第06話 早まるな、熊さん!!
『帰る』という言葉。
それは、ある種の別れの言葉を指し示す。
そして、今のアティラに取っての悲しい思い出の響きでもあった。
あの夜、光の門が開き、多くの仲間との決別の時。
彼女は、決意をしていた。
――もう悲しまない。
――幸せになってみせる。
――いつか戻ってみせる。
だがら最初にこの世界に辿り着いた時、混乱や焦りよりも先に孤独を感じた。
生き物に囲まれているのに、まるで変なものを見るような冷たい視線。
次に感じたのは、恐怖。
果たして、ここで生きていけるのだろうか?
その次に不安。
けど、そんな中でも一人だけが近寄って、助けに来てくれた。
それがどれほどまでに心を救ってくれた事か。
その不安も恐怖も孤独も、風のように遠ざかっていった。
グリズリーに似た雰囲気の彼ならこの世界でもやっていける。
そう確信していたのに――
「もう、夜も遅いですし、帰りましょうか?」
彼の言葉が、波が押し返されるように一気に孤独と不安が押し寄せる。
恐怖が込み上がり、それを振り払おうと仁の服に手を伸ばした。
「もっと、一緒にいても、駄目?」
(期待してはならんぞ、仁。彼女は、好意であんな素晴らしい台詞を言ったんじゃない。もっと冷静になれ~)
思考とは、裏腹の涼しい笑顔を見せる仁。
「勿論、構わないよ……けど、アティラさん、そんな事は、誰にでも言ってはなりません」
「どうしてですか?」
そう尋ねるアティラに対して仁は、にっこりと笑って、人差し指を唇に当てる。
「それは、悪い人もたくさんいるからですよ。アティラさんみたいな無防備な人は、きっと一溜まりもありませんから」
かっこいい台詞を言ったつもりの仁だが、期待とは真逆の返事が返された。
「心配いりません!こう見えても私、長年訓練してきたので、熊相手に」
「熊ッ!!」
思わず出てしまった、情けない声、それを咳払いで誤魔化す。
しかし、華奢な体付きと打って変わって、彼女の逞しい程の自信。
おそらく、彼女の言っている事が全て真実で、ただ単に余計な心配をしているだけかもしれない。
仁は、咳払いして、再びアティラに向き直り、変わらぬ涼しい笑顔でこう尋ねる。
「今度は、何処に行きたいですか?」
考え込む、少女。
行く全てのものは、全てが新鮮で迷ってします。
何を言い出せばいいのか、判らないままに深く、深く悩み込む。
いつかの満天の星々のように――
「綺麗な景色が見える場所、かな」
この世界の美しさを見たい。
ここで過ごす思い出をたくさん、たくさん持ち帰れるように。
「綺麗な景色が見える場所ね……そうだ!良い場所を知っているよ」
「本当ですか!」
向かった先は駅内。
「な、何なんですか、この人の多さは!!」
感動か動揺かも判らない仁だったが、目の前に見える人だかりは、見積もっても精々二、三百人程度。
かなり遅い時間の所為か人数的には、かなり少ない方だが、やはりアティラに取って、この人数でもかなり驚いている。
「何かの祭りですか!?」
慌てふためくアティラを見ながら、仁は彼女の手を握り、真っ直ぐに切符売り場まで移動する。
全ての操作が画面にタッチのみのこの現代。
仁の様子をガン見するアティラは、周りにいる人達にとっては、どう目に映るのだろうか?
自分の
一番の問題は、この先にある――改札なのだが……
ここで仁は、己の失点に気づく。
それは、改札を通る祭に行われる単純でたった一つの行動。
しかし、その行動は、アティラと仁、二人とも違うやり方なのだ。
だから、結果的には――
ピット
しかし、アティラは――
ピーッ
「うわ!!熊さん、助けて下さい!」
仁の真似で、貰った切符をセンサーのある部分み付着した。
しかし、それで済む話ではなく警備センサーが鳴り響き、道を塞がれる。
知らないとは、これ程までに怖いものとは、などと考えてします仁であった。
「違いますよ、アティラさん、その切符を改札にある穴に入れるんですよ!」
この人込みの中、彼女に声を届かせるためには声を上げる他ならない。
だから一見卑猥にも聞こえる先の言葉。
(仕方ないんだ!アティラに聞いてもらえる為にも声を上げなきゃいけないし、理解してくれるには、ああ言うしかなかったんだ)
けれど、それを知る由もない通りすがる人々からはマイナス気温の視線を仁に向ける。
「ここですね……できました!できましたよ、熊さん!」
まるで初めて何かを成す我が子を見守る、お父さんのように、嬉しそうに手を振るアティラを永遠と見たい仁は、はっ!!と気づく。
「アティラさん、早く通って下さい」
そう、にわかに信じたいかもしれないが、改札にも時間制限というものが存在する。
普段なら切符を入れて、数秒も経たない内に通ってしまうから気づく訳がないが、センサーによるある短い期間、人が通れるシステムになっている。
だから、切符を通してもその限られた時間を過ぎてしまうと必然的にまた買い戻さないといけなくなる。
「あ、アティラさん。切符、切符。改札に忘れています」
切符を買い慣れていない人が起こす、もう一つの間違いが切符を通して、そのまま置きっぱなしになってしまう事。
現代では、この
だが、アティラは、おそらく右も左も判らない、故にこういうミスをしても目を瞑ろうではないか。
電車を待つ駅内で最も危ない、路線の間にある廊下だ。
(黄色い線を越えるなとは言ったけど、やはり、ここはちゃんと見張っている必要があるようだ)
いろいろな事に気を配りながら、仁は、楽しい道のりの筈だったこの一見デートにも見えなくもないシチュエーションを満喫できないでいる。
電車が来る時でもアティラははしゃぎ、電車の中でも痴漢に遭わぬように気を配り過ぎて、仁は精神的にもかなり参っていた。
「着きました」
およそ、四十分の旅がここまで疲労が溜まるとも知らずに、アティラと仁は、素朴なタワーマンションに辿り着いた。
建物の中に入り、八階建てのこのマンションのエレベーターの八階を選択する。
順列に並ぶ幾つかの同じ扉の一番奥から三番目。
そこの扉の鍵を開けると闇に包まれた部屋に入る。
「うわ~こんな場所の真ん中にこんな立派な洞穴があるとは、驚きです!」
「洞穴とは、言ってくれますね。ここは、一応、俺の、家――ですけ、ど――」
(――ッッ!!!)
無我夢中になっていた仁は、ここに来て、自分で自分の家だと言うまで全く気づいていなかった。
己の行いが如何ほどのものかを。
「熊さん、綺麗な景色が見える場所とは、ここの事ですか?」
無垢なアティラは、男の部屋に招かれる事がどういう意味なのかも知らぬまま、仁に綺麗な景色を求める。
「あ、ああ、奥の部屋のカーテンを退けて、ベランダに出ればすぐに――」
(落ち着け~!!落ち着くんだ熊野仁。これは、不可抗力だ。そう、不可抗力。俺は、ただ純粋にアティラに綺麗な景色が見たいと言われ、見せに来ただけ……決して、その先の事など考えてはいない!!)
今日一番の動揺っぷりを見せる仁なのであった。
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