掌の上で蜂が動かなくなった
リュウ
第1話 二人の天才
巨大なキューポラ(出窓)に一人の男が立っていた。
その男の名は『ティト』。
身長一七五センチ、髪は長めのくせ毛で、細身の身体が、神経が細かそうな印象を与える青年だった。
ティトの足元から36○○○キロメートル下に地球がある。ここは、宇宙エレベーターの静止軌道ステーションだ。
更に上空の高軌道ステーションには、多数の宇宙船が停泊していた。
その宇宙船で、人類は第二の地球をめざし旅立つことになっていた。
ティトもその内の一人だった。
ティトは、雲の隙間から僅かに見える地上を見つめていた。
青く綺麗であった地球……。
既にその面影は無かった。
青い地球を取り戻すには、人類が地球から離れ、自然の力に頼るしか方法が無かった。自然学者やアルケミストと土木技術者が地球に残って、回復を加速させようとしていた。
〈どの船に乗るのだろう〉
ティトは、高軌道ステーションを見上げた。
宇宙船への乗員は、乗員の能力が同じようになるように調整され割り振られる。
ティトは、どの船に乗るかは、自分が決めることではないので、こんなことで悩むのは無駄なことだと、考えることをやめて、自分の部屋に向かった。
今日は、研究仲間のオーウェンと会う約束をしていた。
ティトとオーウェンは、周りから天才と呼ばれていた。勿論、多種多様なテストの結果や研究論文の評価の結果だった。この二人の天才は、珍しく気が合い、仲が良かった。そして、二人は、人工知能の共同開発を行う約束をしていた。
ティトが自分の部屋に入ろうとした時、誰かに後ろから押された。
振り向くと、黒い長めのカーリーヘアーで、黒縁のプラスティックの眼鏡をかけたヒョロヒョロな男が立っていた。
オーウェンだった。
二人は、いやぁと片手を上げ挨拶すると、一緒に部屋に入った。
オーウェンは、右手にタブレットパソコン、左手にコーラを二本持っていた。
コーラを一本、ティトに渡すと、近くの椅子に座った。
ティトは、自分の椅子に座ってコーラの栓を開け、オーウェンに向かって、ありがとうっとコーラを軽く上げた。
コーラを一口飲んで、オーウェンが口を開いた。
「宇宙船が決まった。……パイオニア号だ。……来月出発だ。君は?」
ティトは、びっくりしてコーラを吹き出しそうになったが、力ずくで胃に落とし込んだ。
「……パイオニア号……、最新鋭の宇宙船じゃないか」
「最新の最高の環境さ、最新人工知能『フローレス』搭載だぜ!」
オーウェンが、得意そうに笑った。
「……正直、……うらやましい」
ティトは、悔しそうにオーウェンを見つめた。
「で、お前は決まったの?」
オーウェンは、左手の人差し指で眼鏡をクィッと上げた。
「まだだ。くそっ……」ティトは椅子を叩いた。
「焦るなよ、まだ、いい船はあるって……」
「パイオニア号並みの船なんてないよ……」
オーウェンは、にやっと笑いながら言った。
「……で、出発まで時間がない。研究の摺合せをしないとな」
「ああ……」ティトの興奮は、まだ収まっていない。
「始めようか、録画するよ。議事録かわりだ。後でメールするよ」
オーウェンが、ティトに右手でキューのサインを出した。少し間をあけティトが話始めた。
「……今までにない人工知能だろ。……根本から変えないと面白くないな。今までの人工知能って、何か抜けていると思うんだ」と、ティト。
「抜けている?」
「なんていうか……、急に成体になってしまったというか……、成体になるまでの過程を踏んでいないというか……」ティトは、話を続けた。
「……僕らが生まれてくる時は、受精から出産まで生物の歴史を体験する。人工知能は、プログラムが実行されるだけだろ。僕らと比べて、大切な経験が欠落しているとは思わないかい?」
「……それは、経験か?」オーウェンが、考える。
「その経験が、本能を作っていると思うんだ……。うまく言えないけど……」
「人工知能に学習させて進化させるっていうのは、もう、やっているだろ?」
「うん……でも……ちょっと……引っかからないか?経験させているのだけれど、全くの無からではなく、僕らが作った土台の上に作られているというか……、僕らの暗黙のルール上に存在するという感じ……。分かる?」
ティトが、オーウェンに同意を求める。
「……なんとなくわかるよ。僕らが当たり前と思っているルールの縛りが、原因かもね」
「それもあるけど……僕らが作ったルールだけでなく、哺乳類とか……もっと言うと生物が持っている……または、持ってしまったルールと言いか……」
「なるほど……、ルールか……」と、オーウェン。
「人類の歴史を考えると、不思議なことがいっぱいあるんだ」
ティトの話は止まらない。
「不思議なことって?……」
「……カンブリア紀の大爆発とか……なぜ、サルはおもちゃの蛇を恐れたのかとか……チベットの僧侶は、生まれ変わることができたのかとか……。まだ、整理できてないけど」
「僕も考えてみるよ。難しいな…」オーウェンが、天を仰いで考え始めた。
「難しいって、最高だろ」ティトは、うれしそうに言った。
「ああ、最高だ」
二人の天才は握手をして別れた。
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