもも好きだったし保母さんになったのは全然後悔してない。でも、やっぱり一度きりの人生だからやりたいことをやろうと思って、事務所に入った。年齢的にはアイドルになんかになれないから、自分がアイドルを育てられたら嬉しいなと思って、それで美優ちゃんの担当を希望したの。うちの中で一番若いし、最初に会ったとき私に微笑んでくれたでしょう?その時私思ったの。この子は大物になるって」
全然覚えていない。多分無意識だったのだろう。その時はまだマネージャーになると思っていなかったし、知らない大人にはとりあえず笑顔を見せた方がいいだろうくらいには美優も判断できる。
「美優ちゃんはきっと素敵なアイドルになる。私が保証する。けど、もう私はあなたのことを見守ってあげられないの」
え、と美優はその時始めてゆみちゃんと目を合わせた。
「田舎の父親が倒れてね、実家に戻ることになったの。今月いっぱいで事務所も辞める。こんな途中で逃げ出すような形になってしまって本当にごめんなさい」
急なことに美優は言葉を失ったままゆみちゃんの口元だけを見つめていた。
「人生、いつどこでどうなるかわからないね。父親もつい先月まで元気だったんだけど、急に具合が悪くなったみたいで。でも、私短い間だったけどこの世界に入ってよかったと思ってる。だって美優ちゃんみたいな子と一緒に仕事出来たんだもん。保母さんのままだったら、こんな経験絶対出来なかった。ありがとう、美優ちゃん」
そういうとゆみちゃんは勝手に美優を抱きしめてまた泣き始めた。
美優はなすがまま体を預けながら、ああこの人は自分で作った物語に自分を当てはめるのが好きな人だったのだなあと思っていた。確かに以前から自分の思い込みで結構暴走しがちなところがあった。
ゆみちゃんの肩越しに、メイク用の鏡に映る自分の姿が見える。
顔は中の上、くらい。一般人ならかわいい方だが、アイドルとしては正直微妙なところだ。自分でそれはわかっている。頭もそんなによくないし、運動も苦手だし、特技も無い。歌も下手だし、踊りも嫌いだ。何でアイドルになったのか。原宿で友達と歩いていた時に、今の事務所の社長にアイドルにならないかと言われたからだ。なっていいならなろうかなと思っていただけだった。
人生、いつどこでどうなるかわからない。
ゆみちゃんの言葉が美優の頭の中でぐるぐると周り続けていた。
私だって、いつどうなるかわからないよ。
美優は自分を抱きしめたまま泣き続ける自分の倍生きている不器用な女の背中を、そっと撫でてやった。
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